第七話
―――昔々のこと。それはこの村の成り立ちから始まる。
この村はもともと山から連なる森を切り開いて作った村だった。豊かな水源に肥えた土壌が田畑を作るのに適していた。いまなお枯れることなく、農作物を作れているのがその証拠である。しかし、良い事ばかりではなかった。当時この辺りには風土病があった。どんな病だったかは忘れ去られてしまっているが、毎年少なくない数の村人が犠牲になっていた。
お山とそれに連なる森を開いたために、お山の怒らせてしまったのだと早々に考えた村人たちは、春と秋に怒りを鎮めるために大々的なお祭りを開くようになった。お山に畏怖し慎ましやかな生き方はこのころから始まっていた。
そんな日々がどれくらい過ぎたろうか。子が親になり、子を育む。そしてまたその子が親になる。そんな命の営みを幾重にも幾重にも繰り返したそんなある時。村人が次々と病に倒れ始めた。風土病ではない、全く別のものであった。
人から人にうつり、次々と広がっていく。身体の節々が痛み、意識が混濁するほどの高熱に苦しめられるその病に子供や老人から犠牲になっていった。
健康なものより、病人の方が多くなり、死の村という言葉が脳裏にちらつき始めた。村人たちはお山の怒りが爆発して、この村を滅ぼそうとしているのだと、病に伏せながら恐れおののいた。
偶然か必然か、死の村への一途をたどるこの地に、旅の修験者と巫女がこの村にやってきた。この修験者に村人たちは助けを乞うた。その修験者の見立てでは、いま村を覆っている病はお山の怒りではなく、遠き地より流れてきた病であることが分かった。しかし、病の正体が判明したからといって現状が良くなるわけではなかった。そのため、見かねた修験者は村で猛威を振るう病を疫神として、祀ることにしたのだ。
村に生えていたの若木を神様の憑代として、病状の軽い村人たちを集めて儀式が執り行われたのであった。
疫神を奉るとこれまでの病が嘘のように、村人たちは回復していった。
そして、旅の修験者と巫女はその疫神の祝としてこの村に根を下ろすことになった。
この疫神こそがお流行り様である。
お流行り様の力か、風土病にかかるものもめっきりでなくなり、村人に親しまれていく。やがて、病気平癒、病払いの神様としてだけではなく、豊穣や子孫繁栄といったこの村の守り神として祀られていくことになっていった。
お流行り様が村で祀られてから、さらに年月が流れていく。憑代の若木が立派な巨木になり、ご神木と呼ばれるに遜色なく成長した頃のことだ。
腕のいい猟師がいた。その親父もそのまた親父も腕のいい猟師だったこの男。鹿や猪、熊といった獣はもちろんのこと、空を駆ける蜻蛉を撃ち落としたというのだから相当である。ただ一つ、この猟師は若すぎ、この村が狭すぎた。この猟師の有り余るほどの才覚と技量は狭い村の中で満足できるはずもなかった。そしてそれを抑えるだけの心も持ち合わせておらず、自分の力の発散する場を欲してやまなかった。
お山にはヌシと呼ばれる存在がいた。見上げるほどの巨大な白蛇とも、金色の毛を生やした猿だったとも言われている。
若い猟師はヌシを仕留めるという禁忌を試みた。神がかった才能と技量から放たれた凶弾がヌシを打ち抜き、お山からヌシが消えた。
ときに、山があるからヌシがいるのか。ヌシがいるから山があるのかはわからない。ただ、この二つは切っても切り離せぬ存在であるという事。どちらかが欠けてしまうことは許されない。
治めるものを失ったお山は荒れ始めた。それは荒廃ではない。荒ぶり牙を剥くのだ。山に入った人間はみな、どこか体を欠損して帰ってくるのだ。生きて帰ってくるだけならまだいい、帰ってこないものが大部分だったという。まるで山が失ったものを探し求めるように人を飲む込んでいるようだった。
ヌシを撃った若い猟師は、猟銃の扱い方はおろか日常生活に使っていた簡単な道具さえも扱えなくなってしまった。そして言葉を失った。喋れなくなり、理解することもままならなくなえう。ついには、だれかれ構わず襲い掛かるようになった。唸り声をあげ、歯を剥き出しで襲うその姿は、怒り狂う獣のようだった。最後には、黒い毛が全身を覆うように生え、牙と爪を携えた四足の獣になり山に消えて行ったという。
そして、山につながるこの村の田畑にも影響が出始める。昨日まで順調に育っていた作物が一晩のうちに見るも無残に枯れてしまうという事が幾度となく起こるのだ。
村人は恐怖し、幾度となくお山に対し怒りを鎮めるよう祭祀を執り行うがまるで効果がない。怒り狂い、言葉が届かないそんな様子に似ていた。
日に日に困窮していく村人たちは頭を抱えた。明日にでもこの村自体が山に飲まれ消えてしまうのかもしれないと身を震わせながら。
そんななかで、当時の祝がある案を出した。
――山のヌシを我々が用意すればいいのではないか。
そもそもの発端がヌシの不在である。新たなヌシがいれば荒れた山を治めてもらえば、元通りといわないまでも、それに近い村と山との関係を立て直すことが出来るかもしれない。しかし、ヌシとは特別な存在である。適当なものを見繕っても無意味であり、さらなる怒りを買うことになる。
祝はそんな懸念をあらかじめ分かっていたらしく、その不安を汲み取るように
――お流行り様を山のヌシとして祀ればいい。
村の守り神として祀られているお流行り様に、さらに山のヌシとしての役割を与える。神であるならヌシとして申し分ない。
藁にもすがる思いで村人たちはこれを実行することにした。村の総出あげて山の中に神社を建てて、そこにお流行り様を遷移させた。これらの作業をしている間、村人が山で消えることはなかった。
かくして、お流行り様はお山にお移りになられて、いまに至る――
「お流行り様がお移りになられたのが、わしの婆様が年端も行かぬ娘っ子だったころじゃ」
語り終え、お茶をすすり一息つくおよう婆さん。「手がとまっとるわ」という小言も忘れない。
今の話が真実であるならば、センセイはお流行り様という神様ということだ。
「あのさ、およう婆」
「んっ?」
「なんで、お流行り様は祟るの?」
あの優しいセンセイがそんなことをするとは信じたくなかった。
「そんなことを知ってどうする?」
「どうするって…」
晴吉は身じろぎ口を噤んでしまう。
「本当のところはわからんぞ」と前置き、
「お山にお流行り様を遷移させた当時の祝はな、その際に結びの呪いをかけたそうなんじゃよ」
「結びの呪い?」
「お流行り様はもともと流れてきた疫神じゃ。一定の所にずうっといる事のない…そうさな、渡り鳥のような」
晴吉は語るおよう婆の後頭部を一身に見つめる。
「山に居続けるのが難しい性質だったらしい」
「村の中では長い間いたんじゃないの?」
「人を蝕む病の神様じゃ。人と供にあるのは何ら不自然ではないぞ。それに、余所に流れたくなったなら、自由に出て行って構わないという取り決めの上で守ってもらっとたそうじゃ」
だとするならば、センセイは本当に長い年月この地に留まり続けていることになる。
「でもな、もしかしたらかけた呪いは結びつけるなんて生易しいものじゃなかったのかもしれん。それこそ、縛り付ける。そんな表現の方が近いものかもしれんのだ」
「そこから動けなくさせる…?」
「うむ。だからこそ、お流行り様を慰めるために毎年のように手厚く奉られておったのじゃが…」
門次郎が言っていたことだ。徐々に廃れてしまった行事。そして、思い切って新しい神様を村で祀ることになったのだ。
その事実に胸がつまり何も言えなくなってしまう。
「祝の家がな、ちゃんと継承されていっていれば、こんなことにはならんかったのかもしれんな」
非難めいたことを言うおよう婆さんの背中は、なぜかもの悲しげだった。
「さぁ、話は終わりだ。もう揉まんでええぞ」
先ほどとはうって変わって、張りのある調子になる。晴吉は硬い肩をもみ続け疲れてしまった指を労わるように擦り合わせる。
およう婆さんは「ところで」と言いながら、身体をクルリと回して晴吉の方を向く。
「なんで、私の所に聞きに来たんだ?」
女中たちの話が中途半端に終わってしまったのが理由であることをもう一度言おうとするが、それを先読みしていたのかおよう婆さんは晴吉を手で制止し
「あ奴らが、暇なときにでも捕まえたら喜んでいつまでも話ではないか。普段、噂話に興味なんぞないお前が何でわざわざ儂の所に来た?」
およう婆さんの二つの眼が晴吉を捕えて離さない。気圧されてしまいそうになるくらい力強い。
ごくりと喉を鳴らし、深く息を吸い込み自分を落ち着かせる。あの日門じいに言ったことを思い出しながら。
「えっと…その、夢を見たんだ。お山の中に立ってる神社の夢を。それで、もしかしたら噂と関係あるのかなと思って」
しばしの沈黙。しかし、何事の底まで見通すような眼光は晴吉を離すことはない。
「…その神社はどんな様子じゃったか」
「どんな様子って」
「なんでもええよ」
「…すごく荒れてた。置き去りにされてしまった。そんな感じかな」
「そうか…」
およう婆さんの表情に一瞬影が落ちたように見えた。
「ときに、晴吉や」
「なに?」
「お前の父親と母親はどうしてるんだい」
唐突な質問の意図がつかめない晴吉。
「深い意味はありゃせん。世間話ついでってやつじゃよ」
本当かなと思いつつも
「おっ父は東の村に荷を届けに馬を引いてるよ。」
昨日は南の村。一昨日はさらに別の村。父親は最近出ずっぱりが続いており、晴吉はまともに顔を合わせていない。毎日朝早く出かけ、日が暮れてから帰ってくる。そして、疲れているためさっさと床に入ってしまうのだ。
「母親は?」
「弟と妹の看病しながら、機を織ってるよ」
さきほど、村長宅に届けたのは母親の織った反物である。
「お前の母親はいい機織りでもあり、仕立ての方も確かな腕を持っていたな」
母親の手によって、晴吉の家の家計は持っていると言っても良かった。
「母親に頼んで、そういうのを学んだらいいんじゃないか」
「えっ?」
「前にこのドテラの取れかけた結び紐の手際よく直してくれたじゃろ」
老眼で細かいものが見えにくいおよう婆さんのために縫物をしたことがあった。
しかし、機織りや服の仕立ては女の仕事であるというのがこの土地の考えだ。そんなことを初めようなら、周りからなんといわれるだろうか。
「デクノボーと揶揄されるお前がいまさら何がどうもならんわい。それに、それができて困ることではないだろう。誰に似たのか、お前の兄弟はみな不器用じゃ。母親の持っているものをお前が受け継ぐのが一番じゃよ」
晴吉の考えを見抜いたように言い放ち、
「まぁ、無理にとは言わんわ」
笑い飛ばした。
一しきり話を聞き終えた晴吉は立ち上がり、
「じゃあ、オイラ帰るよ。聞かせてくれてありがとう」
クルリと土間の方に向く途中に視界の端に何かを捕えた。よくよく見ると、物が上に置かれてれいるが、マス目の書いた板だという事が分かる。
「およう婆、将棋できるの?」
「将棋をしっとるのかえ?」
心底意外そうな声を出す。
「けど、なんでわしができるとわかったんじゃ」
「だって、あそこに将棋盤があるじゃない」
埋もれてしまっているマス目の板を指さした。
得心のいかぬ顔をしていたおよう婆さんは「ああ」と察したようだ。
「あれは将棋盤じゃないよ。引っ張り出してごらん」
晴吉はその板を引っ張り出す。
「これは?」
自分の知っている盤よりももっと多くのマス目が書かれた板だった。
「碁盤じゃよ。碁という遊びで使うものじゃ」
「へぇぇ。そんなのもあるんだ」
晴吉は興味深そうにまじまじと見つめている。
「それにしても意外じゃのう。誰に教わったんじゃ」
「センセイ」
言ってしまい、しまったと思った時には遅かった。
「先生?」
嫌な汗が脇の下を濡らしてゆく。
「もも、門じいだよ。門じいが教えてくれたんだ」
「門次郎が?なんで先生なんだ」
「ほほほ、ほら。教えてもらってる時は先生って呼びなさいって言われてたもんだから」
自分でも驚くようなそれっぽい理由が口から飛び出していく。
「そうか、門次郎がね…」噛み砕くように思案しているおよう婆さん。
これ以上ぼろが出ないうちに早々に退散することに。
「晴坊や。将棋の相手もええが、碁も教えたる。暇な時にまた来い」
およう婆は見送る背中にそう投げかけてくれた。
「ありがとう。およう婆」




