第十七話 ギルド職員は帳簿を仕分ける
翌朝。
ルネリア冒険者ギルドの受付奥には、紙の山があった。
山。
比喩ではない。
押収された帳簿。
偽依頼票の元紙。
新人冒険者名簿。
裏荷運びの控え。
黒い羽根印の封蝋。
倉庫番号の一覧。
見れば見るほど、目が疲れる紙ばかりだった。
「……リオ」
「はい」
「顔が紙に負けているぞ」
主任のマーレが言った。
「昨日、紙には勝ったはずなんですが」
「量で負けている」
「紙は数で攻めてくるんですね」
「事務仕事とはそういうものだ」
ひどい現実だった。
リオは帳簿を一冊開く。
表向きは、夜鴉商会ルネリア支部の荷運び記録。
だが、欄外に小さな印がある。
黒い羽根。
それが付いている荷だけ、別の帳簿にも名前が出ていた。
偽依頼票。
新人名簿。
外倉庫。
旧荷置き場。
南倉庫裏。
夜に黒蝶が見たものと、昼にギルド職員が読むものが、紙の上でつながっていく。
変な気分だった。
夜に守った帳簿を、朝に仕分ける。
黒い仮面で拾った証拠を、見習い職員の手で整理する。
二重生活にも、いろいろある。
「リオ、これはどう見る」
マーレが一枚の荷札を見せた。
端が焦げている。
おそらく、バーナーが燃やそうとしたものの一部だ。
「この番号、裏帳簿では空欄扱いです」
「空欄?」
「表の帳簿では荷が動いている。でも裏帳簿では荷がなかったことになっています」
「つまり」
「動かしたことを、消す前提だったんでしょう」
マーレは嫌そうに眉を寄せた。
「なるほど。紙の上で荷を殺すわけか」
「嫌な言い方ですが、合っていると思います」
「お前もだいぶ嫌な紙の読み方を覚えてきたな」
「覚えたくはありませんでした」
心からそう思う。
奥の扉が開き、オルドが入ってきた。
その表情は重い。
「夜鴉本部から使者が来た」
受付奥の空気が変わる。
「早いですね」
マーレが言う。
「早すぎる」
オルドは低く返した。
「ルネリア支部長は、独断で不正を行った元責任者。夜鴉商会本部は衛兵隊とギルドの調査に全面協力する。支部看板は本日中に差し替え。関係者の整理も本部主導で行うそうだ」
「切り捨てですか」
リオが言うと、オルドは短く笑った。
「切り捨て慣れてるな」
夜鴉支部は潰れた。
だが、夜鴉商会は潰れていない。
支部長は捕まった。
だが、本部はもう次の顔を用意している。
黒い羽根は折れたのではない。
汚れた羽根を一枚、抜いただけだ。
「表向きは、夜鴉も被害者というわけですね」
マーレの声には、苦みが混じっていた。
「そういうことだ」
オルドは帳簿の山を見る。
「だからこそ、この紙は丁寧に読む。支部長一人の独断で済ませるには、少し紙が多すぎる」
「はい」
リオは頷いた。
眠い。
疲れている。
でも、ここで目を逸らすわけにはいかなかった。
◇
昼過ぎ。
リオはようやく短い休憩をもらい、自室へ戻った。
机の上には、黒蝶の装備が置いてある。
焦げた外套。
煤のついたドリームガン。
少し削れたピタ靴。
そして、メモ。
リオは椅子に座り、ペンを取った。
火。
水。
風。
土。
この世界の基本属性。
今までは、なんとなく理解していたつもりだった。
火は燃やす。
水は流す。
土は固める。
風は吹かせる。
だが、違う。
少なくとも、強い相手はそんな単純な使い方をしていなかった。
薄灰の処置服の男は、水で攻撃したのではない。
一滴を届かせた。
薬を運び、反応させ、声を奪った。
バーナーは、ただ火を放ったのではない。
紙を選んで焼いた。
粉を焦がし、粘着液を弱め、火の道を作った。
黒蝶自身も、ただ風を吹かせたのではない。
火を煽らないように道をずらした。
足裏を壁へ押しつけた。
眠り粉を、背後から回り込ませた。
属性は、攻撃の名前ではない。
現象をどう使うかだ。
リオは、メモに書き足す。
火は、燃やす条件。
水は、届かせる媒体。
風は、流れと姿勢。
では、土は?
ペン先が止まる。
土。
支える。
塞ぐ。
形を残す。
足場を作る。
崩れないようにする。
黒蝶は追える。
飛べる。
止められる。
でも、支えることには向いていない。
燃える倉庫で、人と紙を同時に守れなかった。
昨日は、人を選んだ。
それは間違いではない。
だが、選ばなくていい手があるなら。
「……いや」
リオはペンを置いた。
考えすぎだ。
今は寝た方がいい。
正しい判断だった。
問題は、正しい判断ほど実行が難しいことである。
◇
その夜。
夜鴉支部の外倉庫跡には、もう看板も灯りもなかった。
衛兵の封鎖縄が張られ、表の荷は本部の者が運び出した後だ。
だが、闇の中で一人の男がしゃがみ込んでいた。
赤茶けた髪。
目つきの悪い若い男。
ガロである。
「へっ。大商会様が落としたもんだ。拾ったやつの勝ちだろ」
ガロは木箱の隙間を探っていた。
封蝋の欠片。
壊れた留め金。
使えそうな紐。
小さな銅貨が一枚。
「しけてんな」
「そこ、踏むと締まるよ」
声がした。
ガロは反射的に後ろへ跳ぶ。
足元で、細い糸がぴんと鳴った。
「うおっ!? てめえ、糸屋か!」
暗がりから、灰茶のフード付きロングコートの男が現れた。
罠師スネア。
腰には糸巻き。
指先には、細い金具。
薄い笑みだけが、闇の中で見えた。
「残り糸の回収に来ただけだよ」
「だったら邪魔すんな。落ちてるもんは拾ったやつのもんだろ」
「拾う前に、何が落ちてるか見た方がいい」
スネアが指を軽く引く。
ガロのすぐ横で、残っていた糸が小さく締まった。
もし踏んでいれば、足首を取られていただろう。
ガロは顔をしかめる。
「殺す気か」
「殺す気なら、もう締まってるよ」
「性格悪ぃな、てめえ」
「よく言われる」
スネアは落ちていた糸巻きを拾い上げ、軽く払った。
「夜鴉は終わりだね。この支部は」
「本部は生きてんだろ」
「そう。だから面倒なんだ」
ガロは木箱の陰から、小さな札を拾った。
黒い羽根印の欠けた札。
支部が使っていたものだろう。
「こんなもん、何の役に立つ」
「役に立たないと思うなら捨てればいい」
「捨てるとは言ってねえ」
ガロは札を懐にしまった。
「捨てたもんにも、値はつくんだよ」
スネアは少しだけ目を細めた。
「三流にしては、目ざといね」
「あ?」
「褒めてる」
「嘘つけ」
「半分くらいは」
ガロは舌打ちした。
腹立たしい。
黒蝶も腹立たしいが、この糸屋も相当に腹立たしい。
だが、ガロは見ていた。
夜鴉支部が潰れた。
親玉は消えた。
残ったのは、半端な道具と、使い捨てられた連中と、誰も拾わない小さな情報。
そこには、金の匂いがある。
ガロはそれを知っている。
そういうところでしか、生きてこなかったからだ。
「なあ、糸屋」
「何」
「夜鴉が捨てたもん、他にもあるよな」
スネアは、少しの間だけ黙った。
それから、薄く笑う。
「あるだろうね」
「どこに」
「自分で探しなよ」
「けちくせえ」
「ただで教えるほど、親切じゃない」
スネアは糸巻きを懐に入れ、背を向けた。
「拾うなら、足元だけじゃなくて、上も見た方がいい」
「黒蝶にも同じこと言われたぞ」
「なら、学べば?」
「うるせえ」
ガロは吐き捨てる。
だが、視線は足元だけではなく、壁、屋根、木箱の影へ動いていた。
スネアはそれを見て、少しだけ笑った。
「じゃあね、三流」
「誰が三流だ!」
「そこは怒るんだ」
スネアは夜の奥へ消えた。
ガロは一人、外倉庫跡に残される。
手の中には、欠けた黒い羽根の札。
使い道は、まだ分からない。
だが、捨てる気はなかった。
ルネリアの夜から、夜鴉支部は消えた。
けれど、夜そのものが綺麗になったわけではない。
空いた場所には、別のものが入り込む。
ガロはにやりと笑った。
「拾えるもんは、拾っとくか」
夜の隅で、小さな悪党が腰を上げる。
それは、まだ誰にも知られていない、次の面倒の始まりだった。




