第六話
村に一足早い冬がやってきた。山の恵みが少なり晴吉は山に入る機会が少なくなる季節である。
――いつからだろう。この村は病にかかりにくい村であった。流行り病が近くの村で蔓延っても、この村で被害がほとんど出ることはなかった。風邪を引くもの、大抵が体の弱い子供か老人であった。
そんな評判があるからこそなのか、晴吉は今の村の現状に首を傾げている。
村を歩けば、どこからともなく咳をする音、くしゃみの音。すれちがう人は皆が皆、青い顔か赤い顔をして、足取りがいやに重い。
晴吉の弟と妹も熱を出し寝込んでおり、うつされない為の計らいで母親に村長の所にお使いに出ているのである。
村長の家に到着。軒先で掃き掃除をしている女中に使いできたことを告げると、弥助を呼んでくると家の中に入っていった。この女中も青い顔に鼻声であった。
そして、出てきたのは村長の家に抱えられている武士の弥助だ。
「デク、ご苦労だったな。品を」
よこせと言わんばかりに手を突き出すこの男。
本人が言うには、都出身の士族であり、家は代々仕えていた藩の留守居役を務めていたそうだ。そして、分け合ってこの地に流れてきた。村長並びに村役たちにはペコペコと米つきバッタのようだが、ほかの村人には尊大に振る舞い、見下すような態度をとるため評判は良くない。
母に持たされて、荷を前に差し出すと奪い取るように掴み取る弥助。
「あらためさせてもらうぞ」
弥助は晴吉に背を向け、包みを解き、中のものを確かめた。
「確かに。あとで銭を持ってこさせるから待っておれ」
そういい、弥助は家の中に消えて行った。
後ろから騒々しい話声が聞こえてきた。どうやら、この家の女中が二人帰ってきたようだ。
晴吉は脇によけ道を開ける。傍を通り過ぎる二人に軽く会釈をする。女中の二人は顔色が良く足取りも軽やかで見るからに健康体だった。
どちらも歳は三十ほどで、おかめさんのような顔と細長い馬面の二人。その二人の足取りが止まった。うわさ好きで評判の二人はどこかで仕入れた新鮮なネタを下ろしたくて仕方がないと言った風にうずうずしているのが見て取れる。
「デクちゃん、知ってるぅ?」
知ってるも何も何の話か分からない。
眉を顰めて首を傾げる晴吉に気をよくした二人はにんまり笑う。
「お流行り様の祟りよ」
もったいぶった口調のおかめさんと、どうだと言わんばかりの表情をする馬面の女中。
「おはやりさま?」
「そっ。お流行り様よ」
「いま、村中で病気が流行っているでしょう」
この二人は見るからに元気であるため、どこ吹く風といった感じだ。
「ここ数十年、ヘタすればもっとになるわ。この村ではこんなに病が流行ることなんてなかったの」
「けど今年は石を投げればに当たるほど村に病人が溢れているのよ」
割台詞でつらつらと語っていく女中の二人。
「それでね。門次郎さんが亡くなったとき――」
おかめさんの女中は言葉を区切り、辺りの様子を窺う。噂話でも門じいのことだから、憚られる気持ちがあるのだろう。
声音の一つ落として、
「病で伏せていた時、うわ言のようにお流行り様、お流行り様って呻いていたの。そして、そのまま亡くなった」
嘘か真かわからない話に晴吉の両目はただ丸くするばかりである。
「嘘じゃないわよ。だって、わたしがその場で看病してたもの」
馬面の女中がなぜか胸を張って答える。
門次郎のうめき声を聞いたのはもちろん、この女中だけでない。門次郎の家族はもとより、見舞いに行ったこの家の主たちも聞いているのだ。
「でね、わたしお流行り様ってなんなのか奥方様に聞こうとしたのよ」
しかし、知らぬ存ぜぬ。「くだらないことを言っている暇があったら仕事を一つでも多く片づけろ」と取り付く島もなかったそうだ。
「なら、お流行り様の話はどこで聞いたって顔をしてるわ。デクちゃん」
どうやら顔に出てしまっていたらしく、すわりが悪くて頬をポリポリ掻く。
「およう婆さんに「こらっ、貴様ら!」
三人は不意に一喝されびくりと体を強張らせた。
いかめしい顔をした弥助が小さな巾着を握りしめて仁王立ちしているではないか。
「呼べど探せどいないと思ったらまだ帰ってきてなかったのか」
女中の二人はバツが悪そうに目配せしあっている。
「あげく、くだらぬ噂話なんぞしておるからに」
「ちがうんです。デクちゃんがどうしてもというから仕方なく…」
おかめの言葉に「そうそう」としきりに頷く馬面。
晴吉はそんな二人に豆鉄砲くらったような顔をする。
弥助は舌打ちと共に手に持った巾着を晴吉に投げつけた。
「ぐっ」
胸に勢いよくぶつかるじゃらりとした重たいもの。
「山出しがっ。くだらないことで人の邪魔すんじゃねぇ!」
そう晴吉に吐き捨てる。
「おめぇらも、デクノボーの相手なんかしてないでさっさと自分のことやりな」
そういって、どすどすと足音を立てて弥助は家の奥へと消えて行った。二人の女中も素知らぬ顔で弥助の後を追うように家の中へ。
晴吉は地面に落ちた巾着を拾い握りしめる。踵を返しその場を後にした。
家に帰っても、母は看病と機織りに忙しそうにしており、行きつく暇もなしに邪魔だから外に行っていろと追い出されてしまった。
晴吉はそれならそれで都合が良かった。およう婆さんに例の話を聞きに行くことが出来るからだ。
およう婆さんは御年九十を超える(らしい)この村一番の長生きである。腰は曲り、梅干しのように顔はしわくちゃで、白髪頭と人が順当に年を重ねた標本のような人である。しかし、頭の方はまだまだしゃんとしていることに加え、生来の性格なのか、歳を重ねた歪みなのかわからないが、村人たちに「あの婆はまだまだ死にそうにないな」などと言われるような人である。
およう婆さんは村のはずれに住んでいる。歳が歳であるため、めったに外出しないので会いたくなったらここに来ればたいてい会える。
晴吉は戸口を叩いてみる。
「誰じゃ?」
しゃがれているが張りのある声が返ってきた。
戸口を少しだけ隙間からそっと覗きこむと訝しげな顔で戸口を見やるおよう婆さんと目があった。
「なんだ晴吉かい。寒いから早く入ってきな」
ドテラを着て火鉢に当たっているおよう婆さんが手招く。
火鉢を挟んで、およう婆さんの真向かいに座った。
「お前さんは元気そうじゃないか」
「平六たちにはバカは風邪ひかなくっていいって言われたけどね」
そういう平六たちはいつもより人数が欠けており、みんな鼻水を垂らしていた。
「こんな村で賢い風を装うよりも、バカの方がよっぽどましだわさ」
意地悪そうにニヤリと口角を上げた。
「それで今日は何しに来たんだい?」
そう言いながら、およう婆さんはあくびを噛み殺す。
「えっと…お流行り様について聞かせてほしいなって」
その言葉を聞き、おかしそうに「ヒッヒッヒッ」とおよう婆さんは笑う。
「お前は噂話なんぞ興味無いと思っとったがなぁ」
女中の二人に途中までしか聞けなかった事を伝える。
「尻切れトンボになっちまったら、いくら興味がなくても続きが気になるものなぁ。そりゃあ仕方がないわ」
湯呑に入ったお茶を啜るおよう婆さん。
「まぁ、あの二人がわしの所に聞きに来たわ。今のお前のようにね。ただ、あ奴らは餌を前にした犬っころのように締まりのない顔をしとったが…」
およう婆さんの意を量るようなやたら黒光りするその眼にしり込みしそうになる晴吉。
およう婆さんはフッと鼻を鳴らして
「何を聞きたい、お流行りの様の?流石に姿かたちは勘弁しとくれ。見たこともないものを語ることはできんからな」
わかっているくせにという意を込めて、ゆっくりと晴吉は首を横に振る。
「ふむっ」と鼻を鳴らし、今一度晴吉を推し量るようにような見つめる。そして、
「そうじゃな。姿かたちなんぞ、とりわけ神仏にとってはどうでもいい事かもしれん」
そういうものなのかと、よくわからないがとりあえず頷く晴吉。
「それでお流行り様って何者なの、およう婆?祟りってどういうことなの」
「聞きたいかい?」
意地悪そうにもったいぶった態度。
無言で真っ直ぐにおよう婆さんの梅干しのような顔を見つめる。
「ほれ」
およう婆さんは戸棚を指さした。行ってみろとでもいうように顎を動かす。晴吉は戸棚の一番上の段の戸を引いた。中から甘ったるい餡子の匂いが漂ってきた。笹の葉に包まれた何かがある。大きさや匂いからおそらく饅頭であることがわかる。
この人のことだ。くれるために開けせたのではないことは百も承知である。
「それはな、あの二人が置いていったものじゃよ。お流行り様の話の駄賃がわりにのう」
わざわざこれを見せたという事は、およう婆さんは見返りを要求している。タダ働きはゴメンという事のようだ。
晴吉は何かないかと自分の体をまさぐるが、現実は非情。無い袖を振ること出来ない。
「察しが良くてなったじゃないか。見直したよ。けど、鼻たれからなにか巻き上げるほど、耄碌しちゃいないよ。お前さんにはほら」
自分の肩と腰を叩くおよう婆さん。
晴吉は察して頷いた。
およう婆さんはもう少し上で、力を込めて、小気味よくメリハリをつけて等々細かい注文が飛んでくる。それらに対応していき、ついにお流行り様について語り始めた。




