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第五話 ギルド職員は偽依頼を見抜く

 翌朝。


 ルネリア冒険者ギルドの見習い職員リオは、受付カウンターの奥で、静かに依頼票を並べていた。


 静かに。


 とても静かに。


 なぜなら、声を出す元気がなかったからである。


「……リオ」


「はい」


「昨日より顔色が悪い」


「気のせいです」


「気のせいで人間は一日ごとに青くならない」


 主任のマーレが、書類の束を抱えたまま真面目な顔で言った。


 正論だった。


 朝から正論はつらい。


「少し寝不足で」


「少し?」


「かなり少しです」


「言葉がおかしい」


 おかしいのは自覚している。


 昨夜、黒蝶として出た複製体が戻ってきた瞬間、疲労と記憶がまとめて本体へ返ってきた。


 壁を蹴った足の重さ。

 ワイヤーで肩を引かれた痛み。

 煙を吸わないよう呼吸を絞った苦しさ。


 そして、赤茶髪の男――ガロの目。


 足元を見ていた。

 屋根を見ていた。

 筒を見ていた。


 昨日より、確実に反応が早かった。


 ただのチンピラ。


 けれど、馬鹿ではない。


 リオは欠伸を噛み殺しながら、依頼票を日付順に並べる。


 その時、ギルドの扉が開いた。


「失礼する。昨夜の件で確認を頼みたい」


 入ってきたのは、衛兵隊の男だった。


 手には、折り畳まれた紙束と、小さな黒い札。


 黒い蝶が描かれた札。


 リオは、依頼票を持つ指を一瞬だけ止めた。


 知っている。


 とても知っている。


 正確には、自分ではない自分が置いたものだ。


 ややこしいので、今は考えないことにした。


 マーレが衛兵から紙束を受け取る。


「黒蝶の札ですか」


「ああ。外掲示板の近くで見つかった。ごろつきが六人、眠っていたり、手を貼りつけられていたりした」


「またですか」


「まただ」


 衛兵は疲れた顔でうなずいた。


「ただ、今回は少し妙だ。そいつらのそばに、これがあった」


 マーレが紙を広げる。


 リオも横から覗き込んだ。


 依頼票だった。


 一見すると、ギルドの正式な依頼票に見える。


 依頼内容は、北水路奥での夜明け草採取。

 対象は鉄級、または銅級冒険者。

 報酬は相場より少し高い。

 提出期限は、今朝の鐘三つまで。


 新人冒険者なら、手を伸ばしてもおかしくない。


 だからこそ、悪質だった。


「……偽物ですね」


 リオは言った。


 マーレの視線がリオに向く。


「分かるか」


「はい。まず、依頼番号が存在しません。今月の採取依頼は二千番台ですが、これは三千番台になっています」


 リオは紙の端を指で示す。


「あと、ギルド印の外枠が少し太いです。本物はもう少し線が細い。それと、紙質が違います。ギルド用紙はもう少し繊維が粗いです」


 衛兵が眉を上げた。


「よく分かるな」


「仕事なので」


 リオは淡々と答えた。


 眠い。

 ものすごく眠い。


 けれど、依頼票の違和感は眠気とは別の場所で見える。


 毎日触っているものだからだ。


 マーレが依頼票の内容を読み込む。


「依頼主名は……ハルメ薬草店か」


「それも違います。正式な屋号はハルメル薬草店です。一文字抜けています」


「よく見てるな」


「昨日、薬草納品の伝票を整理したので」


「助かる」


 マーレは小さくうなずいた。


 リオはさらに、依頼内容を指差す。


「それと、北水路奥は鉄級単独では許可されません。水路の魔鼠が出ますし、足場も悪い。夜明け前指定もおかしいです」


「つまり?」


「新人を釣るための偽依頼です。受けた人がいたら、危なかったと思います」


 衛兵の顔が険しくなる。


「黒蝶が止めていなければ、誰かが貼られた紙を見て行っていたかもしれない、か」


「可能性はあります」


 リオは答えながら、紙の隅を見た。


 小さな印がある。


 黒い羽根のような印。


 昨夜、黒蝶が見たものと同じだった。


 荷。

 紙。

 金。

 ごろつき。


 夜の裏通りで、何かが流れている。


 リオの中で、点が少しだけ線になった。


 その時、奥の扉が開いた。


「朝から面倒な顔ぶれだな」


 ギルドマスターのオルドが現れた。


 大柄な体。

 無精髭。

 眠気とは無縁そうな鋭い目。


 リオは、少しだけ目を逸らした。


 眠気と縁を切れるなら、ぜひ方法を教えてほしい。


 マーレが偽依頼票を差し出す。


「昨夜、外掲示板で発見された偽依頼票です。黒蝶の札と一緒に衛兵隊が回収しました」


「偽依頼か」


 オルドは紙を受け取り、一読する。


 そして、眉間に皺を寄せた。


「新人狙いだな」


「はい」


「北水路奥に夜明け前。単独で行けば、まず迷う。運が悪けりゃ戻れん」


 衛兵が腕を組む。


「誰かを襲うためですかね」


「それもある。だが、別の目的も考えられる」


 オルドは偽依頼票を指で叩いた。


「冒険者を北水路へ向かわせる。ギルドが捜索に人を割く。衛兵もそっちへ目が向く。その間に、別の場所で何かを動かす」


 リオは息を飲んだ。


 あり得る。


 昨夜の偽依頼は、それ自体が罠かもしれない。

 だが、同時に目くらましでもあるかもしれない。


 夜の荷運び。

 黒い羽根の印。

 偽の依頼票。


 何かが動いている。


「リオ」


「はい」


「今日の午前は、外掲示板に出している依頼票を全部確認しろ。番号、印、依頼主、場所。少しでもおかしいものは弾け」


「分かりました」


「マーレは過去三日の掲示依頼を洗ってくれ。衛兵隊には、北水路周辺の巡回を増やすよう伝える」


「承知しました」


 ギルドの朝が、一気に忙しくなった。


 リオは依頼票の束を抱え、外掲示板の控えと照合を始める。


 番号。

 印。

 紙質。

 依頼主。

 場所。

 報酬額。

 受付時間。


 眠い。


 それでも、目は動く。


 昼のリオは、ギルド職員だ。


 夜に黒い仮面をつける前から、ずっとこの仕事をしてきた。


 依頼票の嘘くらいは、見抜けなければ困る。


 マーレが横で別の紙を広げる。


「リオ、これを見てくれ」


「はい」


「昨日の夕方、裏掲示板に出ていた非公式の荷運び依頼だ。依頼主不明。報酬は高め。場所は倉庫街の南側」


 リオは紙を見た。


 端に、小さな黒い羽根の印。


 まただ。


「同じ印ですね」


「ああ。偶然にしては、少し多い」


 マーレの声は低かった。


 リオは無言でうなずく。


 その言葉は、昨夜の黒蝶の記憶と重なった。


 偶然にしては、少し多い。


 同じ違和感を、昼のギルドも見つけ始めている。


 リオは机の下で、そっと拳を握った。


 黒蝶が止めたのは、ただの悪人ではなかった。


 嘘の依頼。

 怪しい荷。

 ごろつきの流れ。


 この町の夜に、何かが通っている。


 なら、次に見るべきものは決まっている。


 黒い羽根。


 その印が、どこへ繋がっているのか。


     ◇


 その日の夕方。


 ルネリアのどこかにある商会の奥部屋で、一人の男が報告を受けていた。


 机の上には帳簿。

 棚には封のされた書類。

 窓には厚い布。


 部屋は、妙に暗い。


「昨夜の紙は貼れませんでした」


 報告する男の声は、少し震えていた。


「雇ったごろつきは全員、衛兵に拾われました。偽依頼票も一部回収されています」


 机の向こうの男は、帳簿から顔を上げない。


「理由は」


「現場に、黒い蝶の札が」


 その瞬間、帳簿をめくる手が止まった。


「またか」


「はい」


「荷も、紙も、か」


「……はい」


 沈黙が落ちる。


 報告役の男は、喉を鳴らした。


「黒い仮面の噂は、裏通りでも広がっています。下の者が少し騒ぎ始めておりまして」


「噂で仕事が止まるなら、商いなどできん」


 机の向こうの男が、ようやく顔を上げた。


 細い目だった。


 笑っていない。


「黒い蝶とやらが、こちらの邪魔をしているのは分かった」


「では」


「次は紙を貼らせるな」


 男は帳簿を閉じた。


「黒い蝶を拾ってこい」


 報告役の男が、深く頭を下げる。


 部屋の奥。


 棚に置かれた封蝋には、小さな黒い羽根の印が刻まれていた。

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