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第七話 ギルド職員は外套を直す

 翌朝。


 ルネリア冒険者ギルドの見習い職員リオは、受付カウンターの奥で、いつもより静かに依頼票を並べていた。


 理由は簡単である。


 下手に動くと、肩が痛い。


「……リオ」


「はい」


「今日は顔色だけでなく、動きも悪い」


「気のせいです」


「気のせいで人間は、依頼票を一枚取るたびに肩をかばわない」


 主任のマーレは、今日も真面目だった。


 その真面目さが、今日もよく刺さる。


 昨夜、黒蝶として出した複製体が戻ってきた時、疲労と記憶と痛みがまとめて返ってきた。


 糸に引かれた肩。


 ワイヤー具に走った細かな衝撃。


 外套の端を裂かれた感覚。


 そして、罠師スネア。


 黒蝶を待っていた敵。


 黒蝶の動きを見ていた敵。


 黒蝶を捕まえようとした敵。


 ガロは面倒だった。


 スネアは、もっと面倒だった。


「昨日、重い荷でも運んだか?」


「少しだけ」


「何を」


「……責任を」


「詩的な言い訳で逃げるな」


 逃げられなかった。


 その時、奥からギルドマスターのオルドが出てきた。


「リオ」


「はい」


「外掲示板の確認、昨日の続きだ。午前で終わらせろ」


「分かりました」


「それと、昼前に職人街へ届け物がある。ミラ工房だ」


 リオの手が止まった。


「ミラ工房、ですか」


「ああ。昨日の素材確認の控えだ」


「……僕が行くんですか」


「何だ。嫌なのか」


「いえ。嫌ではありません」


 嫌ではない。


 ただ、行きづらい。


 昨夜裂けた外套が、リオの部屋にある。


 糸にやられたワイヤー具もある。


 そして、それを直せるのは、だいたいミラしかいない。


 つまり、どのみち行かなければならなかった。


 問題は、行ったら怒られることだ。


 今日の昼休みは、たぶん休みではない。


     ◇


 昼前。


 リオは職人街へ向かっていた。


 鞄の中には、ギルドから預かった素材確認の控え。


 そして、布に包んだ黒い外套とワイヤー具。


 職人街は、今日も朝からうるさい。


 金属を打つ音。


 革を伸ばす音。


 木材を削る音。


 誰かの怒鳴り声。


 どこかで何かが爆ぜる音。


 最後の音には、誰も反応しない。


 できれば、日常であってほしくない。


 リオはミラ工房の扉を開けた。


「失礼します」


 作業台の奥で、ミラが顔を上げる。


 髪を後ろでまとめ、袖をまくり、指先に煤と細かな傷を残した若い職人。


 相変わらず、目だけが鋭い。


 ミラはリオを見るなり言った。


「今日は謝りに来た顔だ」


「まだ何も言ってません」


「顔に書いてある。怒られる自覚があります、って」


 鋭い。


 職人の目は、素材の傷だけでなく人の逃げ道まで見るらしい。


 リオはまず、ギルドからの控えを作業台に置いた。


「こちら、ギルドからです」


「はいはい。で、本題は?」


「……本題とは」


「鞄の中の黒い布」


 リオは諦めた。


 鞄から布包みを取り出し、作業台の上に置く。


 ミラはそれを開いた。


 黒い外套。


 端が細く裂けている。


 布地には、針か糸で引っかけられたような痕がいくつもあった。


 さらに、ワイヤー具の先端にも細かな傷がついている。


 ミラは無言で外套を持ち上げた。


 リオは視線を少し横へ逃がす。


「リオ」


「はい」


「夜道で転んだにしては、裂け方が器用すぎる」


「少し、細いものに引っかかりまして」


「夜道に糸は生えてない」


「生えてはいませんね」


「張ってあった?」


 リオは黙った。


 ミラは、外套の裂け目を指でなぞる。


「細い。けど、ただの糸じゃない。針線か、金属繊維を混ぜた糸。布を切るんじゃなくて、引っかけて動きを止める作り」


「分かるんですか」


「分かるよ。あたしは布も革も金具も扱う職人だからね」


 ミラはワイヤー具を手に取り、目を細めた。


「こっちも傷がある。先端を直接狙われた?」


「たぶん、振動を読まれました」


「……何と戦ってるの、本当に」


「治安です」


「治安に糸は張らない」


 正論だった。


 今日も正論は強い。


「それで、修理をお願いしたいのですが」


「修理はする。説教もする」


「それは別料金で」


「無料」


「良心的ですね」


「逃げ道を塞いでるんだよ」


 ミラは外套を作業台に広げた。


「直すだけだと、また同じように引っかけられる。だから、端だけ少し変える」


「変える?」


「全部を丈夫にすると、引っかかった時に体ごと持っていかれる。だから、端だけ切れるようにする」


「切れる外套ですか」


「違う。切れても動ける外套」


 ミラは指で外套の裾を示す。


「敵が外套を捕まえたと思ったら、端だけ外れる。本体は動ける。見た目は少し悪くなるけど、捕まるよりまし」


「なるほど」


「ワイヤーの先端も変える。今のままだと噛みが良すぎる。糸や輪罠まで拾う」


「噛みが良いのは便利だと思っていたのですが」


「便利はだいたい、別の場面で不便になる」


 ミラは淡々と言う。


 それから、作業台の奥にある小瓶を取り出した。


 中には、銀色の細かな粉が入っている。


「あと、これ」


「粉ですか」


「銀羽蛾の鱗粉を少し混ぜた粉。光るから扱いづらくて余ってる」


「光るなら便利では?」


「勝手に光る粉を、普通の職人がどこで使うの」


「……飾り?」


「すぐ落ちる」


「では、何に」


「細い糸に付ける」


 ミラは粉を指先に少し取り、作業台の端に張ってあった細い糸へ払う。


 粉が付いた糸が、窓から入る光を受けて、うっすらと浮かび上がった。


「見える」


「光に当たればね。粉が届いた範囲だけ。雨の日は駄目。風が強すぎても偏る」


「制限が多いですね」


「だから余ってる」


 ミラは小瓶を置く。


「でも、あんたの知り合いの黒い人は、風を使うんでしょ」


「知り合いはいませんが」


「はいはい。偶然、風を使う黒い人に伝えておいて」


「分かりました。偶然会ったら」


「便利な偶然だね」


 ミラは小さな弾殻を取り出し、銀色の粉を詰め始めた。


「弾にする。撃って割ると、粉が広がる。風で薄く流せば、張られた糸に付く」


「糸を見えるようにする弾」


「名前がそのまま」


「では、糸見え弾で」


「本当にそのままにした」


「分かりやすい名前は大事です」


「ヒーローっぽさはどこ行ったの」


「実用性の陰に」


「隠しすぎ」


 ミラは呆れたように言ったが、手は止めない。


 小さな弾が、作業台の上に三つ、四つと並ぶ。


 銀粉弾。


 いや、糸見え弾。


 リオの中では、もう後者で決まりかけていた。


「名前、後で考え直して」


「善処します」


「それ、一番信用できない返事」


 どこかで聞いたやり取りだった。


     ◇


 修理と調整には、しばらく時間がかかった。


 リオはその間、工房の隅で椅子に座らされていた。


 ミラに「うろうろされると邪魔」と言われたからである。


 リオは、作業台の上で縫われていく外套を見た。


 切れても動ける外套。


 糸を見えるようにする弾。


 糸を拾いにくくしたワイヤー具。


 どれも、戦うためというより、捕まらないための道具だ。


 黒蝶は、相手より強いから勝つのではない。


 相手の動く先を塞ぐ。


 相手の考える前に、選べる道を減らす。


 気づいた時には、もう詰んでいる。


 そのためには、まず自分が動けなくなってはいけない。


 昨夜、その当たり前を糸一本で崩されかけた。


「リオ」


「はい」


 ミラの声で、リオは顔を上げた。


 外套の修理が終わっていた。


 黒い外套は、裂け目を補修され、裾の一部に薄い切り離し用の縫い目が入っている。


 ワイヤー具も、先端の形が少し変わっていた。


 さらに、小さな弾が六つ。


 糸見え弾。


 リオはそれらを受け取った。


「ありがとうございます」


「説明するよ。一度しか言わない」


「はい」


「外套の端は引っ張られたら切れる。無理に踏ん張らない。逃がす」


「分かりました」


「ワイヤー具は糸を拾いにくくした。でも万能じゃない」


「はい」


「糸見え弾は、粉が付いた範囲だけ見える。全部見えると思わない。あと、吸うな」


「吸うと?」


「くしゃみが止まらない」


「……毒ではなく?」


「毒じゃない。くしゃみ」


「地味に困りますね」


「戦闘中なら致命的だよ」


 確かに。


 黒蝶が夜の屋根の上でくしゃみを連発する姿は、かなり嫌だった。


 噂になる。


 黒い仮面。


 眠る悪党。


 くしゃみをする黒蝶。


 嫌すぎる。


「注意します」


「それと」


 ミラは、リオの顔をじっと見た。


「今度は、外套を裂く前に帰ってきな」


「それは、なかなか難しいかもしれません」


「難しくするな」


「努力します」


「努力じゃなくて実行」


「……善処します」


「また信用できない返事をした」


 ミラはため息をつき、作業台に肘をついた。


「リオ。あんたの知り合いの黒い人に言っといて」


「知り合いはいませんが」


「言っといて」


「はい」


「道具は、壊れたら直せる。でも人は、壊れたら同じには戻らない」


 リオは、少しだけ言葉に詰まった。


「分かっています」


「本当に?」


「はい」


「なら、いい」


 ミラは視線を作業台へ戻した。


「代金はいつも通り。あと、銀粉の分は少し高い」


「高いんですか」


「余り素材だけど、加工が面倒」


「そこは安くならないんですね」


「手間賃を甘く見るな、見習い職員」


「はい、職人さん」


 リオは代金を置いた。


 少し痛い出費だった。


 ヒーロー活動は、意外と金がかかる。


 前世のヒーローたちは、装備費をどうしていたのだろう。


 考えない方がいい気がした。


     ◇


 その夜。


 ギルドの自室で、リオは扉に鍵をかけた。


 机の上には、今日片づけきれなかった依頼票。


 横には、ミラから受け取った修理済みの外套とワイヤー具。


 そして糸見え弾。


 リオはそれらを見て、小さく息を吸った。


 足元の影が揺れる。


 床から、もう一人のリオが立ち上がった。


 複製体は肩を回し、外套を見た。


「怒られた?」


 本体のリオが言う。


「かなり」


「だろうな」


「俺のせいでもある」


「俺だからな」


「責任の所在が面倒だ」


「全部俺だ」


 何も解決しなかった。


 複製体は黒い防毒面をつけ、黒いゴーグルを下ろし、外套を羽織る。


 修理された裾が、夜気に揺れた。


 腰にはドリームガン。


 弾の確認。


 眠り弾。


 粘着弾。


 煙幕弾。


 そして、糸見え弾。


「今日は、探るだけだ」


 本体のリオが言う。


 黒蝶が振り返る。


「そう言って、探るだけで済んだことがあるか?」


「……ないな」


「結果がすべてだと思う」


「その言い方、腹立つな」


「俺だからな」


 本体のリオは、少しだけ笑った。


 それから、真面目な声で言う。


「無茶はするな」


 黒蝶は短く答えた。


「善処する」


「信用できない」


「知ってる」


 黒い外套が、夜へ落ちる。


 いや、飛んだ。


 ワイヤーが屋根の縁を噛み、黒蝶の体が月明かりの下へ消える。


 リオは窓を閉めた。


 机に戻る。


 書類を開く。


 だが、その手は少しだけ止まっていた。


 黒い羽根印。


 罠師スネア。


 夜鴉商会。


 まだ、見えているのは端だけだ。


 けれど糸は、端を掴めば辿れる。


 それが罠でも。


 辿らなければ、誰かが絡め取られる。

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