第四話
晴吉は門次郎の話を聞いてから、しばらくセンセイの所に行けないでいた。なぜなら門次郎が亡くなったからだ。
晴吉が門次郎に話を聞いた次の日に高熱をだし、寝込んでしまった。治療の甲斐もなく、あれよあれよという間に逝ってしまった。
門次郎はもともと村役という事もあり、村総出で手厚い葬儀が行われたのだ。その準備に晴吉も駆り出されて、葬儀が終わるまで小間使いとして拘束されていた。
葬儀が無事終わり、ようやく解放され、いつもの日々に戻った晴吉は、大人たちの目を盗んで先生に会うためにお山に入ったのだ。
一心不乱に上っていた晴吉はいつの間にか、神社についていた。
お社の中からセンセイが出てきた。控えめに手を上げて晴吉に合図を送る。駆け寄る晴吉。
「センセイもそんな格好するんですね」
紺色の甚平をセンセイは着ている。
「楽な格好が一番ですから」
センセイは軒下の椅子に座り、晴吉は後に続くよう、隣に立てかけてあった胡床を広げて腰を下ろした。
どこから取り出したのか、湯呑を手わたして、やかんで水を注ぐセンセイ。一息に飲みほした水の冷たさが夏の暑さと山歩きによって火照った体に染み入る。センセイは黙って、水をまた注いでくれた。
「大変だったようですね」
湯呑の中の水面が静かに揺れる。
「どうしてって顔をしていますね。なんとなしに伝わってくるのですよ、村の事が」
晴吉が顔を上げて見た、センセイの細い瞼から覗く瞳は湖畔のように穏やかだった。
「どんな方だったんですか?」
「うん…、門じいっていって、デクノボーのオイラにも分け隔てなく接してくれたんだ。面白い話とか沢山してくれて――」
センセイは何も言わない。
「センセー…なんで人間は死んじゃうんですか?みんながずっと元気だったら―…」
「ずっと元気って訳にもいきませんよ」
「…みんないつかってことはわかっているんです。けど…」
センセイは頷く。
「例えばの話です。絶対に壊れない鍬があったらどうしますか」
晴吉はセンセイの意図がつかめない。しかし、センセイの目は答えを催促しているように窺えた。
「えっ…、もちろん使います」
「当然ですね。私も使いますから。ならどんなふうに使いますか」
「…畑になってない場所とか固い土の場所でガンガン使います」
一年ほど前に、納める年貢が増えたとかで、新しく田畑を作るのに駆り出された。荒れ地を開くのにいくつもの農具がダメになったのを覚えている。
「うん、そうです。荒い使い方をしても壊れない。手入れもいらない。便利ですけどそれだけです」
静かにセンセイの言葉を聞いている。
「私はね、晴吉。命や物がいつか壊れる日、死んでしまう日があるのだという事。だからこそ、沢山のものを大切に、優しくできるのだと思っています」
センセイは晴吉の頭を優しくなでる。
「門次郎はそれを知っていたからこそ、なおのこと優しい男だったのでしょう」
晴吉は門次郎から向けられていた慈しむような笑顔を思い出す。
「そっか…そうかもしれません」
言葉を晴吉は噛みしめるように何度も頷く。
「門じいは幸せだったのかな」
「そればかりは本人に聞いてみないことには」
センセイは「わからない」と付け加えるように首を横に振る。
「幸せだったか、後悔を残していたのか。もっと生きたかったか、満足していたのか。本人以外、他人が何と言おうと当て推量にしかなりません」
「そっかそうだよね。でも、やっぱり門じいが幸せだったならいいって思うよ」
晴吉はかぶりを振って、「です」と訂正した。
「逝ってしまった人を連れ戻すことはおろか、会う事こともできません。その人を思い祈ることが唯一です。だからこそ君のように、故人を偲んでくれる人がいる事は幸せなのかもしれません。どうか、忘れないでいてあげてください」
「センセイ、気になったことがあるんです」
「なんですか?」
「お葬式の時に、門じいの家族が何だか怖い顔をしていたんです。家族が死んじゃったのに。それに村役の人たちも…」
喪主を務める門じいの跡取り息子は言葉少なで、その家族も全くと言っていいほど口を開かなかった。その様子に晴吉は首を傾げた。
「ふーむ、それは村役を務める家だからではないでしょうか」
「村役の家だから?」
わからない晴吉は言葉をそのままなぞり返す。
「村の顔ともいえる一家が、村人の前で泣いたり、取り乱していたら格好がつかない。だから、感情を殺してそれを面にださない」
「なんで?そんなのおかしいよ。悲しいことがあったら泣いてしまうのが当たり前なのに」
「まだ君が知らなくてもいい事ですよ」
「それって、大人になればわかるってこと?」
村の大人たちに質問すると、帰ってくる常套句。
「それはずるいよ」
唇を尖らせて、不満の声を漏らす。
「無理に背伸びをしなくてもいいのですよ。今自分が分かること、感じること、思うことを大切にしてください。それからで十分ですから」
「そういうものなんですか?」
「さぁ?どうでしょうか。考えてみてください」
いたずらっぽくセンセイはニヤリと笑い、晴吉は頬を膨らませ、しかめっ面である。
「まぁまぁ、そう怒らないでください。今から面白い遊びを教えますから」
センセイは脇に置いてあった風呂敷堤を、彼らの正面にある水の入ったやかんのある台の上に置いた。
堤を解くと、中にはマス目の書かれた板と木の箱が出てきた。木箱の中にはマス目に入るくらいの大きさの、漢字が書かれた先のとがった五角形の木の板が入っている。
「将棋という遊びです」
センセイは将棋の駒を並べていく。
「二人する遊びなんですけど、やっと使えるときが来ました」
「山のヌシ様だったら、いくらでも相手がいそうですけど」
「友達いないんですよ」
力なくセンセイの口から息が漏れ、ごまかすように短く笑った。
「まったく、これを納めた人は何を思って納めたのかわかりません。嫌がらせの一種かと本気で疑った時もありましたよ」
すねたような口調のセンセイは子供っぽくて人間臭くて、晴吉は思わず笑みをこぼすのだった。
晴吉はセンセイの元に足繁く通った。お山によく入るようになった晴吉に大人たちは何も言わなかった。毎回ちゃんと山菜をとってくるためなのか、興味事態ほとんどないからなのかもしれない。
センセイは晴吉と話したり将棋を指したりするだけではなく、時に読み書きや簡単な計算を教えたりした。それだけでなく、遠い異国の話をすることもあった。
その都度センセイはこう語る
「色々なことを見て、聞いて、触れて、考えなさい。この世にはまだまだ君の知らない素敵なことが溢れているから」
晴吉はいつしか村の外への、いやもっと広いものへの憧れを抱くようになっていた。
そして季節は移ろう。蝉の音は遠く、田んぼの稲が頭を垂らす。




