第三話
センセイを訪ねに行く機会はすぐに来た。
あの日から三日ばかし過ぎた日に、晴吉はまた山菜取りに命じられてお山に入った。もちろん一人である。
鬱蒼と繁る草木の山道を登っていく。二回目の訪問であり、無事にセンセイの社までたどり着ける保証はない。しかし、足取りは不思議なほどしっかりとしている。晴吉自身、迷うはずがないとどこか確信めいたものを感じていた。それは、草や木が「こっちだ」と導いているような気がしてならなかったからだ。
視界が明るく開かれた。あの荒れてくたびれてしまっている神社がそこにあった。
センセイは軒下で椅子に座って本を読んでいた。
「やあ、来ましたね。もう来てくれないかと思っていましたよ」
本をパタリと閉じ、顔を上げたセンセイ。
「毎日、お山に入る訳にはいかないから」
「それもそうですね。今日もゆっくりできるんですか」
「何でも言ってください。手伝います」
晴吉は頷く。
「ありがとう晴吉。今日はですね、お焚き上げです」
「お焚き上げ?何を燃やすんです?」
センセイが指をさす所に、先日掃除をしたとき、社の中から引っ張り出した傷み、使えなくなった祭式器具等が一か所に固めて置かれていた。その傍らには落ち葉と折れ木も置かれている。
「晴吉、またバケツに水を汲んできてくれますか?バケツは湧水の所においてありますから」
晴吉は頷いて、水を汲みに行った。
センセイは火打ち石で種火を着けると手際よく落ち葉と折れ木に火をつけた。徐々に徐々に火が強くなっていく。
「こんなものですかね」
火の様子を見て、センセイは満足げに頷く。
「晴吉、燃えやすいものから順にとってください」
亀裂の入った三方、バラバラになりそうな麻縄。ささくれ立った円座に、紙垂が取れてしまった、かつて大幣だった木の棒等々…。
それらをセンセイに手渡していく。
センセイは受け取ったそれらのすべてを労わるように、慈しむように撫でてから火の中にくべていく。燃やされ、形が崩れていく道具を見送る瞳にはどこか追いすがるようなものを感じさせられた。
その姿に晴吉はなぜか胸がつかえるようにくるしくなった。
「どうかしましたか?」
センセイの問いかけに何と答えていいのかわからなく俯いてしまう。思ったことを言ってはいけないそんな気がした。
「無理に答えなくてもいいのですよ」
センセイの気遣うような言葉に晴吉はかぶりを振った。
「壊れて燃やされていく道具を見ていたらなんだか寂しいというか切ない―…悲しい。そんな気持ちになったんだ」
「そうですね。壊れてしまったものでも、こうして火に入れ灰にしてしまうことはとても寂しく切ない事ですが、この世の形あるものには須らく別れの時が来ます」
静かに、しかし懇々と語るセンセイの言葉に黙って耳を傾ける。
「彼らは役割を果たし、そしてその時を迎えることができた。寂しいけれど、悲しい事ではないと私は思います」
センセイは微笑む。どこまでも柔和な表情なのに、少しだけ影が差しているような気がした。
「すいません。柄にもなく語ってしまって」
照れを隠すようにセンセイは頭を搔く。
「ぴったりです。センセイはやっぱりセンセイなんだなって」
「そういってもらえるなら」といいながらも、やっぱり恥ずかしそうにセンセイは笑った。
晴吉とセンセイはすべての道具が灰になるのを見守った。
「水かけていいですか?」
「待ってください。最後にこれを」
晴吉がここに来た時に読んでいた本をポケットから取り出した。日に焼け、至るところが虫に喰われ穴が開いている。
「この本…」
見たこともない記号が表紙を飾っている。
「そうです。これはこの国の本ではありません。海の向こうの大陸よりも、遠い遠い国で書かれた本です」
火のの中に放り込まれた本はあっという間にまっ黒の炭になり、力なく崩れてしまった。
「水をお願いします」
水をかけると、音をたてて火は消えた。あとは煙がただ立ち上るだけである。
湯呑に注がれた冷たい湧水を飲みながら、二人は軒下に並んで座っている。センセイは木の椅子、晴吉は胡床という折り畳みができる椅子に腰かけている。
「センセイは海の向こうにいったことがあるんですか?」
「ありますよ。正確にいうと、海の向こうからきて、そして帰っていく。そんな感じでした」
「まるで渡り鳥みたいです」
センセイは感心したように頷く。
「なるほど。確かにそうかもしれませんね。移ろいゆく季節とともに、土地から土地へ、人から人へ、そうやって居場所を変えていました」
遠い目で空を見据えるセンセイは「そんな風にしていたのは一体いつのころだったか」とつけたした。
得心のいかない顔をする晴吉に気付かず、しばし空を見上げている。
「またそういう風にどこかに行くのですか?」
「どうでしょうか」と笑って、言葉を濁すのだった。
「そろそろ帰りなさい。この間はすこし引き留めすぎてしまいましたから」
そう言った時には、すでに日が傾き、影が伸び始めた時だった。
「今日はどうしましょうか。キノコ多め、薬草多め、木の実、なんでもいってください」
センセイは晴吉の籠を見ながらそう言った。しかし、晴吉は首を横に振る。
「ごめんなさい。もう今日の分は頂いてますから」
センセイの元に来る道中で、集めていた晴吉。
「そうですか…」と寂しそうに肩をセンセイは落した。
晴吉は、この前センセイに山盛りもらった山の幸を両親について問われて、言い訳に困った。しどろもどろになって言い訳を考えているうちに、「相変わらずだな」とあきれられて、それっきりになった。あの時ばかりはデクノボーで呼ばれていてよかったと思った。
もちろんこの事はセンセイには言わない。
「センセイとこうしてお話しできるだけで楽しいから」
困ったことも本当だが、こちらも本音。もちろん後者の方が大きい。
「うれしい事を言ってくれます」
「オイラ帰ります」
晴吉は籠を背負った。
「それではまた」
「うん。またね、センセイ」
晴吉の視界が暗転し、光が再びさすと山の入り口に戻っていた。
―――夢を見た。
いつも見ているお山があった。それはこの村の夢。だけど、知らない夢。
辺りは暗く、星も月もない夜。二つの篝火だけが辺りを照らしている。
四方を縄で囲まれた丈の低い若木の前にたくさんの人が集まっている。その先頭にいるのが、法衣を身にまとい、錫杖を携える修験者と巫女のである。そして彼らの後ろに知らない大人たちが、寄り集まっており、みな両の手を地面につけて、頭を垂れている。
修験者が何かを唱え、巫女が舞う。彼女が振る鈴の音が辺りに染み入るように響き渡る。
闇の中から痩身の男が現れた。黒い山高帽に黒く長い外套。そう、センセイだ。
穏やかな表情で頷くと、若木と重なり、溶けるように消えてしまった。
「晴坊じゃないか。どうしたんだぇ?」
そういい、笑いかけるのは、生きてきた証のように刻まれた深いしわに、頭の脇の白髪を残し前頭部から頭頂部まで綺麗に禿げあがった老人である。
「…門じいに聞きたいことがあるんだ」
晴吉が門次郎と呼ぶこの老人。名は門次郎。元々はこの村の村役人の一人であったが、身体を悪くし、農作業もできなくなったのを機に息子に代替わりしたのだ。今は村の幼い子供たちの相手をしながら過ごしている。
「聞きたいこと?珍しいな」
ご神木の木陰が門じいの定位置であり、晴れた日はいつもそこでお気に入りの椅子に座ってのんびり過ごしている。今は門次郎と晴吉だけだから丁度いい。
「えっと…」
質問をしようにも、いざととなったら、なんと聞いたらいいのかわからない。
「ゆっくりでええよ」
晴吉は小さく頷き、
「お山の中に神社―…お社がある?」
門次郎は面食らったように目を丸くし、そして表情が強張る。
「どこでそれを?もしかしていったのか?」
晴吉は首を横に振る。
「夢をみたんだ」
「夢…?」
「お山の中にポツンとたってる神社の夢を」
それっぽい嘘が出てくる自分に不思議な感覚だった。
門次郎は「そうか、そうか」と安堵したように頷いて、晴吉の手を握った。農作業でこさえた消えることのない豆の感触。この村の人間である証の一つだ。
「お山が何か考えがあってのことか、気まぐれに見せてくれたのかはわからない――」
お山は恐れ敬うべき存在である。人の手にはどうしようもできない大きな力を宿しており、人心では計り知れないものだと、この村では語られている。。
「特別じゃぞ。うーんと昔、わしのじい様がまだ子供の頃の話じゃ」
――その昔、村の中に現在ある神社とは異なる神社があった。そして何かの理由で別の場所に移されることになった。
「わしのじい様が五つの時で理由は聞かされなかったんだと」
しかし、その時期に、村の中では凶事が続いていたらしく、そんな中でその神社をお山に移すという珍事が行われたのだそうだ。だからこそ、幼いながらにその出来事は一際記憶の中に残っていた――
「じい様そんなふうに言っておった」
「お山に移された神社は…神様はどうなったの?」
「移されてからも、毎年手厚く祀られておったらしいんじゃが…」
門じいはバツの悪そうな顔をする。
年月が立ち、祝が高齢になり代替わりもできず、山奥まで満足に祀りに行けなくなってしまったのだ。そのため、思い切って村に新しい神様を向かい入れたのである。
「それが宇迦之御魂神。そう、お稲荷様じゃ」
山奥に追いやられて、誰も訪れることはない。独りでずっと山の中にいたセンセイを思い胸が苦しく詰まってしまう。
「晴坊、どうした?」
浮かない表情の晴吉に門次郎が心配そうな顔をする。
「えっとその…山の中でずっと独りぼっちは神様でも、辛いだろうなって…」
門次郎が優しく晴吉の手をそっと包み込む。
「そうじゃな。そんな優しいお前だから、お山が夢を見せてくれたのかもしれんな」
一通り話し終えた門次郎は「この夢の話は晴坊とわしだけの秘密じゃ」と口添えをした。晴吉は小さな引っ掛かりを覚えつつも、頷いた。




