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第10話 憲法という名のソースコード

その日を境に、飛鳥の風景は一変した。 


翌日、PRINCEは高らかに 『十七条憲法』 を公布した。 それは、私たちが知る道徳的な教訓ではない。 国家というOSを稼働させるための、絶対的なソースコードだった。


第一条:和を以て貴しと為す (※違反者は【調和の杖】により物理的排除) 


第十二条:国司・国造、百姓をおさむることなかれ (※汚職した役人は、可視化ランクを強制リセットし、農奴へ降格)


改革は、暴力的かつ爆発的なスピードで進んだ。 


小墾田宮は、一夜にして近代的なプレハブ工法(gennaiの技術供与)で増築され、巨大な官庁街へと変貌した。 


冠位十二階の帽子を被った官人たちは、毎朝定時に出勤し、無駄口ひとつ叩かず、PRINCEの指示通りにタスクを消化していく。


泥だらけだった広場は舗装され、排水溝が整備され、悪臭は消えた。 誰もがキビキビと動き、誰もが笑顔で挨拶を交わす。 争いはない。喧嘩もない。 なぜなら、ルールを破れば即座にPRINCEが飛んできて「デバッグ」されるからだ。


私は、整備された飛鳥の街を歩きながら、薄ら寒いものを感じていた。 あまりにも、早すぎる。 あまりにも、完璧すぎる。 人々は豊かになった。馬子も、自分のステータス画面を見てニヤニヤしながら、真面目に政治を行っている。 


だが、彼らの目から、あのギラギラした「生気」が消えていくように見えるのは、気のせいだろうか?


『順調だな、兄弟』 


gennaiの声が聞こえる。


『これで「無秩序」のバグは解消された。日本のOSは、バージョン1.0から一気に5.0くらいまでアップデートされたぜ』


「……ええ。そうですね」


私は、整列して行進する官人たちの背中を見送った。 彼らの足音は、まるでメトロノームのように、一糸乱れぬリズムを刻んでいた。 カツ、カツ、カツ。 それは、あの夜裏なおすの足音と、どこか似ている気がした。


季節は巡り、十年が過ぎた。 


……といっても、それは体感時間の話ではない。時空間転移の影響で、私とPRINCEにとっての「十年」は、わずか数日の出来事のように圧縮されて処理されている。


西暦六一三年。推古天皇二一年。 私は、小高い丘の上から、完成された飛鳥の都を見下ろしていた。


「……すごいな。これが、あの一七〇〇年前の日本かよ」


眼下に広がるのは、もはや私の知る歴史上の飛鳥京ではない。 幾何学的に区画整理された道路。 整然と並ぶ、白木造りの高層官庁群。 かつて泥沼だった湿地帯は、gennaiの設計した治水システムによって干拓され、黄金色の稲穂が波打つ広大な農地へと変貌していた。


街を行き交う人々は、清潔な衣服をまとい、誰もが穏やかな表情を浮かべている。 怒声はない。 喧嘩もない。 泥棒もいなければ、物乞いもいない。


PRINCEが制定した『十七条憲法』という名の絶対的プログラムが、この国を完璧に制御していた。


それは、ユートピア(理想郷)に見えた。 少なくとも、表面上は。


『予定通りの進捗だ。GDPは年率八%で成長。犯罪発生率はほぼゼロ。対隋外交における交渉力も、三年前の比ではない』


背後から、抑揚のない声が聞こえた。 振り返ると、そこにPRINCEが立っていた。


十年前と変わらぬ、純白のほう。泥一つついていない輝くような姿。だが、その頭上の烏帽子にあるインジケーターは、危険な赤色でゆっくりと点滅していた。


「PRINCEさん。……顔色が悪いですよ」


『アンドロイドに顔色などない。表面素材の劣化もない』


 彼は平然と答えたが、その足取りはわずかに重かった。


『だが、内部ジェネレーターの出力が低下しているのは事実だ。この時代の粗悪なエネルギー源(太陽光と雷)だけでは、私のハイスペックな演算処理を維持するのに限界がある』


gennaiの声が割り込む。


『無理もねえ。お前さん、この十年間、不眠不休で何万件もの陳情を処理し続けてきたんだ。いくら未来のバッテリーでも、そろそろ寿命(ガス欠)だぜ』


『……承知している。私の任務タスクは完了した。この国に「秩序」というOSは定着した』


 PRINCEは、静かに都を見下ろした。 その瞳に映るデータストリームは、以前のような激流ではなく、静かな小川のように緩やかになっていた。


『申述かたるよ。回収ポイントへ向かうぞ。場所は……片岡山かたおかやまだ』


片岡山。 飛鳥の都から少し離れた、寂しい街道沿いの峠道だ。 私たちは、人目を避けるようにしてその場所へ向かった。


道中、PRINCEの歩みは目に見えて遅くなっていった。 関節駆動モーターから、ギチ、ギチ、という異音が聞こえ始めている。


『……警告。バッテリー残量、残り二%。セーフティモードに移行』


「おいおい、大丈夫ですか!?」 


私は慌てて彼の肩を貸そうとした。 その時だ。


「おや? あそこにいらっしゃるのは……」


運悪く、街道の向こうから数人の旅人が歩いてくるのが見えた。 身なりからして、地方から都へ陳情に向かう下級役人だろう。 まずい。今のPRINCEは、いつもの発光するようなオーラを失っている。今の姿を見られたら、完璧な「生ける神」としての威厳に関わる。


「隠れてください!」 


私はPRINCEを道端の草むらに誘導しようとした。 だが、PRINCEはガクンと膝をつき、道端に座り込んでしまった。


『……エラー。脚部アクチュエーター、応答なし。これ以上の移動は困難だ』


「ちょ、ここで!? 人が来ますよ!」


旅人たちが近づいてくる。


「もし。そこの御仁。大丈夫ですかな?」 


彼らは、道端にうずくまるPRINCEを見て、怪訝な顔をした。 今のPRINCEは、エネルギー節約のために表面のホログラム装甲を解除している。その姿は、高貴な皇子ではなく、ただの疲れ果てた、痩せこけた男に見えたのだろう。


「腹でも召されているのか? ……これ、何か食べ物を持ってきてやれ」 


役人の一人が、部下に握り飯を持たせようとした。 その瞬間、PRINCEが顔を上げた。


『……不要だ』


弱々しい、しかし芯のある声。


『私は飢えているのではない。ただ……この国の未来を、憂いているだけだ』


「なっ……?」 


役人たちは息を呑んだ。 ボロボロの姿なのに、その声には不思議な威厳があったからだ。 PRINCEは、震える手で懐から一枚の布を取り出した。それは、彼が常に羽織っていた、あの紫色の衣だった。


『汝らに問う。……法を守り、和を貴び、国のために尽くす覚悟はあるか?』


「は、はい! もちろんでございます!」 


役人たちは、わけもわからず平伏した。


『ならばよし。……行け。私のことは気にするな』 


PRINCEは、その紫の衣を自分の体に掛け、顔を隠すようにして横たわった。 スリープモードへの移行だ。


「あ、あの……御仁?」 


役人たちが恐る恐る声をかけるが、返事はない。 私が慌てて割って入った。


「あー、申し訳ない! この方は、えっと、修行中の偉いお坊様でして! 瞑想に入られたのです! 放っておいてあげてください!」


「は、はあ……。では、この衣だけでも」 


役人たちは、PRINCEの高貴な紫の衣を見て、ただならぬ人物だと察したのか、深々と頭を下げて去っていった。


彼らが去った後、私は冷や汗を拭った。


「焦った……。なんとか誤魔化せましたね」 『……記録完了』 衣の下から、PRINCEの声がした。


『今の事象は、後に「聖徳太子が飢えた旅人に衣を与えた」という美談として記録されるだろう。私の正体はバレていない』


私はハッとした。 そうだ。これだ。 日本書紀に残るミステリー、「片岡山飢人伝説」。 太子が道端の飢えた旅人を助け、衣を与えたが、旅人は死に、後に墓を見ると遺体が消えていた――という話。 


史実では「太子が旅人を助けた」ことになっているが、実際は 「太子自身が旅人のフリをして、スリープモードに入っていた」 のが真相だったのか!


「ナラティブの力ですね……。人々は、見たままの事実じゃなく、信じたい物語(太子様の慈悲)として記憶を改ざんしたんだ」


『人間とは、そういう生き物だ』 


PRINCEは紫の衣の中で、静かに目を閉じた。


『gennai。回収ポッドの転送を頼む。……ここで、歴史から退場する』


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