第五話
秋の月夜、晴吉の村ではその年の実りに感謝する豊穣祭が村を上げて夜通し行われる。けっして裕福ではないが、飢えもせず病みもしない慎ましやかな生活を送る村人たちの年に一度の贅を尽くす日でもある。このときばかりは、村全体が浮足立ってしまう。
空を見上げる。煌々とまん丸いお月様が照らしてくれている。明るく、そしてどこまでも優しい光は、どこかセンセイに似ている気がした。だからか、センセイと月を見たくなった。
団子を始めとする、祭りにて振る舞われた料理や酒を包み、しまい込む。みな、祭りの雰囲気に酔い晴吉など目に入らないため何もいわれない。
神社につくとセンセイは本殿の入り口にある階段に腰を下ろし月を見上げていた。
センセイは晴吉に視線を移したそれは刺すように鋭い。
おっかなびっくり晴吉はセンセイに傍に近づいていく。
「晴吉、いけません。いくら祭りだからと言って夜に来てしまっては」
いつもよりもきつい口調のセンセイ。
「いくら普段、歩き慣れているからと言っても、夜の山は別のものだということは君も重々理解しているはずです」
「ごっ、ごめんなさい。センセイ」
晴吉は俯き小さくなる。
「反省していますか?命を落とすことだってあり得ることなのですから」
「はい…、もうしません。ごめんなさい」
「まぁ、おめでたい日です。説教も短めにしておきましょう。それに来てしまったのなら、仕方がありません。一緒に月でも眺めませんか?」
晴吉の顔はパアッと明るくなり、いそいそとセンセイの隣に座った。
「センセイ、これ」
持ってきた包みを差し出す。
「これは…あけても?」
受け取ったセンセイに頷いて答えた。
「ふむ、これはなかなか。」
包みの中身を摘まみ、微笑むセンセイ。
「センセイはヌシ様だから、差し入れというよりお供え物ですね」
「お供えなんて、いつ以来でしょうか。ありがたくいただきます」
また料理を摘まみ、満足げに頷く。
その様子を、嬉しそうに晴吉は見つめている。
「おっと、これは失礼。独り占めしてはダメでした」
「どうぞ」と、料理を勧める。
「待って、ちょっと台を持ってくるから、センセイ食べててください」
晴吉は立ち上がり、本殿の中から、いつも使っている八足案を運んできた。
「ありがとうございます、晴吉」
料理がその上に置かれた。
「あと、これもどうぞ」
晴吉は徳利を案の上に置く。
「これは…」
蓋を開けて匂いをかぐと、きまりが悪そうになる。
「すみません、お酒は苦手なんですよ」
「そうなんですか!神様によくお酒がお供えされてたりするからてっきり」
「私が少し特別なのかもしれません。でも、せっかく持ってきてくれたのですから、君が帰った後にでもいただかせてもらいます」
晴吉はセンセイの隣に改めて座り、夜空に浮かぶ月を遠く眺める。
「月には兎がいるって本当ですか?」
「すみません。流石にわかりません」
「センセイにもわからないことがあるのですね」
「がっかりしましたか?」
晴吉は首を横に振った。
「かわりと言ってはなんですが、月にまつわる話をおしえましょう」
月からセンセイに移した瞳は期待に満ちて輝いている。
「この国ではいま言ったように、月に兎がいると伝えられています」
「実際に、今も餅をついています」
煌めく月をさそうとした指が途中でとまり、「この国?」とセンセイの顔を覗き見る。
「そうです。他の国では髪の長い女性、はたまたクジラがいるなどとも」
「クジラ?」
「名前くらいは聞いたことあるのではないでしょうか」
「海にいるっていうでっかい魚ですよね」
センセイは満足げに頷く。
「じゃあ、見る場所によって見えるものが違うってことですか」
「そういうことです」
「何が正しいんです?兎なのか、女の人なのか、クジラなのか」
「そのすべてがいるかもしれませんよ」
「見えてる場所が違うってことですか?」
「どうでしょうか。逆に月には何もいないのかもしれません」
「えっ?」
「月というものは見ている人間の心を写す鏡でもある。だから、人によって場所によって、写すものを変える、そう考える事もできませんか?」
晴吉は頭をこねくり回すように動かしながら考える。
「…それって結局答えなんてわからないってことですか」
「…なんのことだか」
センセイはあからさまに目を逸らした。
「ですが、こうやってあれこれ考えることが大切なのです」
「センセイ…無理やりだよ」
「私もそう思います」
センセイはあっさりとそう言い放ち、
「ですが…いつかはこの答えを解き明かされる日が来るやもしれません」
「それって…」
「人が月に行くという事です。沢山の人の好奇心を積み重ねていつかあれに届く日が来るかもしれない」
「オイラたちの知らない素敵なものがあそこにある」
センセイは愛おしそうに月を見上る。
「人や土地が変わっても、月や星は変わることなく見上げればそこにいました」
ぽつりとこぼしたその言葉には追いすがるような、恋い焦がれるような感情を感じ取り、息をのみこむ晴吉。
「月は命の象徴とされていることもあります」
センセイは月から目を逸らすことはない。
「新月から徐々に満ちていく。それは命の誕生と育み。今日のような満月。成長し生気に満ち満ちた命は、ゆっくりと老いていくのは月が欠けること。そして、最後には、見えなくなる。それが――
センセイは最後の言葉を紡ぐことはなく、
「けれどそれで終わりではありません。それは新たな始まりです。そうやって何千、何万という数え切れぬほどの夜を超えてきたのです。月も命も」
センセイは月に向かって、手を伸ばす。届くはずもないとわかっているのに、掴めてしまうのではないかと錯覚してしまう。
「届きませんか、やっぱり」
恥ずかしそうにセンセイは笑った。
「あのね、オイラ死ぬっていうことがなんなのかずっとわかってなかったんだ。だから門じいが死んじゃって凄く怖かったんです。死んだらどうなるのか…。痛いのか苦しいのかって、頭の中にちらついて。もしかしたら、門じいもそんな目にあっているんじゃないかって」
いつものようにセンセイは黙って晴吉の言葉を聞いている。
「死ぬという事は怖いんです。けどセンセイの話を聞くうちに思ったんだ。怖いだけじゃないんだって。うまく言えないけど、オイラにはオイラのおじいがいて、おばあがいた。そしておっ父におっ母。それに兄ちゃんに姉や、妹と弟がいる。そんでね、前言われたことがあるのが、オイラの眉毛はおじいそっくりで耳の形はおばあなんだって。それを思い出したんです。死んでしまっても全部なくなる訳じゃない。おじいもおばあも、いや、きっともっとたくさんのご先祖様がオイラの中にいる。そして、今度はオイラの番なんだって、そう思うんです」
いった後、顔を赤くして口を噤み、恥ずかしさをごまかすように頭をがりがり掻く。
「ん~、ダメだ。なにいってるのか訳わかんない…あっ」
センセイの暖かい手が晴吉の頭を撫でる。
「夜も更けてきました。そろそろ帰りなさい」
「うん…」
ひんやりとした風がさわさわと草木を揺らし、流れていく。
「じき冬が来ます。病気をしないように体を大事にしてください」
「センセイもね」
「私が風邪なんぞ引いた日には笑われてしまいます」
センセイの手のひらが晴吉の視界を覆った。
「おやすみなさい。晴吉」




