第5話〜初めてのお誘い〜
弥々魅の7番アイアンでの成果を見て気を良くした佐伯は、続けて別のクラブを弥々魅に渡した。
「じゃあ次、9番いってみようか。さっきより近い目印を狙ってみて」
「はい!」
弥々魅は素直に頷き、また新しい重さのクラブに手を馴染ませる。構えるたびに、体の中を流れる感覚が少しずつ鮮明になっていくような気がした。
打ち出されたボールは、今度は目印のさらに近く──誰の目にも「狙って落とした」と分かる場所に着地した。
「え、また!?」
「弥々魅ちゃん、天才かよ……」
周囲の打席からも、いつの間にか視線が集まっていた。他の生徒たちが手を止め、ざわめきながらこちらを見ている。
「弥々魅ちゃん、次はあっちのターゲットも狙ってみようか」
佐伯の声も、どこか弾んでいた。何球か続けて打つたびに、着弾点は少しずつ目印に近づいていく。完璧とは程遠くとも、明らかに「狙って、寄せている」という一貫性があった。
けれど当の弥々魅だけは、胸の内で小さく首を振っていた。
(まだ、一歩分ずれてる……)
その様子を、玲央はずっと黙って見つめていた。腕を組んだまま、口元だけがきゅっと引き結ばれている。
弥々魅が一区切りついて水分補給に戻ると、玲央がまっすぐに歩み寄ってきた。
「七瀬さん、佐伯コーチも、ちょっといいですか」
「うん?」
「はい、なんでしょう」
玲央は姿勢を正すと、少し緊張した面持ちで切り出した。
「来月にジュニアの大会があるんです。正式には検定会なんですけど。俺と他にも何人かクラブから出るつもりなんですが──良ければ、七瀬さんも出てみませんか」
思いがけない誘いに、弥々魅は目を丸くした。
「大会……わたしが?」
「うん。今日の球を見て思った。七瀬さんとなら、いつか本気で戦える気がする」
真剣な眼差しだった。子供らしい高揚感ではなく、もっと静かな、確かな熱を帯びた声だった。
佐伯が興味深そうに顎に手を当てる。
「玲央くんがそこまで言うのは珍しいな。……七瀬さん、どうされますか?弥々魅ちゃんはまだ始めたばかりですけど、技術としては充分だと思います」
「出る!やってみたい!」
「娘もこう言ってますので、可能でしたら是非」
弥々魅は迷うことなく、元気よく答えた。断る理由も、迷う理由も、特に見当たらなかった。
「決まりだね」
玲央の口元に、初めてはっきりとした笑みが浮かんだ。負けたことがない、という自負とは少し違う、対等な相手を見つけた喜びのような表情だった。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。七瀬家のリビングでは、いつも通りの夕食が始まっていた。
「今度、検定会に出ることになったの!」
弥々魅が張り切って報告すると、母が目を輝かせた。
「検定会?どんな事をするものなの?」
「玲央くんが誘ってくれたの。ゴルフの……」
その名前が出た途端、久遠の箸が止まった。
「玲央くん?誰だそれ」
「今日クラブで会った子。同い年で、すっごい上手いの」
久遠はじろりと目を細めた。配信で鍛えた勘の良さなのか、妹に関することとなると異様に鋭くなる兄の癖が発動する。
「……その男、弥々魅のこと誘ったのか?その検定会ってのに?」
「うん!一緒に出ようって」
「怪しい」
久遠は箸を置き、腕を組んだ。
「初対面でいきなり誘うとか、下心しかないだろそれ」
「久遠、気持ちは分かるが考えすぎだ」
父が苦笑まじりにたしなめるが、久遠は納得いかない様子で首を振った。
「父さんは弥々魅が可愛いから鈍ってるんだよ。俺は分かる、同年代の男の目線は」
「鈍ってはいない。お前をしっかり見張っているのが何よりの証拠だ」
「俺のは純粋な兄としての愛情だよ!」
「年々、濁って汚らわしくなっていってるぞ」
「いや言い過ぎだろ!」
「……ふたりとも、ご飯の時は静かにして。あと恥ずかしいよ」
弥々魅がぽつりと呟くと、母が小さく吹き出した。
「うっ、とにかく、その玲央とかいうやつは俺が今度しっかり見極めてやるから」
「見極めるって何を……」
呆れたように呟きながらも、弥々魅の表情は柔らかかった。兄の過保護さはいつものことだが、大事に思ってくれていることは、ちゃんと分かっていた。
◇ ◇ ◇
その夜、自室に戻った久遠は、パソコンの前に陣取っていた。
「一ノ宮、玲央……っと」
検索窓に打ち込んだ名前の下に並んだのは、思いがけない結果だった。「一ノ宮スポーツ」──全国にチェーン展開するスポーツ用品大手企業のロゴが、画面いっぱいに表示される。
「……マジか」
思わず声が漏れた。企業サイトの沿革ページには、創業者一族の名として「一ノ宮」の文字が何度も登場している。長男という文言も見つけ、久遠の眉間の皺がさらに深くなった。
「金持ちのボンボンが、うちの弥々魅に……いや待て、金があるから余計に怪しいまであるな」
そのまま自分にも返ってくる独り言をこぼしながら、久遠はさらにページをスクロールする。ジュニア育成にも力を入れている、という一文を見つけ、ますます複雑な顔になった。
「真面目な家っぽいな……いやでも息子は分からんし……」
結局、結論は出ないまま、久遠はブラウザを閉じてベッドに倒れ込んだ。とりあえず、今度その玲央とやらを一度この目で見極める──その決意だけは固まっていた。
同じ夜、弥々魅は自室の窓辺に立ち、外を見上げながら、右手をそっと握りしめた。
大会──初めての挑戦。まだ体はうまく言うことを聞かないし、感覚に追いつけないことばかりだ。それでも、玲央のあの真剣な眼差しを思い出すと、胸の奥がじんわりと熱を帯びた。
(本気で戦える気がする、って言われた……)
誰かにそんなふうに見てもらえたのは、初めてかもしれなかった。
遠くの空に浮かぶ月を見上げながら、弥々魅は小さく笑った。次の一歩が、少しずつ、確かな形になろうとしていた。
◇ ◇ ◇
翌朝、教室に入るなり、弥々魅は真っ先にひなたの席へと駆け寄った。
「ひなた、聞いて!わたし、大会に出ることになったの!」
「え、大会?ゴルフの?」
「うん!一ノ宮くんっていう子に誘われて」
目を輝かせながら報告する弥々魅に、ひなたは一瞬きょとんとした後、にやりと口角を上げた。
「一ノ宮くん……男の子?」
「うん、同い年の」
「ふーん」
意味ありげな笑みに、弥々魅は首をかしげた。
「なに、その顔」
「べつにー。でもさ、初対面でいきなり誘うとか、結構本気じゃない?それ」
「うん、一ノ宮くんは本気でゴルフをやってるよ!」
「うーん、まあゴルフにも、だけどね」
言葉を濁すひなたに、弥々魅はますます分からないという顔をした。昨日の久遠の反応を思い出し、思わず苦笑がこぼれる。
「そういえば、お兄ちゃんも同じようなこと言ってた。怪しいとか、見極めるとか」
「あ、それ分かる。お兄さんの言うことは正しいと思うよ」
「二人とも大げさだよ。ただゴルフが上手くて、一緒に頑張りたいって、それだけだと思うけど」
あっけらかんと言い切る弥々魅に、ひなたは肩をすくめた。
「まあ、弥々魅がそう言うならいいけど。……で、それっていつ? 試合みたいなやつ?」
「来月! ええと、正式には検定会っていって、勝ち負けじゃなくて、成績でランクをつけてもらうんだって。わたしはCランクに挑戦するの。成績次第で、7級から9級まで分かれるんだけど、その一番上の7級を取りたいんだ。ひなたも見に来る?」
「へえ、そういうのなんだ。行く行く!応援する!」
二つ返事の元気な答えに、弥々魅の顔がぱっと明るくなった。そして、ちゃっかりと付け加える。
「じゃあ、お弁当も作ってきて。7級が取れたらご褒美で」
「ずるい、なんでわたしが」
「友情の証、みたいな?」
「食欲じゃん」
ぶつくさ言いながらも、ひなたの口元はどこか嬉しそうに緩んでいた。
「まあでも、弥々魅のお願いだし、お母さんに相談してみるね。……その代わり! 7級に届かなかったら、弥々魅がわたしにお弁当作ってよね」
「え、わたし料理したことないよ!?」
「じゃあ、7級を取るしかないじゃん」
「そんな理不尽な……」
笑い合う二人の周りで、朝のホームルームが始まろうとしていた。まだ何も成し遂げていないのに、応援してくれる人がいる──それだけで、胸の中に温かいものが広がっていく。
(頑張ろう)
右手をそっと握りしめながら、弥々魅は小さく決意を固めた。検定会当日まで、あと一か月。新しい目標に向かって、日々はまた少しずつ動き出していた。




