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ゴルフ界の伝説を受け継ぐのは6歳の少女でした ―7番の後継者―  作者: 純羽 碧(すみはね あお)


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3/10

第2話〜二つの才能〜

 ジュニアゴルフスクールは福岡市東区にある「カシイスポーツクラブ」という大きな練習場に併設されていた。

 

 週末の朝、弥々魅は父に連れられてその門をくぐる。潮の匂いの混じった風が、練習場の緑を揺らしていた。

 

 すでに体験や通いの生徒たちが、コーチと並んでボールを打っている。そんな中、弥々魅の姿に気づいた途端、あちこちでスイングの手が止まっていく。

 

「……ねえ、あの子」「わぁ…!かわいい……」「ハーフなのかな、綺麗な瞳」

 

 ざわめきが波紋のように広がる。まだ幼さの残る顔立ちなのに、目鼻立ちは尋常でないほど整っていた。弥々魅自身はそうした視線に慣れておらず、少し居心地悪そうに俯く。

 

「思ったより広いんだね」

「博多湾が見渡せるのが売りらしい。福岡市内でも指導実績があるそうだ」

 

 父は口元を緩めつつも、内心では気を揉んでいた。

 (……こんなに人目を引くと、変な虫が寄ってきやしないか)

 

 カシイスポーツクラブでコーチをしている佐伯は、弥々魅と目が合った瞬間、一瞬足を止めた。まるで美術品を目に焼き付ける時のような、わずかな間があってから、我に返ったように歩み寄る。

 

「は、はじめまして。

 ご連絡を頂いてた七瀬さんですね。本日お子さんを担当します、佐伯です」

「七瀬です。佐伯さん、本日は宜しくお願い致します。」

「七瀬弥々魅です。よろしくお願いします」

「じゃあ、まずはグリップの持ち方から──」

「えっと……握り方は、分かります」

 

 思わず口を突いて出た言葉に、佐伯が驚いた顔をする。

 

「経験があるの?」

「いえ、初めてです。でも……そのテレビで見たりしてるので」

 

 渡された9番アイアンを握ると、佐伯の目が、わずかに細くなった。素振りをさせると、弥々魅の身体は迷いなく動いた。腰の切り方、肩の開き方、体重移動──何百回と繰り返してきたかのように。

 

「……もう一回、やってみようか」

 (今のスイング、ボールを置く位置を正確に振り抜いてた)

 

 佐伯の声が、わずかに硬くなる。二度目は、一度目よりさらに滑らかだった。

 

「失礼ですが、お嬢さん、本当に初めてなんですか?体操とか、他のスポーツの経験は」

「いえ、特には」

 

 父も戸惑いを隠せない様子で答える。

 佐伯は、一本のクラブを弥々魅に手渡した。


「基本のスイングは大丈夫そうだね。じゃあ、次はこの7番アイアンを持ってみようか」


 弥々魅が首をかしげると、佐伯は優しく説明を続けた。


「7番アイアンはね、クラブの真ん中くらいの長さで、重さも長さもちょうどいいんだ。ボールも上がりやすいから、初めての子はまずこれでゴルフの基本の振り方を覚えるんだよ」


 弥々魅は頷いて、クラブを受け取る。

 構えた瞬間、頭の中に誰かの声が蘇った。狙いを定め、振り抜く。

 

 カシュッ。

 

 乾いた音とともに、ボールは迷いのない弾道でネットの奥まで飛んだ。練習場が、一瞬静まり返った後、コーチの1人が思わず呟く。

 

「……嘘だろ。あの子、初心者じゃないのか?フォームも弾道も完璧じゃないか」

 

 弥々魅は自分の右手を見つめて不思議な感覚を味わっていた。芯を食った感触──これだ、この感覚を待っていた気がした。

 

「もう一球、いいですか」

 

 二球目も三球目も同じように綺麗な弾道を描き、佐伯はコーチとしての言葉を失った。周りの打席からも生徒やコーチの視線が集まり、その視線はスイングと、整いすぎた横顔の両方に注がれている。

 

 少し離れた場所から見ていた父は、腕を組んでいた。娘の才能を認められた誇らしさと、あっという間に注目を集めてしまう不安が、胸の中でない交ぜになる。

 

 (……先が思いやられるな。久遠にも何と説明するか)

 

 小さく、ため息をついた。

 

    ◇ ◇ ◇


その日の朝、実は──家ではひと悶着あった。


「俺も行く!」


 朝食の席で久遠が言い出した。


「弥々魅の初めてのゴルフだよ?兄として見届ける義務があるでしょ」

「久遠、お前は今日、友人と約束があると言ってただろう」

「あー、あれ?別にいいよ、断る」

「即答するな」


 父はコーヒーを飲みながら、息子を一瞥した。


「お前が行ったら、絶対に騒ぐだろう」

「騒がないって!静かに応援するから!」

「お前が静かにできた試しがあったか」


 ぐっ、と久遠が言葉に詰まる。

 それでも諦めきれず、久遠は食い下がった。


「だってあいつらとはいつでも遊べるけど、弥々魅の初めてのゴルフは今日しかないんだよ?弥々魅のほうが大事に決まってるじゃん」


 その瞬間、食卓の空気が、すっと冷えた。


「……久遠」


 静かな声だった。

 母が、いつもの穏やかな微笑みを浮かべたまま、箸を置いている。


「ひと月も前に、約束したのよね?」

「え、いや、母さん、でも」

「約束した相手の方も、楽しみにしてくれているのよね?」

「……はい」

「そう。それなら、どうするのが正しいのかしら」


 声は優しい。表情も柔らかい。

 けれど、父も弥々魅も、そして久遠自身も知っていた。この家で、本当に怒らせてはいけないのは、にこやかに微笑んでいる時の母だということを。

 父はいつの間にかコーヒーカップで顔を隠していた。弥々魅も、そっと卵焼きに視線を落とす。


「……友達との約束、行ってきます」

「ええ、いってらっしゃい。弥々魅の話は帰ってからゆっくり聞けるでしょう?」

「……はい」


 しゅんと肩を落とす久遠に、父が小さく咳払いをして、とどめを刺す。


「ほら、さっさと準備してこい。遅刻するぞ」


 結局、久遠は渋々と出かける支度をして、玄関で靴を履きながら、ぼそりと呟いた。


「……帰ったら、絶対詳しく聞くからな」

「うん、分かった。お兄ちゃん行ってらっしゃい」


    ◇ ◇ ◇

 

 練習場からの帰り道、車は海の中道大橋を渡り、博多湾沿いの道を走っていく。父はずっと何かを考え込んでいる様子だった。

 

「お父さんどうしたの?」

「弥々魅は天才かもしれないな、と思ってな」

「そんな大げさだよ」

「大げさなものか。佐伯さんの顔、見ただろう。あれはお世辞で驚いてた顔じゃないさ」

 

 弥々魅は窓の外に流れる景色を眺めながら、自分の右手をもう一度そっと見つめた。

 ──アレクサンダー。

 夢の中で聞いた名前が、ふと頭に浮かぶ。自分の中にあるのは、きっと、その人の記憶と技術なのだろう。

 どうしてそんなことが起きたのか、まだ何も分からない。

 けれど──

 

(もっと、打ちたい)

 

 その気持ちだけは、よりはっきりと胸の中にあった。

 

    ◇ ◇ ◇

 

 七瀬親子がカシイスポーツクラブを後にしてから、一時間ほど経った頃。入れ違うようにして、練習場の駐車場に一台の黒塗りの高級車が滑り込んできた。

 

 降り立ったのは、弥々魅と同年代の少年だった。

涼しげな瞳に、さらりと揺れる細い髪。気品のある整った顔立ちには、幼さの中にも育ちの良さが滲んでいる。恵まれた体躯は同年代の中でも頭ひとつ抜けていて、足取りにはすでに大人びた自信があった。

 一ノ宮玲央(いちのみや れお)。スポーツ用品を扱う大企業・一ノ宮グループの長男である。

 

「今日もお願いします、コーチ」

 挨拶する横で、常連の生徒たちが何やらひそひそと話し込んでいる。

 

「その子、初めてなのにスイング全然ブレねぇの」「7番でビタビタに寄せてた!」「俺、佐伯さんが固まってたの見たぜ」「あとめちゃくちゃ可愛い!」

 

 聞くともなしに耳に入ってきた会話に、玲央は片眉を上げた。

 

「……何の話ですか?」

「玲央くん、今日入れ違いで、すごい子が来てたんだよ。初めてなのにフォームが完璧で、佐伯コーチが『フォームも弾道も完璧だ!』って言うくらいだったんだ」

「初心者がちょっとまぐれで当てただじゃなくて?」

「いや、それが……様子が違ったんだよ。何度繰り返しても狙った目印から2mも無いとこに落とすんだ。俺らもみんな口開けて見てた」

 

 いつも軽口ばかりの先輩たちの、珍しく真剣な顔に、玲央はわずかに眉をひそめる。

 

「……名前は何で言うんですか?」

「七瀬、とかって呼ばれてたかな」

「七瀬……」

 

 玲央はその名を、小さく口の中で繰り返した。

 

(一応、覚えておこうかな)

 

 気持ちを切り替え、クラブを握り直して打席に立つ。

 

 キィィン──

 

 夕方の陽を受けて、白いボールが一直線に飛んでいく。見ていた生徒たちの間から、小さなどよめきが起こった。

 

「うわ、今の伸びやばくない……?」

「さすが玲央くん、同学年じゃ次元が違うわ」


  けれど、その称賛の声はほとんど耳に入らなかった。

この日聞いたばかりの「七瀬」という名が、やがて自分にとって、とても大きな存在になることを玲央はまだ知らなかった。

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