第五章 T-ACEでゆく新婚車中泊と、ポポロ村開拓スローライフ編
王様の抜け毛と、強制ハネムーンの始まり
「……嘘だろ」
太郎国(旧ルナミス帝国)の中枢、新たに築かれた『太郎城』の巨大な洗面所。
鏡の前に立った僕は、手にした100均の『豚毛ヘアブラシ』を見つめて、絶望的な声で呟いた。
ブラシの隙間に、数本の黒い髪の毛が絡みついている。
いや、数本じゃない。数え方によっては十数本あるかもしれない。
「僕の……僕の貴重な毛根が……ッ!」
無理もない。
魔神王を倒し、大陸の覇権国家を『太郎国』として再建してからの数ヶ月。僕の日常は、夢にまで見た『スローライフ』とは真逆のベクトルへと爆走していた。
毎朝、執務室の机には山のような決裁書類が積まれ、「QR決済(L-Pay)のシステムエラー対応」「豚神屋のスープの品質管理」「エルフの森との国境問題」など、国家元首としての重圧が、休む間もなく押し寄せてくるのだ。
「このままじゃ、ストレスでセバスさんみたいに頭頂部がツルピカになってしまう……! いくら100均に育毛トニックがあっても、焼け石に水だぞ……っ!」
「タロウ? どうしたの、朝から大きな声を出して」
ガチャリ、と洗面所の扉が開き、プラチナブロンドの髪を揺らしてサリーが入ってきた。
透け感のある薄手のネグリジェ姿。寝起きのぽやぽやした表情が、破壊的なまでに可愛い。
「サ、サリー……。見てくれ、僕の毛根が悲鳴を上げている……っ! 太郎国の未来よりも、僕の頭皮の未来がヤバいんだ!」
僕が半泣きでブラシを差し出すと、サリーは目を丸くした後、ふふっと優しく微笑んだ。
「タロウさんったら、大げさですよ。……でも、最近ずっとお疲れでしたもんね」
サリーは背伸びをして、僕の頭を優しく撫でてくれた。
「私、魔法でタロウさんの疲れを取りますね。『ヒール』……」
温かい光が僕の頭皮(と心)を包み込む。
ああ、妻の癒やしが身に染みる……。
そう、魔神王討伐の後、僕はライザとサリーの二人と正式に結婚した。太郎国の初代王妃として、二人は僕を公私ともに支え続けてくれているのだ。
「……朝っぱらから、洗面所でイチャつかないでちょうだい」
そこへ、ライザが腕を組んで呆れ顔で入ってきた。
彼女は騎士の鎧ではなく、動きやすいラフな部屋着姿だ。その凛とした美しさは相変わらずだが、妻になってからというもの、どこか雰囲気が柔らかくなった気がする。
「ライザ……聞いてくれよ、僕の髪の毛が」
「聞いたわよ、ハゲるハゲるってうるさいわね。……まぁ、少し心配はしてたけど」
ライザは僕の前に歩み寄ると、僕の頬を両手で挟んで、グッと顔を近づけてきた。
「目の下にクマができてるわよ、タロウ。……あなたが私たちのために、そしてこの国のために頑張ってくれてるのは分かってる。でも、あなたが倒れたら、私たちはどうすればいいのよ」
ライザの赤い瞳が、真っ直ぐに僕を見つめる。
「……ライザ、サリー」
二人の愛情に、僕は不覚にもホロリときそうになった。
その時である。
「――お困りのようですな、タロウ様!!」
バンッ! と洗面所の扉が勢いよく開き(というかノックしろよ)、ビシッと燕尾服を着こなしたセバスが、片眼鏡をギラリと光らせて現れた。
そして、彼は自分のピカピカの頭頂部を誇らしげに指差した。
「タロウ様! 抜け毛を恐れる必要はございません! このセバスのように、潔く全てを薙ぎ払えば、毎朝のセットも不要! 究極のスローライフ・ヘアーでございますぞ!!」
「嫌だよ!! 僕はまだ20代なんだぞ!!」
僕は即座にツッコミを入れた。
「ふははは! 冗談でございます。……実は、タロウ様が過労で限界に近いことは、私と王妃様たちで以前から協議しておりました」
セバスは居住まいを正し、一枚の書類(羊皮紙)を僕に差し出した。
「これは……?」
「『第一回・太郎国全土お忍び視察(という名の無期限強制休暇)』の起案書でございます。すでに私の独断で決裁のハンコを押しておきました」
「えっ」
僕は目をパチクリさせた。
「タロウさん、行きましょう! 最近、全然一緒にお出かけできてませんでしたし!」
サリーが僕の腕にギュッと抱き着く。
「そうよ。国の細かい内政は、セバスとオルウェル、それにキュロス団長がいれば十分回るわ。私たちは、あの『新しい乗り物』で、自由気ままな旅に出るのよ」
ライザも反対側の腕を掴んで、ニヤリと笑った。
「タロウ様、この国の基盤はすでに盤石。王たるもの、時には民の生活を直接その目で見て、英気を養うことも重要でございます。……どうか、愛する妻たちと水入らずの『新婚旅行』を楽しんでらしてください!」
セバスが、深く、恭しく一礼する。
書類と、妻たちと、頼れる執事。
僕は、彼らの「僕を休ませようとする」温かい気遣いに、完全に包囲されていた。
「……そっか。まぁ、僕がいなくても、国が回るシステム(QR決済とか)は作ってあるしな」
僕は100均のヘアブラシを置き、大きく背伸びをした。
王様の重圧(と抜け毛の恐怖)から解放され、本来の目的だった『異世界スローライフ』を取り戻す時が来たのだ。
「よし! そうと決まれば善は急げだ! すぐに出発の準備をするぞ!」
「「はいっ!!」」
僕たちは洗面所を飛び出し、荷造りを始めた。
向かう先は、広大な太郎国のどこか。
移動手段は、ガンドフと賢者君が完成させたばかりの、あの『最強の魔導キャンピングカー』だ。
僕の真のスローライフが、今、最高の妻たちと共に幕を開けようとしていた!




