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第三話 注文の多いギルド職員

 ルネリアの職人街は、朝からうるさい。


 金属を打つ音。

 木材を削る音。

 革を伸ばす音。

 誰かの怒鳴り声。

 たまに、何かが爆ぜる音。


 最後の音だけは、できれば聞きたくない。


 冒険者ギルドの見習い職員リオは、昼休みの短い時間を使って、その職人街を歩いていた。


 眠い。


 ものすごく眠い。


 だが、行かなければならない場所がある。


 昨夜、黒蝶として出た複製体が戻ってきた時、疲労と記憶と少しの肩の痛みがまとめて本体へ返ってきた。


 そして、もう一つ返ってきたものがある。


 道具の消耗だ。


 眠り弾は減った。

 粘着弾も減った。

 煙幕弾も減った。

 ワイヤーの先端は少し曲がった。

 靴底の吸着材は、石壁にこすれて一部が剥がれかけている。


 つまり、補充と修理が必要だった。


 黒蝶は夜に出る。

 しかし、黒蝶の道具は昼に直す。


 このへんが、ヒーロー活動の現実だった。


 いや、ヒーロー。


 前世の言葉だ。

 この世界では、たぶん通じない。


 だから、リオはその言葉を口には出さない。


「失礼します」


 職人街の奥にある小さな工房の扉を開ける。


 看板には、簡素な文字でこう書かれていた。


 ミラ工房。


 中には、作業台と工具棚。

 吊るされた革紐。

 金属片の入った箱。

 干された薬草。

 何に使うのか分からない小瓶が、ずらりと並んでいる。


 そして、その奥に一人の若い職人がいた。


 髪は作業の邪魔にならないよう後ろでまとめ、袖は肘までまくっている。

 指先には細かな傷。

 爪の間には、落ちきらない煤の色。

 目だけは、やけに鋭い。


 ミラである。


 ミラは作業台から顔を上げ、リオを見るなり言った。


「また来た」


「まだ何も言ってません」


「顔に書いてある」


「何がですか」


「変な注文があります、って」


 失礼な。


 そう思ったが、否定はできなかった。


 リオは鞄を作業台の上に置き、中から布袋をいくつか取り出す。


 ミラはそれを見るなり、ため息をついた。


「多い」


「まだ中身を見てませんよね」


「見なくても分かる。あんたが昼休みに来る時は、だいたい急ぎで、だいたい面倒で、だいたい変」


「今回は普通です」


「その言葉を信じられたことが一度もない」


 ミラは布袋を開けた。


 中から、小さな弾がいくつも転がり出る。


 眠り弾。

 粘着弾。

 煙幕弾。


 ドリームガンで撃ち出すための、小さな弾だ。


 リオはそれを、内心ではドリームガンと呼んでいる。


 もちろん、この世界に「ガン」という武器はない。

 剣でも杖でも弓でもないそれを、ミラはいつも「変な筒」と呼ぶ。


「眠り弾、残り二つ。粘着弾、残り一つ。煙幕弾、ゼロ」


 ミラの目が細くなる。


「夜道で何と戦ってるの」


「治安です」


「治安は個人で戦うものじゃないよ」


「護身用です」


「護身用の数じゃない」


 正論だった。


 正論は強い。

 今日はよく刺さる日である。


 リオは視線を少しだけ横へ逃がした。


 ミラはさらに鞄の中をあさり、黒い靴を引っ張り出す。


「靴底も削れてる」


「少し壁を蹴ったので」


「普通、壁は蹴らない」


「必要に応じて」


「何の必要?」


「……高低差への対応です」


「言い方だけ仕事っぽくしても駄目」


 ミラは靴底を指でなぞった。


 黒い靴の底には、薄い吸着材が貼られている。

 壁守りヤモリの足裏素材と、粘着弾に使う素材を薄く調整したものだ。


 もちろん、それだけでは人間が壁に立つことはできない。


 そこで、リオの属性が関わってくる。


 この世界の属性は、火・水・土・風の四つが基本だ。


 リオは風属性。

 ただし、その使い方は少し変だった。


「靴底の吸着だけじゃ、壁には立てないからね」


「分かってます」


「風で足裏を押しつける前提の作り。しかも、ほんの一瞬だけ。三秒も保たない」


「三秒あれば、十分です」


「普通の人は、壁に三秒立つ必要がない」


「便利ですよ」


「便利の方向がおかしい」


 ミラはそう言いながらも、手は止めない。


 工具を取り、靴底の吸着材を剥がし、新しい薄片を当てる。

 口では文句を言う。

 だが、作業は速い。


 職人としては、かなり信用できる。


 性格は、少し刺さる。


「それで、筒の方は?」


「こちらです」


 リオは腰の内側から、布で包んだ小さな筒を取り出した。


 悪人を夢に落とすための、小さな筒。


 リオの中では、ドリームガン。


 ミラの中では、変な筒。


 たぶん、しばらく名前は一致しない。


 ミラは布を開くと、小さな筒を持ち上げた。


「またこの変な筒」


「ドリームガンです」


「その“がん”って何」


「……筒です」


「じゃあ筒って言いな」


「夢に落とす筒、という意味で」


「名前まで怪しい」


 ミラは筒を光に透かすように見た。


「また射出音を抑えた?」


「はい」


「威力を落としてまで?」


「夜は静かな方が便利なので」


「風属性って、普通は速度とか威力を上げるために使うんだけどね」


「音を散らすのにも使えます」


「使えるけど、使い方が地味」


「地味は大事です」


「見た目は妙に格好つけてるのに、調整はやたら実用寄りなんだよね」


 リオは無言で目を逸らした。


 間違ってはいない。


 間違ってはいないが、正面から言われると少し心が痛い。


「そういえば最近、黒い仮面の人が出るらしいね」


「物騒ですね」


「変な筒で悪人を眠らせるらしい」


「物騒ですね」


「足を貼りつけたり、煙を出したりもするらしい」


「……物騒ですね」


「語彙が死んだ」


 ミラは筒を作業台に置く。


「あんたの注文品と、ずいぶん似てる」


「偶然ですね」


「偶然、多くない?」


「世の中は偶然に満ちています」


「便利な言葉だね」


 リオは微笑んだ。


 ミラはため息をついた。


 しばらく、工房には工具の音だけが響いた。


 小さな金具を締める音。

 弾の外殻を確認する音。

 乾燥させた眠り草の粉を、ごく少量だけ封入する音。


 ミラは、作業の手を止めずに言う。


「一つだけ言っとく」


「はい」


「あたしは、人を殺す道具は作らないよ」


 声は軽くなかった。


 リオも、自然と背筋を伸ばす。


「分かってます」


「分かってるならいい。あんたの注文は、今のところ全部“止めるため”の道具だから受けてる」


「はい」


「眠らせる。足を止める。視界を切る。逃げる時間を作る。そういうのは、まだいい」


 ミラは変な筒を指で弾いた。


 乾いた小さな音がした。


「でも、これを人を傷つけるために使うなら、次はない」


「使いません」


 リオは即答した。


 そこだけは、迷わない。


 ミラが少しだけ目を細める。


「なら、いい」


 それだけ言って、ミラは小さな箱を作業台へ置いた。


 中には、新しい弾が並んでいる。


「眠り弾、十。粘着弾、六。煙幕弾、四。ワイヤーの先端は軽めにしておいた。靴底は張り替え。あと、筒の射出音は少しだけ散るように調整」


「助かります」


「助かるような使い方をしないでほしいんだけどね」


「努力します」


「その返事、信用できない」


 どこかで聞いたようなことを言われた。


 リオは箱を受け取り、鞄へしまう。


 ミラは最後に、粘着弾を一つつまみ上げた。


「それと、これ」


「粘着弾ですか」


「足元ばかり狙うと、そのうち読まれるよ」


 リオの手が止まった。


 昨夜、赤茶髪の男がいた。


 眠らなかった男。

 動けないまま、こちらを見ていた男。


 見ていた。


 それは、複製体が戻ってきた記憶の中にも残っている。


「……もう、少し読まれたかもしれません」


「早いな」


「僕もそう思います」


 ミラは粘着弾をリオに渡した。


「じゃあ、足以外を止めな」


「足以外?」


「逃げる足より、掴む手の方が危ない時もある。武器を持つ手。扉を開ける手。誰かを捕まえる手」


 ミラは作業台を指で軽く叩く。


「止める場所は、足だけじゃない」


 リオは、粘着弾を見た。


 小さな弾だ。


 でも、使い方次第で足を止める。

 武器を止める。

 扉を止める。

 人を傷つける前の手を止める。


「……なるほど」


「今、悪い顔した」


「してません」


「してた」


 ミラはそう言って、少しだけ笑った。


 リオは鞄を肩にかける。


「では、そろそろ戻ります。昼休みが終わるので」


「リオ」


「はい」


「夜道、気をつけなよ」


「もちろんです」


「……あんたじゃなくて、あんたの知り合いの黒い人にも言っといて」


 リオは一瞬だけ固まった。


 それから、できるだけ自然に答える。


「知り合いはいません」


「そういうことにしとく」


 ミラは作業台へ視線を戻した。


 リオは軽く頭を下げ、工房を出る。


 職人街は、相変わらずうるさい。


 金属を打つ音。

 木材を削る音。

 誰かの笑い声。

 どこかで何かが小さく爆ぜる音。


 リオは鞄の重みを確かめた。


 眠り弾。

 粘着弾。

 煙幕弾。

 調整した変な筒。

 張り替えたピタ靴。


 そして、ミラの言葉。


 足以外を止めな。


 リオは小さく息を吐く。


 昨夜の赤茶髪の男が、もし本当に足元を警戒してくるなら。


 次は、足元を狙わない。


 黒蝶は、相手より強いから勝つのではない。


 相手が動く前に、動く先を塞ぐ。


 相手が考える前に、選べる道を減らす。


 気づいた時には、もう詰んでいる。


 そのための道具は、揃った。


 あとは。


 今夜、それを使う理由がないことを祈るだけだった。

お読みいただきありがとうございます。

次回以降も応援いただけると嬉しいです。

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