第十一章 証言
田代から連絡が入ったのは、征二が退院してから数日後のことだった。
「証言者が見つかりました。氷室悠の、公安時代の元同僚です」
「本当に会ってくれるのか」
「匿名を条件に。今夜、会えますか」
指定されたのは、隣県の郊外にあるファミリーレストランだった。田代の車で向かう道すがら、恒一は窓の外を流れる夜景を見つめていた。街の灯りの一つ一つに、自分のような人間が、自分のような迷いを抱えて生きているのだろうかと、ふと思った。
店の隅の席で、初老の男が待っていた。名前は名乗らなかった。かつて公安部で氷室と同じ班にいたという、その男の目には、疲れと、どこか諦めに似た色があった。
「氷室は、優秀な男でした。だが、優秀すぎた」
男は水を一口飲んでから続けた。
「公安が扱う情報の中には、政治的にデリケートなものが多くある。彼は、その情報の扱い方――誰に、どう使わせるかという部分に、次第に興味を持つようになった。表向きは国のためと言いながら、実際には、情報を握ることで、政治家や企業に対する影響力を蓄えていった」
「それで、辞めたんですか」
「辞めさせられた、が正確です。内部調査で、彼が民間の資金コンサルタントとして、複数の政治団体に情報を横流ししていたことが発覚した。表沙汰にはならなかった。組織の恥だから」
田代がメモを取りながら聞いた。
「日本再興機構との関係は」
「彼が辞めた後、最初に作った器がそれです。表向きは政策研究団体。実態は、彼が公安時代に培った『世論の作り方』を、金に変換するための装置だ」
「世論の作り方、というのは」
初老の男は、しばらく黙っていた。それから、静かに言葉を選ぶように話し始めた。
「怒りは、コントロールしやすい感情です。特に、若く、正義感が強く、居場所を求めている人間の怒りは。氷室は、そういう人間を見つけては、思想団体に橋渡しをし、資金を流し込んで活動を活発化させる。活発化した活動は、メディアの注目を集め、対立を煽り、それがまた新たな『怒り』を生む。その循環の中で、票と金が生まれる」
恒一は拳を握りしめていた。自分の街頭での叫びが、自分の信じてきた「正しさ」が、この男の語る「循環」の一部品として、あまりにも正確に符合していた。
「あなた自身の言葉で、証言してもらえますか。記事の中で」
田代が聞いた。男は長い沈黙のあと、首を振った。
「匿名でなら」
「分かりました」
田代はそう言ってメモ帳を閉じた。恒一はその夜、家に帰る車の中で、ずっと無言だった。田代がそれを気遣うように言った。
「辛いですか」
「……いや」
恒一は窓の外を見つめたまま、続けた。
「むしろ、はっきりした気がする。俺が信じてきたものが、何だったのか」
「思想そのものが、間違ってたとは思わない方がいい」
田代の声は、意外なほど優しかった。
「あなたが天皇制や、この国の歴史を大切に思う気持ち自体は、否定されるべきものじゃない。問題は、その気持ちが、誰かの都合のいい燃料として使われていたことだ」
「その違いが、俺にはまだ、うまく整理できない」
「時間がかかると思いますよ、それは」
田代はそう言って、少し笑った。恒一はその笑みに、初めてこの記者に対する信頼のようなものを感じた。
家に着くと、美咲が居間で待っていた。しばらく身を寄せていた父の知人宅から、一時的に戻ってきていた。
「お兄ちゃん、大丈夫だった?」
「ああ」
美咲は恒一の顔をじっと見た。
「なんか、顔つき変わったね」
「そうか」
「前は、なんか、怖かった。街宣の動画観てても、目が据わってて」
恒一は妹の言葉に、苦笑した。
「今は?」
美咲はしばらく考えてから、答えた。
「今は、迷ってる人の顔してる。前より、ずっと人間っぽい」
その言葉が、恒一の胸に静かに染み込んでいった。




