第十八話 ギルド職員は後始末に追われる
夜鴉商会ルネリア支部が潰れた。
そう聞けば、街は少し平和になる。
普通は、そう思う。
リオも、少しだけそう思っていた。
少なくとも、黒い羽根印の偽依頼票や、夜の倉庫で燃やされかける荷札や、声を奪われる証人の心配は減るはずだった。
だが、翌朝。
ルネリア冒険者ギルドの受付奥には、紙の山があった。
また紙である。
「……夜鴉って、潰れたんですよね」
リオは帳簿を抱えながら言った。
主任のマーレが、別の書類束を机に置く。
「潰れたな」
「なのに、どうして仕事が増えているんでしょう」
「悪事は消えても、後始末は残る」
「名言みたいに言わないでください。つらくなります」
「俺もつらい」
マーレは、いつもより少しだけ目の下が暗かった。
夜鴉支部から押収された帳簿の照合。
偽依頼票に関わった冒険者や人足への聞き取り。
封鎖された倉庫の安全確認。
焼けた荷置き場の修復依頼。
夜鴉が勝手に使っていた裏の搬入路の調査。
そして、支部崩壊で宙に浮いた依頼の整理。
どれも必要な仕事だった。
必要な仕事は、たいてい面倒である。
「それだけじゃない」
奥から出てきたオルドが、低い声で言った。
「夜鴉が使っていた荒くれ者が、街へ散った」
リオは顔を上げる。
「荒くれ者、ですか」
「見張り、荷運び、脅し、偽依頼票の張り替え。正式な構成員ではないが、夜鴉の下で小銭を稼いでいた連中だ」
オルドは、受付横に積まれた苦情票を指で叩いた。
「昨日だけで、倉庫街の揉め事が五件。職人街の資材置き場で喧嘩が二件。荷車の順番を巡る脅しが一件」
「夜鴉が消えたのに、治安が悪くなるんですか」
「蓋を壊せば、中にいた虫は散る」
「虫、ですか」
「虫ならまだいい。腹を空かせたごろつきは、虫より面倒だ」
言い方は悪い。
けれど、分かりやすかった。
夜鴉支部は悪だった。
だが、その悪は、街の裏で人や荷や金を動かしていた。
そこが突然崩れた。
すると、今までその下で働いていた半端者たちが、次の餌場を探し始める。
そして今、ルネリアには餌が多い。
修復。
整備。
再開発。
夜鴉が使っていた倉庫や荷場を、表の業者が取り戻そうとしている。
焼けた場所を直す。
壊れた道を整える。
古い水路を点検する。
人が動く。
金が動く。
資材が動く。
そういう時、悪党も動く。
「グレイヴファミリーの名前が出始めています」
マーレが、別紙を差し出した。
「元々、ルネリアでは中堅どころのギャングでした。廃材回収や荷場の揉め事に顔を出していた連中です。夜鴉支部が潰れてから、急に人を集めています」
「もう一つは」
リオが紙を見る。
「ギダン一家……?」
「昔かたぎの地回りだ」
オルドが言った。
「まっとうな連中とは言わん。だが、荷場や職人街では顔が利く。揉め事の落とし所を作ることもあった」
「悪党なのに、仕事熱心なんですね」
「悪党にも種類がある。筋を通す悪党と、筋ごと踏む悪党だ」
リオは、書類に目を落とした。
グレイヴファミリー。
勢力拡大中。
廃材、瓦礫、資材回収。
夜鴉系の荒くれ者を取り込み中。
ギダン一家。
古い地回り。
荷場、人足、職人街との繋がりあり。
押され気味。
「夜鴉がいなくなったことで、裏の席が空いたわけですね」
「そういうことだ」
オルドは苦々しく言った。
「空いた席に、誰が座るか。今のルネリアの裏は、それを探っている」
リオはペンを取った。
表では修復。
裏では利権争い。
その間に、ギルドが挟まれる。
よくない。
かなりよくない。
「それと、もう一つ」
オルドが、机の上に古い地図を広げた。
ルネリア城下町の地下水路と、古い荷道の図だった。
「夜鴉が勝手に使っていた裏道の一部が、古い水路に繋がっていた。修復と封鎖のついでに、地下も点検する必要がある」
「地下までですか」
「城下町は、上だけでできているわけじゃない」
オルドは地図の中央を指で叩いた。
「古い水路、埋められた荷道、昔の基礎、魔力灯の導線。下を触れば、上にも影響が出る」
リオは地図を見る。
細い線が、街の下を血管のように走っていた。
「……魔脈、ですか」
「古い言い方をすればな」
オルドは頷いた。
「ルネリアの下には、魔力の流れがある。普段は意識するほどのものじゃない。だが、あちこち掘り返し、塞ぎ、直し、荷を動かせば、流れが乱れることもある」
「それも事故の原因に?」
「可能性は低い。だが、ゼロじゃない」
マーレがため息をついた。
「人手不足、手続きの混乱、ごろつき、利権争い、地下の点検。盛りだくさんですね」
「嬉しくない盛り合わせだ」
リオは地図を見ながら呟いた。
街の下を流れる魔力。
ルネリアの魔脈。
今まで、考えたこともなかった。
自分の影が、床に落ちている。
ただの影。
そう思った瞬間、なぜか少しだけ、その輪郭が遅れて揺れた気がした。
リオは瞬きをする。
影は、いつも通りだった。
「リオ」
「はい」
「午後、職人街の荷吊り場へ行け。修復用の材木搬入がある。ギルドからの立ち会いが必要だ」
「僕がですか」
「お前は書類だけでなく、現場も見ろ」
「書類が恋しくなりそうですね」
「安心しろ。戻れば書類もある」
「安心とは」
マーレが少し笑った。
笑えない。
◇
同じ頃。
職人街の裏手。
使われなくなった小さな資材置き場で、ガロは数人の男に囲まれていた。
男たちは、どれも目つきが悪い。
腰には短い棍棒や、錆びたナイフ。
まともな荷運び人足には見えない。
その中央に、背の高い男が座っていた。
黒灰色の上着。
首元には、くすんだ銀の鎖。
顔には古い傷。
グレイヴファミリーの末端をまとめる男、ロウドだった。
「お前がガロか」
「ああ」
ガロは顎を上げた。
内心では、少しだけ足が震えている。
だが、震えを見せる気はなかった。
「夜鴉に使われて、黒蝶に転がされた三下だって聞いたぞ」
周囲の男たちが笑う。
ガロのこめかみがひくついた。
「転がされたから、知ってんだよ」
「あ?」
「夜鴉がどこで荷を動かしてたかも、黒蝶がどこを見るかも、あいつがどこから来るかもな」
ロウドの目が少し細くなる。
笑い声が止まった。
ガロは懐から、欠けた黒い羽根札を出した。
夜鴉支部跡で拾ったものだ。
「こいつの符丁、読めるやつがまだいる。使い方も、少しは分かる」
「盗んだのか」
「拾ったんだよ。落ちてるもんは、拾ったやつのもんだろ」
ロウドは鼻で笑った。
「で、お前は何が欲しい」
「仕事」
ガロは即答した。
「それと、上に行く道」
また笑いが起きる。
今度は、さっきより大きい。
ガロは黙っていた。
笑わせておけばいい。
見下させておけばいい。
近くで見られる。
誰が笑うのか。
誰が黙るのか。
誰がロウドの顔色を気にしているのか。
そういうものは、後で使える。
一度見たものは、忘れない。
一度踏まれた場所は、次に踏み台にできる。
「面白い三下だな」
ロウドは立ち上がった。
「いいだろう。まずは廃材置き場の見張りだ。そこで役に立ったら、次をくれてやる」
「安い仕事だな」
「三下には十分だ」
ガロは笑った。
「十分だ。最初はな」
その時、資材置き場の奥で、細い糸が揺れた。
ガロだけが、それを見た。
見てしまった。
闇の奥に、灰茶のフードが一瞬だけ見える。
スネアだった。
声はない。
ただ、薄い笑みだけがある。
ガロは舌打ちしそうになり、こらえた。
見られている。
面白がられている。
腹立たしい。
だが、利用できるなら利用する。
黒蝶も、スネアも、グレイヴも。
最後に上にいるのが自分なら、それで勝ちだ。
◇
午後。
職人街の荷吊り場は、騒がしかった。
夜鴉支部の事件で一部の倉庫が使えなくなったため、修復用の材木や金具が次々と運び込まれている。
荷車。
人足。
職人。
冒険者。
衛兵。
そして、ギルド職員。
「人、多すぎませんか」
リオは記録板を抱えながら呟いた。
マーレが隣で頷く。
「多い。しかも、業者ごとに段取りが違う」
「事故が起きそうですね」
「だから俺たちがいる」
「責任重大ですね」
「今さら気づいたのか」
荷吊り場では、大きな材木の束が滑車で吊られていた。
古い建物の補修に使う梁材だ。
上では職人が縄を確認している。
下では人足が声を張り上げ、通行人を遠ざけている。
リオは記録板に時間を書き込んだ。
吊り上げ開始。
作業員四名。
冒険者二名待機。
縄、滑車、楔、確認済み。
そう書いた時だった。
ぎしり、と音がした。
嫌な音だった。
リオが顔を上げる。
吊られた材木の束が、わずかに傾く。
「止めろ!」
マーレが叫んだ。
だが、遅い。
縄が弾けた。
材木の束が斜めに落ちる。
下にいた人足が一人、動けずに固まった。
冒険者が飛び込む。
リオも走った。
風を使うわけにはいかない。
ここには人が多すぎる。
ただ、声を張る。
「左へ! 伏せて!」
人足が転がる。
材木の束は、地面に叩きつけられた。
鈍い音。
土埃。
悲鳴。
幸い、直撃した者はいなかった。
冒険者が人足を引きずり出し、マーレがすぐに人数を確認する。
「怪我人は!」
「腕を擦っただけだ!」
「こっちは無事!」
リオは息を吐いた。
助かった。
助かったが。
足元に、切れた縄が落ちていた。
リオはそれを拾う。
縄は古い。
使い込まれている。
だが、切れ口が妙だった。
擦り切れたのではない。
荷の重みに耐えきれず千切れたのでもない。
切り口が、やけに整っている。
誰かが先に、半分だけ切っていたように。
「リオ?」
マーレが声をかける。
リオは、縄の断面を見つめた。
周囲では作業員たちが口々に言っている。
「忙しかったからな」
「点検が甘かったんだろ」
「夜鴉の後始末で、どこも人が足りねえんだ」
たしかに、そう見える。
そう見えてしまう。
だが、リオの指先は、縄から離れなかった。
ただのミスにしては。
少しだけ、綺麗すぎた。
その時、材木が落ちた石畳の隙間から、細い土埃がふわりと上がった。
風はない。
誰も踏んでいない。
それなのに、土埃は一瞬だけ、何かに押し上げられるように揺れた。
リオの足元の影も、ほんのわずかに震える。
黒ではない。
ただの影のはずなのに、少しだけ重い。
ほんの一瞬。
瞬きをした時には、もう消えていた。
リオは、切れた縄を握り直す。
事故。
細工。
そして、足元の違和感。
街の上だけではない。
何かが、下でも動き始めている気がした。




