第十二章 狩り
記事の掲載予定日が決まったのは、十二月に入ってすぐのことだった。田代の連載は三回に分けて掲載される予定で、初回は日本再興機構の資金構造、二回目は皇道会をはじめとする右派団体との関係、三回目で氷室悠という人物の経歴と、その手法が詳細に暴かれることになっていた。
「初回の掲載は、来週の日曜です」
田代からの連絡を受けた夜、恒一は妙な胸騒ぎを覚えた。これまでの静けさが、まるで嵐の前の凪のように感じられた。
その予感は、二日後に的中した。
夜、恒一が一人でコンビニからの帰り道を歩いていると、路地の陰から複数の人影が現れた。街灯の少ない道だった。恒一はとっさに身構えたが、四人の男に囲まれるのに時間はかからなかった。
「倉橋恒一だな」
先頭に立つ男が言った。見覚えのない顔だった。皇道会の人間でもなさそうだった。
「誰だ、あんたら」
「田代とかいう記者に、余計なことを吹き込んでるらしいな」
男の一人が距離を詰めてきた。恒一は後ずさったが、背後にも別の男が回り込んでいた。
「逃げ場はないぞ」
殴られることを覚悟した瞬間、恒一の脳裏に、これまでの街頭での「殴られ、殴る」という行為の記憶が蘇った。あの時は、それが正義のための代償だと信じていた。今、目の前にある暴力には、そんな大義名分の欠片もなかった。ただの、剥き出しの力だった。
最初の一撃が腹に入った。息が詰まり、恒一は膝から崩れ落ちた。地面に手をついた瞬間、背中に鈍い衝撃が走った。誰かが蹴りを入れたのだと、少し遅れて理解した。
「記事を止めさせろ。お前にできることは、それだけだ」
声が頭上から降ってきた。恒一は歯を食いしばりながら顔を上げた。目の前の男の顔が、街灯の逆光でよく見えなかった。
「止め……止めない」
かすれた声で、それでもはっきりと言った。もう一発、頬に衝撃が来た。視界が揺れ、口の中に鉄の味が広がった。
「命が惜しくないのか」
「惜しい……。だけど、ここで止めたら、俺は、俺のままでいられない」
その言葉が、自分でも驚くほど、迷いなく口から出てきた。男たちは顔を見合わせた。それから、リーダー格の男が舌打ちをした。
「今日は、これくらいにしといてやる。次はない」
男たちは去っていった。恒一は路地に一人残され、しばらく立ち上がることができなかった。腹の痛みと、頬の熱さの中で、不思議と恐怖よりも、ある種の静かな確信が胸の中に広がっていた。
自分は、この痛みを、これまで何度も他人に与えてきた。街頭で、規制線の向こうで、拳と怒声で。今、その痛みが自分に返ってきている。それは、因果応報という言葉では片付けられない、もっと根源的な何かだった。暴力は、誰の手にあっても、同じ質量を持つ。正義の側にあろうと、悪の側にあろうと。
スマートフォンを取り出し、震える指で家族にメッセージを送った。それから、田代にも短く連絡した。
《襲われた。大丈夫。記事は止めるな》
病院で軽い打撲と診断され、恒一が家に戻ったのは深夜だった。玄関には、征二と多恵子が並んで待っていた。二人とも、何も言わなかった。ただ、征二が恒一の肩に手を置き、多恵子が濡れたタオルを持ってきた。
「警察には」
多恵子が聞いた。
「言わない。田代さんとも、そう決めてる。今、動くと、記事のほうに影響が出るかもしれない」
征二はしばらく黙っていたが、やがて低く言った。
「その連中、うちの若い衆じゃない。皇道会の人間でもない。おそらく――」
「氷室が、外部から雇った人間ってことか」
「そうだろうな。あの男は、自分の手を汚さない代わりに、いつでも代わりの手を持っている」
恒一は頬の痛みに顔をしかめながら、拳を握った。
「記事、絶対に止めない」
その声には、これまでのどんな街頭演説よりも、強い決意が宿っていた。だがそれは、誰かに教え込まれた「正しさ」ではなく、恒一自身の言葉だった。




