第6話〜はじめてのクラブ選び〜
土曜のレッスンが終わった後、佐伯コーチが差し出した一枚の用紙を、父・恒一は両手で捧げ持つようにして受け取った。白衣を脱いだ休日の父は、病院での冷静な顔とは別人のように口元が緩んでいる。
「来月のジュニアゴルフ検定会、弥々魅ちゃんの申し込みが無事に通りましたよ。Cランクでの受検です」
「弥々魅が……検定会に……」
「お父さん、涙は早いですよ」
コーチが笑いながら釘を刺す。恒一は慌てて咳払いをしたが、目の端はもう潤んでいた。隣で聞いていた弥々魅は、わくわくした顔で小さく拳を握る。
「検定会って、ランクをつけてもらうんだよね?」
「そうだよ。Cランクは成績で7級から9級に分かれるから、弥々魅ちゃんは一番上の7級が目標かな」
佐伯コーチはしゃがんで目線を合わせた。
「それでね、今使ってるクラブは貸出用でしょ。毎回感覚が変わっちゃうから、そろそろ自分に合った道具を揃えようか」
「じぶんの……!」
弥々魅の目が、ぱっと輝いた。
◇ ◇ ◇
翌日の日曜、七瀬家は家族総出で香椎浜のスポーツ用品店へ向かった。運転席には母・美沙、後部座席には、今回は久遠の姿もある。
「お兄ちゃんも来てくれるの?」
「弥々魅のウェア選びだろ!何がなんでも行くに決まってる」
久遠は得意げに胸を張ったが、美沙が前を向いたまま、くすりと笑う。
「昨日の配信、お母さんも見てたわよ。『エイム神』って」
「見てたの!?」
顔を真っ赤にした久遠の悲鳴に、車内に笑いが広がった。
店に着くなり、恒一は店員に詰め寄る勢いで話しかけた。
「娘が今度、検定会に出るんですが、クラブを一式、いや最高のものを──いや見た目より機能性か?だが弥々魅には可愛いものを身につけて欲しい──最高の見た目と性能を持った物を用意して下さい」
「あなた、落ち着いて」
美沙がやんわり止める。ジュニア用のコーナーへ案内されると、店員の男性は弥々魅の身長を測りながら説明を始めた。
「お子さんの場合は、身長に合わせてシャフトの長さを選ぶのが基本です。それと、まだ体が出来上がっていない年齢なので、硬いシャフトだと振り切れなくて球が上がりにくいんですよ」
「なるほど……。佐伯さんのメモ通りですね」
恒一がスマホを開くと、事前にもらったメモが表示されていた。〈ジュニア用カーボン、フレックスは柔らかめ。番手は7番を中心に、まずは5本前後で十分〉。
「7番から入るんですか。ドライバーから選びたがる子が多いんですけどね」
店員が感心したように言うと、久遠がニヤリとする。
「いやー実は、うちの妹はアイアンが別格なんで」
「久遠、余計なこと言わない」
美沙にたしなめられても、久遠はどこ吹く風でスマホを構えていた。
店員が勧めるモデルの隣に、パステルカラーのラインが入ったジュニアクラブが並んでいた。ブランドロゴには「YONEXIS」の文字。
「あ……これ、かわいい」
弥々魅の目が、黒い機能一辺倒のモデルから一瞬でそちらに移る。
「実はそのヨネクシスの水色ライン、フレックスも番手構成もメモの通りなんだよ。見た目が違うだけで、中身は同じ」
店員のフォローに、恒一が食い気味に頷いた。
「なら決まりだな。可愛いは正義だ」
「あなた、機能性はどこに行ったの」
美沙の突っ込みに、恒一は聞こえないふりをした。
試打用のマットで、弥々魅は勧められたクラブを何本か素振りした。
「これは、ちょっとおもい」
「じゃあ、こっちは?」
「これは、ふりやすい!」
握った瞬間、掌に懐かしい感覚が走った。体が小さくなっても、クラブを握る手の感触だけは変わらない──そんな気がした。構えた姿は、六歳の少女とは思えないほど様になっていて、通りがかった別の客が思わず足を止める。恒一は誇らしさとそわそわを混ぜた顔で頭を下げた。
「すみません、見学は……いや、娘が可愛いので仕方ないんですが……」
「父さん、謝りながら自慢するなよ」
久遠の突っ込みに、美沙が小さく吹き出した。
売り場の奥、ガラスケースに囲まれた一角に、洗練されたロゴの高級ラインが展示されていた。「NOMIA」。
「これ、一ノ宮さんのところのブランドじゃないか」
恒一が足を止めると、久遠がぽつりと言った。
「一ノ宮スポーツな。あの玲央ってやつの家だろ」
「……お前、なんで知ってるんだ」
「ネットで見ただけだよ。ほら、有名な会社だし」
目を逸らす久遠を、恒一がじとりと見る。値札をのぞいた美沙は、小さく眉を上げた。
「桁が違うわね……」
弥々魅だけは展示を素通りし、先ほど選んだクラブを大事そうに抱えたままだった。
クラブの次は、グローブとシューズだ。手のサイズを測ってもらいながら、弥々魅は棚に並んだグローブを見比べる。
「これ、きれいな水色……でも、ピンクもかわいい……」
「両方買おう」
即決する恒一に、美沙が呆れた声を出す。
「あなた結局、機能性では選ばないの?」
「機能性も大事だが、弥々魅に似合うかの方が大事だろ」
「屁理屈」
シューズは何足か履き比べ、歩きやすさとグリップ力を確かめて、スパイクレスの一足に決まった。バッグは、弥々魅が真っ先にグローブと同じ水色を指さした。
「ブランド、全部ヨネクシスで揃っちゃったな」
久遠が笑いながら、スマホを構え続けている。
最後にウェア売り場へ。ラックにはスカートタイプとショートパンツタイプが並んでいた。
「弥々魅にはやっぱりスカートだろう。何より可愛いしな」
「いや、スイングするならショートパンツの方が動きやすいって。それに、変な目を向けてくるやつがいるかもだろ!」
「……お前の眼が一番心配だがな」
「なんでだよ!俺はあくまで兄としてのラインで踏みとどまってる!」
「普通は踏みとどまるまでもなく、そんな目は向けん」
「父さんだってさっきからスカートばっかり見てるじゃん!」
「娘に似合う服を選んでいるだけだ!」
「俺だって妹に似合う服を選んでるだけだ!」
「いやお前の目は欲望に染まっている。父親が言うんだから間違いはない。これからはあまり弥々魅に近づきすぎるなよ」
「───!」
「───!!」
終わりそうに無い二人の言い争いに、美沙が呆れてラックの奥から一枚取り出した。
「はいはい、これでいいでしょ。それとお店の中で騒がないの」
スカートに見えて、中はショートパンツになっているキュロットだった。
「見た目は可愛くて中は動きやすい。文句ないでしょう?」
恒一と久遠は顔を見合わせ、同時に頷く。
「……キュロット、天才だな」
「…確かに、でも父さん可愛すぎてルール違反にならないかな」
試着室から出てきた弥々魅が、くるりと一回転した。
「動きやすい!かわいい!」
その笑顔で、父と兄の論争はあっさり終結した。
◇ ◇ ◇
会計を済ませる頃には、両手いっぱいの紙袋が家族それぞれに配られていた。
「よし、これで検定会の準備は万端だ」
恒一が満足げに頷くと、久遠がスマホの画面を向けてくる。
「はい、道具選び終了です。お父さん、一言どうぞ」
「お前、本当に撮ってたのか!」
「家族の思い出用だよ。配信には出さないって、知ってるだろ」
久遠は少しだけ真面目な声で言った。妹を配信に出さないというのは、始めたときから決めていることだった。
「……編集して、あとで送る」
「ありがとう、お兄ちゃん」
弥々魅は新しいグローブの入った袋を抱えて、店の外に出た。夕方の空を、海沿いの風が渡っていく。
──この風、ジミーならどう読むだろう。
ふと頭の奥をかすめたその感覚に、弥々魅自身も気づかないまま、口元がほんの少し緩んだ。
「弥々魅、寒くない?上着を着ようか」
「へいき!早く練習したいな」
「今日はもう暗いから、また今度な」
父にたしなめられ、弥々魅は残念そうに、それでも新しい道具の入った袋をぎゅっと抱きしめた。家族四人の影が、夕暮れの駐車場に並んで長く伸びていく。
検定会まで、あと三週間。




