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第四話 チンピラは足元を見る

 夜のルネリアには、表の仕事と裏の仕事がある。


 表の仕事は、ギルドの掲示板に貼られる。

 裏の仕事は、夜の路地で紙切れ一枚を渡される。


 その夜、赤茶けた髪の若い男――ガロは、ギルド外掲示板の前に立っていた。


 ごろつきは全部で六人。


 仲間ではない。

 知り合いですらない者もいる。


 同じ小銭につられて、同じ紙を貼り替えに来ただけだ。


「これを剥がして、こっちを貼る。それだけか?」


「紙貼るだけでこの金かよ。楽な仕事じゃねえか」


 ごろつきの一人が笑う。


 ガロは笑わなかった。


 手元には数枚の依頼票がある。


 ギルドの依頼票に似せて作られているが、本物ではない。

 紙質が違う。

 印の押し方が雑。

 依頼番号の位置も少しずれている。


 だが、夜目でざっと見れば、騙される者はいるだろう。


 内容は、夜明け前の薬草採取。


 場所は、北水路の奥。

 報酬は、相場より少し高い。


 普通なら怪しい。


 けれど、金に困った新人冒険者なら飛びつくかもしれない。


 そういう紙だった。


「これ、ギルドの印じゃねえよな」


「似てりゃいいんだとよ」


「バレたらまずくねえか」


「貼るだけだ。読んで行くやつが馬鹿なんだろ」


 ごろつきたちは軽く笑う。


 ガロは、石畳に視線を落とした。


 馬鹿が。


 読んで行くやつが馬鹿なんじゃない。

 そういう馬鹿を釣る紙だから、金が出るんだろ。


 知らねえ方がいい仕事。

 見ねえ方がいい紙。

 聞かねえ方がいい依頼主。


 そういうものは、だいたい金払いだけは少し良い。


 ガロは掲示板の周囲を見た。


 足元。

 屋根。

 路地の奥。

 掲示板の横に積まれた古い木箱。


 黒い仮面が来るなら、どこから来る。


 昨日は足元を止められた。


 なら、足元を見る。


 ガロは、石畳に残る砂埃を靴先で薄く広げた。


 黒蝶が何かを撃てば、砂が動く。

 着地すれば、跡が残る。


 他のごろつきたちは気づいていない。


 気づかなくていい。

 教える義理もない。


 黒蝶。


 腹立たしい名前だった。


 黒い仮面。

 眠る悪党。

 黒い蝶の札。


 負けたことより、あの名前が広がっていることが腹立たしい。


     ◇


 黒蝶は、屋根の上からその掲示板を見ていた。


 ここ数日、夜の裏通りで妙な動きが増えている。


 夜中の荷運び。

 見慣れないごろつき。

 黒い羽根の印。

 そして、今夜は偽の依頼票。


 偶然にしては、少し多い。


 黒蝶は身を低くして、掲示板を見る。


 剥がされようとしている本物の依頼票。

 貼られようとしている偽物の依頼票。

 夜明け前の採取依頼。

 新人が釣られそうな、少し高めの報酬。


 悪質だ。


 ただの落書きではない。

 誰かを、危ない場所へ誘導する紙だ。


 止める理由としては、十分だった。


 そして現場には、赤茶髪の男がいる。


 ガロ。


 昨夜、黒蝶に足を止められた男。


 彼だけが、足元を見ている。

 屋根を見ている。

 筒を警戒している。


 他のごろつきとは違う。


 黒蝶は、少しだけ首を傾げた。


 悪くない。


 昨日、見ていたのは本当らしい。


 なら。


 見ていない場所を使えばいい。


     ◇


「おい、早く貼れ」


「分かってるよ」


 ごろつきの一人が、本物の依頼票を剥がそうとした。


「その紙は貼るな」


 声は、上から落ちてきた。


 ごろつきたちが一斉に顔を上げる。


 屋根の縁に、黒い影が立っていた。


 黒い仮面。

 黒い外套。

 顔の見えない、不審な夜の人影。


「出た……」


 誰かが呟いた。


 ガロは歯を噛む。


 来た。


 やっぱり来た。


「黒蝶だ!」


「本当に来やがった!」


「紙一枚で何ムキになってんだよ!」


 ごろつきの一人が、剥がしかけた本物の依頼票を乱暴に丸めた。


「証拠がなきゃ分かんねえだろ」


 その指が、紙を破る前に止まった。


 短い射出音。


 粘着弾が、男の指先と掲示板の木枠の間で割れた。


「うおっ!?」


 指が木枠に貼りつく。


 紙は破れない。


「何だ!?」


 別の男が棍棒を掴む。


 黒蝶は屋根から落ちる。


 いや、降りた。


 壁を蹴り、木箱を踏み、黒い外套をひるがえして路地へ滑り込む。


 棍棒を持った男の手元へ、筒が向く。


「それは、掲示板に使う道具じゃない」


 短い射出音。


 粘着弾が、棍棒の柄で割れた。


 指が柄から離れない。

 振ることもできない。

 落とすこともできない。


 ガロは助けに行かなかった。


 知らない男だ。

 助ける義理はない。


 ただ、見た。


 足じゃない。

 手を狙った。


 昨日と同じではない。


 偽の依頼票を貼ろうとしていた二人が、慌てて動き出す。


 黒蝶の筒が、その足元ではなく、紙束を持つ手へ向く。


 短い射出音。


 粘着弾が、紙束と男の手袋をまとめて固めた。


「離れねえ!」


「紙が、紙が!」


 偽の依頼票は貼れない。

 捨てることもできない。


「足じゃねえのかよ!」


 ガロが怒鳴る。


「足だけとは言ってない」


 黒蝶は短く返した。


 ごろつきの一人が、路地の奥へ走る。


 逃げる気だ。


 黒蝶はそちらを見ないまま、指先だけを動かした。


 事前に飛ばしていた細いワイヤーが、路地の奥で小さく鳴る。


 古い木戸が、半分だけ閉じた。


 そこへ粘着弾。


 扉が石壁へ縫い止められる。


 逃げ道が、消えた。


 最後の一人が、掲示板ごと壊そうと棍棒を振り上げた。


 黒蝶は一歩だけ踏み込む。


 白い煙が、低く流れた。


 男の視界から掲示板が消える。


 そして、黒蝶も消える。


「どこだ!」


 煙の外側で、乾いた音がした。


 男の声が途切れる。


 ごろつきたちは、ばらばらに倒れた。


 眠る者。

 手を固められた者。

 扉の前で動けなくなった者。

 偽の依頼票から離れられない者。


 黒蝶は、誰も斬っていない。

 誰も砕いていない。


 ただ、選択肢を奪った。


 依頼票を破る選択肢。

 棍棒を振る選択肢。

 偽の紙を貼る選択肢。

 逃げる選択肢。


 命は奪わない。


 選択肢だけを奪う。


 それが黒蝶の戦い方だった。


 ガロだけが、まだ動いていた。


 他の連中がやられたことは、どうでもいい。


 だが、見えた。


 黒蝶の狙いは、足ではない。

 人だけでもない。


 この仕事そのものだ。


「……てめえ」


 ガロは短剣を抜いている。


 足元を見ている。

 筒を見ている。

 煙の流れも見ている。


 黒蝶は、ガロに向き直った。


 やはり。


 こいつだけは、少し面倒だ。


「足元を見ていたな」


「ああ」


「悪くない」


「褒めてんじゃねえよ」


 ガロが踏み込む。


 黒蝶は下がらない。


 ガロは短剣を振る。


 黒蝶は受けない。


 半歩ずれる。

 左へ流れる。

 風が足元を撫でる。


 砂が、ほんのわずかに舞った。


 ガロの視界に、白っぽい粒が流れる。


 目を閉じるほどではない。

 だが、一瞬だけ、黒蝶の輪郭が薄くなる。


 その一拍で、黒蝶は消えた。


「どこだ!」


「ここだ」


 声は、上からだった。


 黒蝶は壁に立っていた。


 一秒だけ。


 黒い靴底が、石壁に吸いついている。


 ガロはすぐに顔を上げた。


 早い。


 黒蝶は内心でそう思う。


 だが、まだ足りない。


 短い射出音。


 粘着弾が、短剣の柄で割れた。


「っ!」


 ガロの指が、柄から離れない。


 武器を落とすこともできない。

 振ることもできない。


 武器を持つ手が、そのまま武器を封じられた。


「足元以外も見た方がいい」


「うるせえ!」


 ガロは左手で殴りかかる。


 黒蝶は身を沈め、拳をやり過ごす。


 そのままガロの背後へ回る。


 筒の先が、首元へ向く。


「眠れ」


 短い音。


 ガロは避けようとした。


 右手が動かない。

 足元を見すぎていた。

 煙で半歩遅れた。


 弾が首筋に当たる。


「……く、そ」


 視界が傾く。


 倒れる直前、ガロは見た。


 黒蝶が、倒れかけた自分の肩を掴んでいる。


 石畳に頭を打たないように、支えている。


 そこまでしてくるのが、また腹立たしかった。


「覚えて、ろ……」


「覚えている」


 黒蝶は静かに言った。


「だから次も、一枚上を行く」


 ガロの意識が落ちた。


     ◇


 黒蝶は、偽の依頼票を拾い上げた。


 紙の端には、小さな黒い羽根の印。


 ここ数日、何度か見た印だった。


 偶然ではない。


 たぶん。


 まだ、名前までは分からない。


 だが、この町の夜に、何かが流れている。


 人。

 荷。

 金。

 そして、偽の依頼。


 黒蝶は掲示板のそばに、黒い蝶の札を一枚置いた。


 もう一枚、偽の依頼票と一緒に、衛兵が見つけやすい場所へ置く。


 今夜、止めたのは悪人だけではない。


 どこかへ流れるはずだった嘘の一つを、止めたのだ。


     ◇


 ギルドの自室で、リオは机に突っ伏していた。


 複製体が戻った瞬間、記憶と疲労が一気に流れ込んできた。


 ガロの目が、記憶に残っている。


 足元を見ていた。

 考えていた。

 昨日より確実に反応が早かった。


「……やっぱり、覚えてたか」


 ただのチンピラ。


 でも、馬鹿ではない。


 負けても見ている。

 倒されても覚えている。


 ああいう相手は、面倒だ。


 とても面倒だ。


 リオは眠気に負けそうな目をこすり、机の端に置いたメモへ手を伸ばした。


 赤茶髪、要注意。

 黒い羽根の印。

 偽依頼票。

 裏通りの動き、要確認。


 リオはペンを置き、深く息を吐いた。


「……寝たい」


 切実だった。


 だが、ルネリアの夜は、どうにも静かに眠らせてくれないらしい。


 その夜、黒蝶の噂はまた一つ増えた。


 足を止めるだけではない。

 手も、武器も、逃げ道も止める。


 そして、黒い仮面は少しずつ気づき始める。


 この町の夜に、ただのチンピラではない何かが動いていることに。

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