第二十二話 小悪党は階段を昇る
黒蝶は、夜の路地を見下ろしていた。
赤茶けた髪の男が、壁際を歩いている。
ガロだった。
以前より足取りが違う。
足元を見る。
曲がり角で上を見る。
背後も見る。
黒蝶がどこから来るかを、覚えている。
黒蝶は屋根を蹴り、路地へ降りた。
「よお」
ガロは顔を引きつらせた。
だが、驚きはしなかった。
「黒い蝶」
「お前、俺を使ったな」
「使えるもんを使って何が悪い」
「人が巻き込まれた」
「助けただろ。お前が」
黒蝶の指が、ドリームガンに触れる。
ガロの視線がそれを見る。
手元。
射線。
足元。
逃げ道。
以前より、見るのが早い。
「邪魔な連中が減った。助かった人間もいる。黒蝶様の評判も上がる。みんな得してるじゃねえか」
「お前が一番得をするように並べただけだ」
「当たり前だろ。俺が得しねえなら動くわけねえ」
黒蝶は撃った。
眠り弾。
ガロは横へ跳ぶ。
速いのではない。
読んでいた。
「同じ捕まり方はしねえ!」
ガロが走る。
黒蝶は追う。
粘着弾を足元へ撃つ。
ガロはぎりぎりで避けた。
靴の端が粘着液に触れる。
だが、ガロは靴紐を切って足を抜いた。
「靴を捨てるか」
「靴より俺が高い!」
黒蝶はワイヤーで前方へ回り込む。
ガロは曲がり角へ飛び込む直前、地面へ何かを投げた。
偽物の黒蝶札。
その下に、細い糸がある。
スネアの糸。
黒蝶は跳んでかわす。
その隙に、ガロは路地奥へ滑り込んだ。
「こっちだ! ベッツが証拠を燃やそうとしてる!」
ガロの声。
黒蝶は足を止める。
罠か。
誘導か。
それとも本物か。
情報の先に次の事故があるなら、行くしかない。
◇
廃材倉庫の裏手で、ベッツは木箱をひっくり返していた。
箱の中には、半分だけ切られた縄、削られた留め具、事故現場で使われた楔、グレイヴファミリーの作業札。
出れば困るものばかりだ。
「くそが……!」
ベッツが火打ち石を打とうとした瞬間、その手に粘着弾が当たった。
「ぎゃっ!?」
火打ち石ごと手が箱に貼りつく。
黒蝶は屋根から降りた。
「燃やすな」
「黒蝶……! 違う! 俺じゃねえ! 俺はロウドに言われて――」
言いかけて、ベッツは口を閉じる。
「続けろ」
「……くそっ」
ベッツは棍棒に手を伸ばす。
黒蝶は眠り弾を撃った。
ベッツは避けられず、膝から崩れた。
証拠は残った。
だが、木箱の位置が分かりやすすぎる。
誰かが黒蝶に見つけさせるために置いたようにも見える。
壁の陰から、笑い声がした。
「よく働くなあ、黒い蝶」
ガロだった。
「お前」
「そいつ、最近やりすぎてたんだよ。俺を殴るし、証拠は雑に隠すし、金は懐に入れるし」
「俺に潰させたのか」
「証拠を守ったんだろ、お前が」
「お前のためじゃない」
「結果は同じだ」
ガロは肩をすくめる。
「これでベッツは終わり。ロウドは責任を押しつける相手ができる。俺は、情報を拾った奴として値が上がる」
「人を巻き込んだ事故を、出世の材料にするのか」
「事故を起こしたのは俺じゃねえ」
「利用はした」
「使えるもんを使っただけだ」
黒蝶は一歩踏み出す。
ガロは一歩下がる。
足元には、また細い糸。
「スネアか」
「さあな」
「お前は、あいつにも使われている」
「知ってる」
ガロは笑った。
「使われてる間は、近くで見られる。見て覚えりゃ、次に使える」
黒蝶はガロを見る。
弱い。
まだ弱い。
だが、転がされるだけの小悪党ではなくなっている。
「ガロ」
「あ?」
「人を殺すな」
ガロの笑みが、一瞬消えた。
「……俺が殺したみたいに言うな」
「殺す方向に転がすな、と言っている」
「説教かよ」
「警告だ。越えたら、止める」
ガロはしばらく黙り、にやりと笑った。
「止められるうちはな」
糸が引かれた。
古い布束が落ち、視界を塞ぐ。
黒蝶が布を裂いた時には、ガロは消えていた。
追える。
だが、ベッツが眠っている。
証拠の箱もある。
黒蝶は追わなかった。
◇
翌日。
グレイヴファミリーの古い倉庫で、ベッツは床に膝をついていた。
両手は縛られている。
目の前にはロウド。
「証拠を燃やそうとして、黒蝶に踏まれた。おまけに、懐に入れてた金まで出てきた」
「違う! 俺だけじゃねえ! あれは――」
「うるせえ」
ロウドが言うと、周囲は黙った。
ガロは端に立っていた。
目立たない位置。
だが、全部見える位置。
ベッツの右足が震えている。
もう、あの拳は怖くない。
「ガロ」
ロウドが呼ぶ。
「あ?」
「お前が場所を掴んだんだったな」
「拾っただけだ」
「拾える奴は使える」
ロウドはベッツを一瞥した。
「今日から、廃材置き場の小班はお前が見ろ」
倉庫がざわつく。
ガロは少しだけ目を細めた。
「俺が?」
「不満か」
「いや。見るだけでいいのか?」
ロウドが笑う。
「拾え。夜鴉の残りカスも、修復現場の余りも、ギダンの爺どもが落とした弱みもだ」
「分かりやすい仕事だな」
「できるか」
「できる」
ガロは即答した。
「拾うのは得意なんでね」
ベッツがガロを睨む。
ガロは、その視線を正面から受けた。
殴り返してはいない。
力で勝ってもいない。
だが、ベッツの場所は空いた。
そこに、自分が立った。
◇
夜。
ガロは廃材置き場の入口に立っていた。
後ろには、三人の若いごろつきがいる。
昨日までなら、ガロと同じように指示を待つだけの連中だった。
今は、ガロの顔色を見ている。
悪くない。
「おい」
ガロは顎をしゃくった。
「使える金具と、売れる札と、燃やした方がいい紙を分けろ」
「燃やすんですか」
「馬鹿か。燃やした方がいい紙は、燃やす前に誰に売れるか考えるんだよ」
若いごろつきが顔を見合わせる。
「覚えとけ。ゴミはゴミじゃねえ。値段を知らねえ奴が捨てるから、ゴミに見えるだけだ」
頭上から声がした。
「昇格おめでとう」
ガロは見上げる。
梁に、スネアが座っていた。
「盗み聞きすんな、糸屋」
「見てただけ」
「同じだ」
「三流から、二・五流くらいにはなったね」
「刻むな。一流って言え」
「それはまだ早い」
ガロは舌打ちした。
それでも、口元は笑っていた。
「黒蝶には怒られた?」
「説教された」
「怖かった?」
「うるせえ」
「怖かったんだ」
「うるせえって言ってんだろ」
スネアは楽しそうに笑った。
「でも、君は逃げた。ベッツは落ちた。君は上がった」
「勝ちだろ」
「少しね」
「少しじゃねえ」
ガロは廃材置き場を見回した。
たかが小班。
たかがグレイヴファミリーの端っこ。
だが、端でも上は上だ。
昨日よりは上にいる。
明日は、もっと上に行く。
「最後に上にいりゃ、勝ちなんだよ」
「今は?」
「一段上がった」
「じゃあ、次は落ち方も派手になるね」
「落ちねえよ」
「君は落ちても覚えるだろ」
ガロは答えなかった。
否定できなかったからだ。
廃材置き場の外では、ルネリアの夜がざわめいている。
黒蝶の噂。
グレイヴとギダンの小競り合い。
事故に見せた細工。
地面の下の、妙な揺れ。
全部、まだ終わっていない。
全部、使える。
ガロは、欠けた黒い羽根札を指で弾いた。
小さな札が、夜の中で回る。
落ちる前に、ガロはそれを掴んだ。




