第十三章 掲載
日曜日の朝、恒一は誰よりも早く起き、コンビニに新聞を買いに走った。地方新報の一面には出ていなかったが、社会面の見開きに、田代の記事が大きく掲載されていた。
「『日本再興機構』の実像――保守運動を動かす資金の迷路」
見出しの下に、複雑な相関図と、恒一が見覚えのある企業名、団体名が並んでいた。倉橋興産の名前も、小さくではあるが記されていた。父の名前ではなく、あくまで法人名として。田代なりの配慮なのだろうと、恒一は思った。
家に戻ると、多恵子と征二がすでに居間で新聞を広げていた。誰も口を開かなかった。しばらくして、征二がぽつりと言った。
「思ったより、控えめに書いてくれてるな」
「田代さんが、家族のことは最小限にするって、約束してくれた」
多恵子は記事を最後まで読み終えると、静かに新聞を畳んだ。
「これで、終わりじゃないのよね」
「まだ、二回目、三回目がある」
その日のうちに、恒一のスマートフォンには複数の着信とメッセージが届いた。橋本からの怒りに満ちた長文、見知らぬ番号からの無言電話、そしてSNS上では、既に記事の内容が拡散され始めていた。皇道会の名前がSNSのトレンドに上がっているのを見て、恒一は複雑な気持ちになった。かつて自分が声を張り上げていた場所に、今度は自分の名前が――正確には「元会員」として――載っている。
夕方、氷室から一通のメッセージが届いた。
《見事です。ですが、これで終わりだと思わないでください》
恒一はその文面を、何度も読み返した。脅しというより、まるでゲームの続きを告げるような、乾いた響きがあった。
翌週、二回目の記事が掲載された。皇道会と日本再興機構の資金関係、そして他の右派団体、複数の地方議員後援会への迂回献金の実態が、より詳細に暴かれた。この回では、黒沢の名前も実名で登場した。
その日の夜、恒一のもとに、黒沢本人から電話がかかってきた。
「見たぞ、記事」
声には、怒りよりも、諦めに似た疲労があった。
「会は、たぶんもう終わりだ。支援者は離れていくだろうし、警察の内偵も入るかもしれん」
「……そうですか」
「お前を恨んじゃいない。むしろ、清々してる部分もある。三十年、この道を歩いてきて、最後にお前みたいな若いのに、目を覚まさせられるとはな」
「黒沢さんは、これから、どうするんですか」
黒沢はしばらく黙っていた。それから、静かに言った。
「分からん。今更、他の生き方なんぞ、思いつかない。だが、少なくとも、これ以上、誰かを利用する側には回りたくないと、今は思ってる」
その言葉を最後に、電話は切れた。恒一は、しばらくスマートフォンを握りしめたまま、動けなかった。三十年間、一つの思想に身を捧げてきた男の、あまりにも軽く、それでいて重い最後の言葉だった。
三回目の記事――氷室悠の経歴と手法を暴くもの――の掲載を前に、田代から緊急の連絡が入ったのは、金曜日の夜だった。
「明日の朝刊、差し止めの動きがあります」
「差し止めって、誰が」
「氷室の関係者が、複数の地方議員を通じて、うちの本社に圧力をかけてきている。編集局長は掲載を続けると言ってますが、状況は流動的です」
恒一は受話器を強く握った。ここまで来て、最後の一手が止められるかもしれない。その事実に、腹の底から怒りがこみ上げてきた。
「俺にできることは」
「今のところ、ありません。ただ、明日の朝、もし掲載が実現したら、氷室が最後の手段に出る可能性があります。あなたと、あなたのご家族は、しばらく注意していてください」
電話を切ったあと、恒一は家族全員をリビングに集めた。父、母、そして数日前に戻ってきた美咲。四人が、こんな風に一つの場所に揃うのは、久しぶりのことだった。
「明日、記事が出るかもしれない。最後の記事だ」
恒一は静かに言った。
「氷室の正体を暴く記事だ。もし出たら、向こうは、最後の手段に出るかもしれないって、田代さんが言ってた」
家族は、しばらく無言だった。やがて征二が口を開いた。
「覚悟は、もうできてる」
多恵子が頷いた。美咲も、震える声ながら、はっきりと言った。
「私も、逃げない」
恒一は家族の顔を、一人ずつ見つめた。父の裏社会、母の規律、妹の日常――それぞれ全く異なる場所で生きてきた四人が、今、初めて同じ方向を向いていた。




