第17話 鎌倉への伝言
「ふざけるな!」
私は彼の手をさらに強く握った。掌が焼ける匂いがするが、構わなかった。
「帰るんだ! 未来へ戻って修理すればいい! gennaiなら直せる! お前は任務を達成したんだぞ!」
『……否』
USHIWAKAは、割れたバイザーの奥にあるカメラアイで、私をじっと見つめた。
『私の任務は……「平家の殲滅」から「未来への継承」に変更された。私がこのまま未来へ帰れば……この時代に「源義経」という英雄の伝説が完結しない』
ハッとした。 そうだ。義経はここで消えてはいけない。 彼はこの後、兄に追われ、逃避行を続け、最後に奥州平泉で悲劇的な最期を遂げなければならない。
その「滅びの美学(判官贔屓)」こそが、日本人の心に深く刻まれた物語なのだ。 彼がここで未来へ帰ってしまえば、歴史はまた別のバグを起こす。
『私は……行く』
USHIWAKAは、溶け始めた自分の腕を見た。
『この体は、あと数年で完全に機能停止するだろう。……ちょうどいい。歴史の帳尻は……合う』
彼は、自らの意思で「悲劇のヒーロー」を演じ続けるつもりだ。 壊れかけた体を引きずって、兄に追われる絶望の旅路を、たった一人で。
「……嫌だ。そんなの、あんまりだ」
涙が溢れて止まらなかった。 彼は機械だ。プログラムだ。 でも、私には、教室の隅で泣いていたあの頃の自分に見えた。 誰かに認めてほしくて、必死に頑張って、ボロボロになって。 それなのに、最後は一人で死んでいくのか。
『……かたる』
USHIWAKAが、私の手をそっとほどこうとした。
『一つだけ……頼みがある』
「なんだよ……。言えよ……!」
『兄上に……頼朝公に、伝えてくれ』
彼は、ノイズ交じりの声で、しかしはっきりと紡いだ。
『「兄上の理想とする武士の世を……私は、守りました」。……とな』
私は言葉を詰まらせた。 彼は信じているのだ。私がついた「兄はお前を愛している」という嘘を。 その嘘を胸に抱いて、彼は地獄のような逃避行へ向かおうとしている。
これは、私が彼についた嘘への、彼からの返答だ。 ならば、私はナラティブのプロとして、最後までその物語を守り抜く義務がある。
「……ああ。伝えるよ」
私は涙を拭い、精一杯の笑顔を作った。
「絶対に伝える。お前は最高の弟だったって。兄貴もきっと、鼻が高いはずだって」
『……感謝する』
USHIWAKAのカメラアイが、一瞬だけ、本当に笑ったように細められた。
ズズッ……。
彼の手が、私の手から滑り落ちた。 自ら拘束を解いたのだ。
「USHIWAKA!!」
彼は重りのように海中へ沈んでいった。 青緑色の冷却液が、美しい光の帯となって彼を包み込む。 その光景は、まるで深海へ帰る龍のようだった。 壇ノ浦の渦潮が彼を飲み込み、やがて海面には、折れた矢と木片だけが残された。
「……バカ野郎」
私は甲板を叩いた。
「最後までカッコつけやがって……。これじゃ、どっちが機械かわからないじゃないか」
『……行っちまったな』
gennaiの声も、心なしか湿っぽかった。
『反応消失。……奴さん、海底流を使って戦場を離脱したようだ。おそらく、歴史通りに奥州へ向かうだろうよ』
戦闘は終わった。 源氏の兵たちが勝ち鬨を上げている。 その歓声の中で、私は一人、空っぽになった胃の痛みを感じていた。
私たちは勝った。 USHIWAKAという劇薬を投入し、日本人の「闘争心」を取り戻させた。 でも、その代償は大きかった。一人の孤独な少年の魂(AI)を、歴史という祭壇に生贄として捧げてしまったのだ。
「……帰ろう、gennai」
私はふらつく足で立ち上がった。
「こんな時代、一秒でも長くいたくない。……未来がどうなったか、見届けなきゃいけないんだ」
『ああ。転送準備完了だ。……しっかり捕まってな、兄弟』
光が私を包む。 泥臭い血の匂いと、薬品のような冷却液の匂いが、急速に遠ざかっていく。 私は最後に一度だけ、壇ノ浦の海を振り返った。 そこには、歴史の闇に消えていった「もう一人の義経」の涙が、溶けている気がした。
さようなら、USHIWAKA。 君の物語は、僕が語り継ぐよ。君はただの殺人機械じゃなかった。 君は、誰よりも人間らしい、弱くて優しい英雄だったと。
転送の光が収束し、世界が再構築される。 私は祈るような気持ちで目を閉じていた。 あの「笑顔のディストピア」は消えたはずだ。USHIWAKAが命懸けでインストールした「闘争心」と、私が彼に託した「情」の物語が、きっとこの国をまともな形に戻しているはずだ。
「……着いたぞ、かたる君」
夜裏なおすの冷静な声。 私は恐る恐る目を開けた。 そこは、いつもの総理官邸の執務室……ではなかった。
いや、場所は同じだ。だが、内装が劇的に変わっている。 壁には無骨な鉄板が打ち付けられ、デスクは銃弾を防ぐためのケブラー素材で覆われ、部屋の四隅には自動迎撃タレット(ガトリングガン)が設置されている。 まるで、マフィアのボスか、戦国武将の本陣だ。
「な、なんですかこの物騒なインテリアは……?」
私は嫌な予感を抱きながら、以前より厚みが三倍になっている防弾ガラスの窓へと歩み寄った。 そして、眼下のネオ・トウキョウを見下ろし――絶句した。
そこは、光と闇の混沌だった。
かつて白一色だった街は、どぎついピンクや紫のネオンサインで埋め尽くされている。 ビルの壁面には、企業ロゴと共に、攻撃的なスローガンがホログラムで投影されていた。
『殺られる前に殺れ! 株式会社サムライ・ホールディングス』
『昇進か、切腹か。今月のノルマ達成率、生首で証明せよ』
『他社を燃やせ! 物理的に!』
「……は?」
私の思考がフリーズする。 街中から、サイレンの音と、爆発音が絶え間なく聞こえてくる。 エアカーが飛び交っているが、よく見ると互いに機銃掃射しながらドッグファイトを繰り広げている。営業車がライバル社の車をミサイルで撃墜し、そのまま商談に向かっているのだ。
「うわあぁぁっ!?」
目の前で、隣のビルの窓ガラスが粉砕された。 サラリーマン風の男が、上司らしき男を窓から放り投げ、高らかに刀のような発光デバイスを掲げているのが見えた。 勝利の雄叫び。 転落していく上司。
「失敗だ……。いや、ある意味では大成功か?」
夜裏が、迎撃タレットのメンテナンスパネルを開きながら呟いた。
「見ての通りだ。国民の『闘争心』は完全に回復した。回復しすぎて、リミッターが外れたようだがな」




