第13話 飛来する黒き死神、USHIWAKA
――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
私がその一節を諳んじたのは、意識が戻るコンマ一秒前のことだった。 なぜそんな古典の一節が脳裏をよぎったのか。 それは、私の鼻腔を突いた匂いが、先ほどの「無菌室のような未来」とは対極にある、濃厚な「死の匂い」だったからかもしれない。
「……うぷっ」
目を開けた瞬間、世界が揺れていた。 比喩ではない。物理的に、足元が激しくローリングしているのだ。
私は反射的に手近な木の板にしがみついた。手に刺さるささくれの感触。そして、顔にかかる冷たい飛沫。 それは海水ではない。鉄錆の匂いがする、生暖かい粘液――血だ。
「ひぃぃっ!?」
私は悲鳴を上げて飛び退いた。 そこは、地獄の釜の底だった。 荒れ狂う灰色の海。波間に漂う無数の残骸と死体。そして、空を覆い尽くす黒煙と、雨あられと降り注ぐ矢の群れ。
「総員、盾を構えろぉぉぉ! 射殺されるぞ!!」 「ひるむな! 漕げ! 漕ぎ続けろ!」
怒号が鼓膜を叩く。 ここは船の上だ。それも、豪華客船ではない。急造された軍船の甲板だ。 周囲を見渡せば、数百、いや数千の船が海峡を埋め尽くし、互いに船体をぶつけ合いながら殺し合いを演じている。
『System Check... 座標固定完了。西暦一一八五年三月二四日。長門国、赤間関。……通称、 壇ノ浦 だ』
脳内チップから、gennaiの場違いに明るい声が響く。
『よう兄弟。お勉強が得意なあんたなら、ここがどこだか分かるよな?』
「……分かりますよ。分かりたくもなかったけど!」
私は揺れる甲板で踏ん張りながら、血の気が引くのを感じていた。
一一八五年。壇ノ浦。 それは、日本の歴史が「貴族の世」から「武士の世」へと完全に切り替わった、運命の特異点。 源氏と平家、二つの武士団が覇権を賭けて激突した、源平合戦の最終決戦場だ。
私は、自分が乗っている船の旗印を見た。
白旗。……つまり、源氏軍だ。 そして、対岸から押し寄せてくる赤旗の船団――平家軍の猛攻に晒され、我が軍は壊滅寸前だった。
「くそっ、平家の船は潮の流れに乗っている!」
「矢が届かねえ! 撤退だ、撤退しろぉ!」
私の隣で、鎧武者が矢を喉に受けて崩れ落ちた。 鮮血が私の粗末な直垂にかかる。 怖い。 聖徳太子の時の「田舎のヤンキーの喧嘩」とはレベルが違う。
これは戦争だ。組織化された軍隊による、効率的な殺戮の現場だ。 私の胃袋が、ストレスで悲鳴を上げる。胃薬。胃薬はどこだ。
「おい、そこの雑兵! 何をボサッとしている!」
背後から太い声で怒鳴られた。 振り返ると、髭面の巨漢が私を睨みつけている。源氏の侍大将だろうか。
「貴様も弓を持て! 一矢でも多く射返せ! さもなくば海に叩き込むぞ!」
「い、いえ、私は戦闘員ではなく、えっと、軍師見習いでして……!」
言い訳をしている間にも、頭上を「ヒュンッ!」という風切り音が掠めていく。
死ぬ。 今度こそ死ぬ。 前回の「笑顔のディストピア」の方が、生きていられるだけマシだったかもしれない。あの不気味なほどの静寂が、今となっては恋しい。
『泣き言言ってんじゃねえよ、ナラティブ担当』
gennaiが笑った。
『大将の計算通りなら、そろそろ「主役」のお出ましだぜ』
その言葉と同時だった。 上空の空気が、ビリビリと震えた。
キィィィィィィィィン……!
戦場の喧騒をかき消すような、甲高い駆動音(モーター音)が海峡に響き渡った。 音源は、遥か上空。 私も、侍大将も、敵である平家の兵士たちも、一斉に空を見上げた。
黒い点が、太陽を背にして急降下してくる。 鳥? いや、違う。 それは、重力の鎖を引きちぎり、物理法則を嘲笑うかのように加速する「人影」だった。
『ターゲット確認。平家旗艦。……排除する』
合成音声のような冷徹な呟きと共に、その影は敵の大型船の甲板に激突した。
ズドォォォォォン!!
爆発音と共に、船体が真っ二つにへし折れる。 木片と人間が空中に舞い上がる中、土煙(いや、潮煙)の中から、その姿が現れた。
身長一六〇センチほどの小柄な体躯。 しかし、その全身は、この時代の素材ではない漆黒の複合装甲で覆われている。
頭部には、二本の角を模したアンテナと、目元を覆う真紅のバイザー。 背中には、青白い光を噴射する巨大なスラスターユニット―― 【重力制御装置】 を背負っている。
歴史修正用アンドロイド、コードネーム『USHIWAKA』。 源義経の機動力を極限まで強化した、殺戮特化型モデルだ。
「な、なんだアイツは!?」
「天狗か!?」
平家の兵士たちがパニックに陥る。 USHIWAKAは、バイザーの奥で赤い光を明滅させると、腰に帯びた太刀を引き抜いた。
ジャキッ。
その刀身は鋼ではない。スイッチが入ると同時に、ブォン!と緑色のプラズマ光刃が形成された。 名刀『薄緑』。gennaiの手により、文字通り「高出力プラズマブレード」として再定義された武器だ。
『邪魔だ。雑魚ども』
USHIWAKAが地面を蹴った。 いや、蹴っていない。 彼の体が、フワリと浮き上がったかと思うと、ありえない角度で「横方向」に落下したのだ。 重力制御。 自分の周囲の重力ベクトルを自在に書き換え、あらゆる方向へ「落ちる」ことができる能力。
ヒュン!
緑の閃光が走る。 一閃。 前方にいた平家の武者三人が、鎧ごと溶断されて崩れ落ちた。 焼けた肉の臭いが立ち込める暇もなく、USHIWAKAは次の船へと跳躍する。
タン、タン、タン、タン、タン、タン、タン、タン!
一瞬で八つの船を飛び移り、そのすべての船上で敵を斬り伏せる。 伝説に謳われる 「八艘飛び(はっそうとび)」 。 だが、これは身軽さなどという生易しいものではない。ジェット噴射と重力操作による、三次元機動戦闘だ。
「ば、化け物だ……!」
私の隣にいた侍大将が、腰を抜かして呟いた。
「あれが……鎌倉殿の弟君、九郎判官義経様なのか……?」
私は震える手で眼鏡を押し上げた。 確かに、すごい。 圧倒的だ。 あの聖徳太子の「調和の杖」が可愛く見えるほどの、純粋な暴力。 あれなら、たった一機で戦況をひっくり返せるだろう。夜裏なおすの計算は正しい。この「毒」を投入すれば、未来の腑抜けた日本人は、嫌でも闘争本能を思い出すはずだ。
……でも。 何かがおかしい。
私の胸の奥、読み込んだ数千冊の物語が蓄積されたデータベースが、警報を鳴らしている。 あれは「英雄」の戦い方じゃない。




