第十九話 悪党は廃品回収する
ガロは、廃材置き場の隅で木箱を蹴った。
中から出てきたのは、曲がった釘、割れた金具、焦げた荷札、使い古しの縄。
まともな職人なら捨てる。
まともな商人なら見向きもしない。
だが、まともではない場所では、こういうものにも値がつく。
古い荷札は、偽の搬入記録に使える。
切れた縄は、事故に見せる材料になる。
曲がった金具も、鍛冶場に流せば小銭になる。
そして、黒い羽根印の欠けた札は、まだ一部の馬鹿には効く。
「拾ったもんは、拾ったやつのもんだ」
ガロは欠けた札を指で弾いた。
夜鴉商会ルネリア支部は潰れた。
だが、支部が使っていた物も、人も、符丁も、全部が消えたわけではない。
誰かが捨てたものを、別の誰かが拾う。
夜の裏側なんて、だいたいそんなものだ。
「独り言が多いな、三下」
背後で男が笑った。
グレイヴファミリーの下っ端、ベッツだった。
太い腕。
潰れた鼻。
笑い方だけは大物ぶっている。
「三下じゃねえ。ガロだ」
「同じだろ」
ベッツは近づき、ガロの手元を覗き込んだ。
「何拾った」
「ゴミだよ」
「見せろ」
「てめえの目は節穴か。ゴミだって言ってんだろ」
次の瞬間、拳が飛んだ。
ガロは避けきれなかった。
頬に食らい、地面に転がる。
痛い。
腹が立つ。
だが、目は閉じなかった。
ベッツの右足。
踏み込みが浅い。
殴る前に肩が上がる。
左腰に短い棍棒。
懐の袋には銅貨の音。
見えた。
覚えた。
一度見たものは、忘れない。
「おい、聞いてんのか」
ベッツがガロの髪を掴もうとする。
ガロは、その手が来る前に転がった。
掴まれない。
さっき殴られた角度は覚えた。
同じ手は、少しだけ遅く見える。
「ちっ。逃げ足だけは早いな」
「生きてりゃ勝ちだろ」
「まだ勝ってねえよ」
「最後に勝てばいいんだよ」
ガロは口の端の血を拭った。
痛い。
怖い。
腹が立つ。
だが、見えた。
それで十分だった。
◇
廃材置き場の奥には、修復現場から運ばれた木材が積まれていた。
昼に職人街の荷吊り場で落ちた材木の一部も混じっている。
事故扱い。
点検不足。
夜鴉支部崩壊後の混乱。
そういうことになっている。
だが、ガロは昼間、現場近くを見ていた。
縄の切れ方が妙だった。
半分だけ先に切られていたような跡。
ああいう切り方を、素人はしない。
完全に切れば、すぐばれる。
切らなすぎれば、事故にならない。
ちょうど落ちるように。
ちょうど疑われにくいように。
「……気に食わねえな」
ガロは落ちていた縄の切れ端を拾う。
切り口は綺麗だった。
綺麗すぎる。
「それ、持って帰るの?」
声がした。
ガロは振り向く。
廃材の山の上に、灰茶のフード付きロングコートの男が座っていた。
罠師スネア。
いつからいたのか分からない。
いつもそれだ。
「てめえ、勝手に出てくんな」
「勝手に出るために、隠れてるからね」
「意味分かんねえんだよ」
「分からなくていいよ」
スネアは軽く指を動かした。
ガロの足元で、細い糸が揺れる。
ガロは反射的に足を引いた。
踏まない。
踏まなかった。
スネアの目が、少しだけ細くなる。
「ほら。同じ踏み方をしなくなった」
ガロは舌打ちした。
「馬鹿にしてんのか」
「観察してる」
「もっと悪いわ」
スネアは廃材の山から降りた。
音がほとんどしない。
「君は、普通の三流より少しだけ面白い」
「三流三流うるせえ」
「だって一流じゃないし」
「いつかなるんだよ」
「何に?」
ガロは答えなかった。
強い奴。
使われる側じゃない奴。
踏まれても、最後には踏み返せる奴。
何と呼ぶのかは、まだ知らない。
だが、今のままで終わる気はなかった。
スネアは、ガロが持っている縄の切れ端を見た。
「切り口を見たんだね」
「やっぱり、おかしいのか」
「おかしいね。少なくとも、忙しくて点検を忘れた縄じゃない」
「誰の仕事だ」
「さあ」
「知らねえのかよ」
「知ってたら、もっと高く売る」
こいつはこういう奴だ。
ガロは鼻を鳴らした。
「グレイヴか」
「かもしれない」
「ギダンか」
「それも、ないとは言わない」
「どっちだよ」
「どっちでもないかもしれない」
ガロは顔をしかめた。
「面倒くせえな」
「面倒は金になるんだろ?」
「俺の台詞を盗るな」
スネアは楽しそうだった。
腹立たしいほどに。
◇
その夜、グレイヴファミリーの下っ端たちは、壊れた荷置き場の裏に集まっていた。
修復現場で出た廃材の回収。
表向きはそういう話だった。
実際には、ギダン一家が顔を利かせていた荷場へ、グレイヴ側が入り込むための下準備でもある。
ロウドが低い声で言った。
「明日の朝、東荷場に入る。ギダンの爺どもが文句を言ってきたら、こっちの人足を先に並べろ」
「揉めたら?」
ベッツが聞く。
「揉めるようにしろ」
男たちが笑った。
ガロは端で黙っていた。
揉めるようにする。
その言葉を覚える。
ロウドは続ける。
「修復で人手が足りねえ。荷車も足りねえ。資材置き場も足りねえ。だったら、先に場所を押さえたやつが勝つ」
「ギダン一家は」
「あいつらは古い。筋だの顔だの言ってる間に、席を取られる」
ロウドは笑った。
「夜鴉が消えたんだ。次は、俺たちが座る」
男たちが低く笑う。
ガロは、その笑いを聞きながら、廃材の陰に置かれた木箱を見た。
縄。
楔。
古い留め具。
新しい刃物。
そして、半分だけ切られた縄の束。
ガロは、目を細める。
見えた。
さっきの切り口と似ている。
ただし、ここで騒ぐほどガロは善人ではない。
誰がやったか。
誰が知っているか。
誰に売れば高いか。
それを考える。
黒蝶に売るか。
ギダンに売るか。
グレイヴの上に売るか。
それとも、手元に置いてもっと高くなるまで待つか。
「おい、ガロ」
ベッツが声をかける。
「てめえ、何見てやがる」
「金になりそうなもん」
「廃材でも舐めてろ」
笑い声。
ガロは笑い返した。
覚えてろよ、潰れ鼻。
その懐の銅貨袋も、棍棒の位置も、殴る前の癖も。
全部、覚えた。
◇
集まりが終わった後、ガロは一人で路地を歩いていた。
懐には、縄の切れ端。
欠けた黒い羽根札。
そして、廃材置き場で拾った小さな楔。
どれも、今すぐ大金になるものではない。
だが、情報は腐る前なら売れる。
腐る寸前なら、もっと高く売れる。
「黒蝶を倒せば名が売れる」
ふいに、横から声がした。
スネアだった。
ガロは驚かなかった。
少しだけ腹が立ったが、驚きはしなかった。
「また出たな、糸屋」
「出やすい場所を歩くから」
「俺のせいかよ」
「半分くらい」
スネアは、ガロの横に並ぶ。
「最近、そういう連中が増えてる。黒蝶を倒して名を売りたい悪党」
ガロは鼻で笑った。
「馬鹿じゃねえのか」
「馬鹿だね。でも、気持ちは分からなくもない。夜鴉支部を潰した黒い仮面を倒せば、昨日まで路地裏で小銭を拾っていた三下でも、明日には名前が売れる」
「三下を例に出すな」
「君の話じゃないよ」
「今、俺を見ただろ」
「見ただけ」
ガロは舌打ちした。
黒蝶を倒す。
そう考える奴はいる。
たしかにいるだろう。
夜鴉を潰した黒い蝶。
そいつを転がせば、名前が売れる。
自分も、少し前ならそう考えたかもしれない。
だが、今は違う。
黒蝶は強い。
速い。
足元を取る。
上から来る。
眠らせる。
縛る。
そして、こっちが一度見た手を覚えても、その次には別の手を使ってくる。
今のガロが正面から勝てる相手ではない。
それくらいは、分かる。
分かっているから、生きている。
「倒せねえなら、使えばいい」
ガロは言った。
スネアの足が止まる。
「へえ」
「黒蝶が動く場所を売る。黒蝶が潰した後を拾う。黒蝶に邪魔なやつをどかさせる」
ガロは笑った。
「使えるもんを使って何が悪い」
「悪くはないね」
「だろ」
「ただ、黒蝶に気づかれたら?」
「逃げる」
「逃げ切れなかったら?」
「次は、同じ捕まり方はしねえ」
ガロは、足元の石畳を見る。
糸はない。
影はある。
黒蝶の影ではない。
自分の影だ。
まだ小さい。
だが、地面にしがみついている。
「俺は、負け方を覚えるんだ」
スネアは、少しの間だけ黙っていた。
それから、小さく笑う。
「君、本当に面白いね」
「気色悪い褒め方すんな」
「褒めてるよ。半分くらい」
「残り半分は」
「観察」
「やっぱ気色悪いわ」
ガロは歩き出す。
懐の縄の切れ端が、服の内側でかさりと鳴った。
これはまだ売らない。
もっと高くなる。
もっと揉める。
その時に出せば、価値が上がる。
街は今、混乱している。
夜鴉が消えた。
グレイヴが伸びる。
ギダンが押される。
黒蝶の名前は売れ始めている。
そして、事故に見える何かが起きている。
全部、使える。
全部、拾える。
ガロは、にやりと笑った。
「最後に俺が上にいりゃ、それで勝ちだ」
夜の路地に、その声だけが小さく残った。




