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元遺品整理士、異世界では”死者の最後の願い”だけが見える  作者: 春野ケイ


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第2話 誰も入れない屋敷

 西へ続く街道は、夕暮れの光に染まっていた。


 石畳の道を歩きながら、私は門番の言葉を思い返す。


『途中にある古い屋敷だけは近付くな。』


『誰も入れない屋敷だ。』


 誰も入れない。


 そんなことが本当にあるのだろうか。


 歩き続けること半日。


 街道から少し外れた丘の上に、一軒の屋敷が見えた。


 白い外壁はところどころ崩れ、庭の草は人の背丈ほど伸びている。


 それでも不思議と荒れ果てた印象はなかった。


 まるで、今も誰かが帰ってくるのを待っている家のようだった。


「ここ……。」


 門番が言っていた屋敷に違いない。


 私はゆっくりと門へ近付く。


 錆びついた門扉には、古い家紋が刻まれていた。


 そっと手を掛ける。


 ぎぃ、と乾いた音を立てて門が開く。


「……あれ?」


 誰も入れないと聞いていたのに。


 私は首をかしげながら庭へ足を踏み入れた。


 その時だった。


「お嬢さん!」


 後ろから慌てた声が飛んできた。


 振り返ると、街道を荷馬車で走っていた商人らしい男性が青ざめた顔をしている。


「早くそこから離れなさい!」


「え?」


「その屋敷に近付いちゃ駄目だ!」


 男性は門の手前まで来ると、それ以上は一歩も近付こうとしなかった。


「入れないんです。」


「みんな、門の前まで来ると怖くなって帰っちまう。」


「でも……。」


 男性は困ったように眉をひそめる。


「なんで怖いのか、それが思い出せない。」


 私は静かに屋敷を振り返った。


 怖いとは思わない。


 むしろ――。


「寂しい。」


 自然と言葉が漏れた。


「え?」


「この屋敷、とても寂しそうです。」


 男性は何も答えられなかった。


 私は屋敷の玄関へ向かう。


 扉の取っ手に手を伸ばした、その瞬間。


 指先に、ひやりとした感触が伝わる。


 同時に視界が揺れた。


 長い廊下。


 窓から差し込む夕日。


 一人の女性が、何度も玄関を振り返っている。


 誰かを待つように。


 何日も。


 何年も。


 そして、静かに呟く。


「……おかえりなさい。」


 映像はそこで途切れた。


 私はゆっくりと手を離す。


「また……。」


 最後の願い。


 でも今回は、木べらとは違う。


 屋敷そのものが、その人の想いを抱え続けている。


 私は小さく息を吐いた。


「この家には、まだ帰れていない人がいる。」


 夕日が屋敷を赤く染める。


 長く閉ざされていた扉は、まるで誰かを待っていたかのように、ゆっくりと軋み始めた。


長く閉ざされていた扉は、まるで誰かを待っていたかのように、ゆっくりと軋み始めた。


 私は静かに扉を押した。


 薄暗い玄関には埃が積もっていた。


 それなのに、不思議と荒れている感じはしない。


 家具も、壁に掛けられた絵も、そのまま時間だけが止まってしまったようだった。


「失礼します。」


 返事はない。


 それでも自然とそう口にしていた。


 廊下を歩く。


 一歩進むたび、床板が小さく軋む。


 ふと、玄関脇の小さな棚が目に入った。


 花瓶が一つ。


 もう何年も花は生けられていない。


 私はそっと花瓶に触れた。


 景色が揺れる。


 若い女性が花を飾っていた。


 鼻歌を歌いながら笑っている。


「今日は帰ってくるかな。」


 窓の外を見て、嬉しそうに呟く。


 映像は、それだけだった。


「……また待ってる。」


 最後の願いではない。


 けれど、同じ人だ。


 玄関で見た女性と。


 私は屋敷の奥へ進んだ。


 二階へ続く階段の途中で、一冊の古びた本が落ちていることに気付く。


 革張りの表紙は色あせ、文字もほとんど消えかけていた。


 ページを開く。


 家計簿でも日記でもない。


 この地方に伝わる古い言い伝えが書き留められている本だった。


 何枚かめくったところで、一つの言葉が目に留まる。


 『留想りゅうそう


 思わず手が止まる。


 短い説明が添えられていた。


 ――願いを残し、世界に留まる想い。


 ただ、それ以上の文字は滲んで読めなかった。


「留想……。」


 私は小さくその言葉を口にする。


 初めて聞く言葉なのに、どこか胸の奥にすっと落ちてきた。


 まるで、ずっと前から知っていたように。


 その時だった。


 廊下の奥で、小さく扉が鳴った。


 誰もいないはずの屋敷で。


 風でもない。


 軋みでもない。


 誰かが、そっと開けたような音だった。


 私は足音を忍ばせ、その部屋へ向かう。


 部屋の中央には、小さな丸い食卓。


 向かい合う椅子が二脚。


 そして、その片方だけが、ほんの少し引かれていた。


 まるで今でも、


 誰かが帰ってきたら、そこへ座るつもりだったかのように。


 私は静かに椅子の背もたれへ手を伸ばした。


私は静かに椅子の背もたれへ手を伸ばした。


 指先が触れた瞬間、景色が淡く滲む。


 食卓には湯気の立つ料理が並んでいた。


 向かいの椅子は空いたまま。


 女性は何度も窓の外を見ては、小さく笑う。


「今日は遅いですね。」


 返事はない。


 それでも食事を片付けようとはしなかった。


 料理が冷めても、その椅子だけは空けたまま。


 やがて窓の外が夕焼けから夜へ変わる。


 女性は静かに席を立ち、玄関へ向かった。


 扉を開け、誰もいない道を見つめる。


 そして、小さく微笑んだ。


「……おかえりなさい。」


 映像はそこで途切れた。


 私はゆっくりと息を吐く。


「やっぱり……。」


 あの人は、ずっと誰かを待っていた。


 でも、それだけではない。


 どうして最後の言葉が「おかえりなさい」だったのだろう。


 私は部屋を見回した。


 壁には一枚の絵が飾られている。


 若い夫婦の肖像画。


 二人とも穏やかに笑っていた。


 額縁には薄く埃が積もっている。


 けれど、写真の前だけは不自然なくらい綺麗だった。


 誰かが毎日拭いていたように。


「この家で……何があったんでしょう。」


 独り言のように呟く。


 その時、窓の外で風が鳴った。


 私は何気なく庭へ目を向ける。


 屋敷の裏手。


 草に埋もれかけた小さな石碑が見えた。


「……お墓?」


 食卓。


 玄関。


 待ち続ける女性。


 庭の石碑。


 どれも一本の線で繋がりそうなのに、あと一つだけ何かが足りない。


 私は玄関へ戻り、もう一度扉の取っ手に触れた。


 景色は映らない。


 代わりに、胸の奥へ温かな感情だけが流れ込んできた。


 寂しさ。


 愛しさ。


 そして、何十年も変わらない「待つ」という想い。


「あなたは……帰ってきてほしかったんですね。」


 その言葉に答えるように、廊下の奥で小さく床が軋んだ。


 私は振り返る。


 誰もいない。


 けれど、この屋敷には確かに誰かの想いが残っている。


 その想いはまだ、帰れていない。


 私は庭へ続く扉に手を掛けた。


 草むらの向こうに見える小さな石碑。


 あそこに、この屋敷の願いの答えがある。


次回『今日も、おかえりなさい』

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