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第十三話 ギルド職員は煙を追う

 翌朝。


 リオは受付奥の机で、三枚の紙を並べていた。


 一枚目は、昨夜の聞き取り書き。


 文字の一部が滲んでいる。


 二枚目は、衛兵が急いで写し取った控え。


 三枚目は、リオが今、清書している確認用の写し。


「……リオ」


「はい」


「紙を睨んでも、昨日より字は戻らないぞ」


 主任のマーレが言った。


「気合いで戻る可能性は」


「ない」


「魔法で戻る可能性は」


「担当外だ」


「では、書き直します」


「最初からそうしろ」


 正論だった。


 リオはペンを握り直す。


 昨夜、ガンドロは声を失った。


 命はある。


 だが、喋れない。


 手も震え、文字を書くことも難しい。


 薄灰の処置服の男。


 空気穴から流れた薬。


 防毒布に残った薬草との反応。


 水滴。


 滲む文字。


 リオは、清書の手を止めずに言った。


「今後、証言と書類は分けましょう」


「分ける?」


「原本、写し、要点だけの控え。できれば別々の人が持つ形で」


 マーレが眉を上げる。


「昨夜から、やけに具体的だな」


「紙が滲むと仕事が増えるので」


「それは分かる」


「増えた仕事は、主に僕に来ます」


「それも分かる」


「なら、予防したいです」


「非常に正しいが、目が据わっている」


 どうやら、目はまだ怖いらしい。


 リオは控えの紙へ、残った文字を写していく。


 全部は守れなかった。


 だが、全部を失ったわけではない。


 なら、残ったものから繋ぐ。


 それが昼のリオの仕事だった。


 奥からオルドが出てくる。


「状況は」


 マーレが報告書を手に取った。


「ガンドロは発声不能。ただし命に別状はありません。聞き取り書きは一部損傷。写しは確保済みです」


「衛兵隊は」


「詰所の空気穴、証拠品、水差し、差し入れまで調べています」


「薄灰の男は」


 リオのペンが、ほんの少し止まった。


「……まだ分かりません」


 リオは答えた。


「ですが、普通の荒事屋ではないと思います」


「そうか」


 オルドは短く言った。


 その「そうか」は、相変わらず心臓に悪い。


「リオ」


「はい」


「今日は早く帰れ」


「仕事が――」


「帰れ」


「はい」


 即答した。


 即答しないと、もっと怖いことになりそうだった。


     ◇


 夜鴉商会ルネリア支部。


 奥部屋の空気は、昨日より重かった。


 支部長は、机に両手をついている。


 その向かいに、番頭(マネージャー)が立っていた。


 黒い礼装。


 白い立襟。


 小さな黒い蝶結び。


 銀の袖留め。


 薄い帳簿と銀のペン。


 場違いなほど整った姿だった。


「ガンドロは喋れなくなった。だが、紙が残っている」


「はい」


「はい、ではない!」


 支部長の声が荒れる。


 番頭は少しも動じない。


「ご依頼は、口でした」


「だから閉じろと言った!」


始末屋サイレンスは、対象の声を閉じました。命、紙、黒蝶本人の処理は含まれておりません」


 支部長の頬が引きつった。


「詭弁だ」


「契約です」


 番頭は静かに訂正した。


「ご申告の範囲で、見積もりました」


「黒い蝶が邪魔をしたんだぞ」


「でしょうね」


「でしょうね、だと?」


「はい。黒蝶の危険度を軽く申告されたのは、そちらです」


 支部長は言葉に詰まった。


 黒蝶を軽く見た。


 いや。


 軽く見たかった。


 そうでなければ、本部に報告しない理由がなくなる。


 番頭の銀のペンが、帳簿の端を叩いた。


「見積もりを変更されますか」


 支部長は喉を鳴らした。


 もう戻れない。


 ガンドロは使えない。


 名簿も偽依頼票も押さえられている。


 黒蝶は、夜のたびにそれを朝へ返す。


「あいつを消せ」


 支部長は言った。


「黒い蝶を消せ」


「対象を変更。黒蝶本人の処理ですね」


「そうだ」


「証拠焼却は」


「含めろ。紙も札も、封蝋も荷札も、残っているものは全部だ」


「緊急案件です」


「払う」


「割増になります」


「払う!」


「失敗時の追加処理は別途です」


 支部長は歯を食いしばった。


 それでも頷く。


 番頭は帳簿へ一行書き加えた。


「口封じから、焼却案件へ変更します」


「焼却案件?」


「紙、札、封蝋、荷札。および黒蝶本人。申告内容から判断して、担当を替えます」


「勝てるんだな」


 番頭は、薄く目を伏せた。


「焼却屋は、燃やす仕事で失敗しません」


 支部長は、ようやく息を吐いた。


「なら、やれ」


「では、ご依頼通りに」


     ◇


 ルネリアの外れに、古い焼き窯跡がある。


 かつて職人街で使われていたが、今は誰も近づかない。


 そこに、一人の男がいた。


 赤錆色の短髪。


 煤でくすんだ作業服。


 厚手の革手袋。


 腰には油壺と、金属製の小さな筒がいくつも吊られている。


 男は火打ち石を鳴らしていた。


 かちり。


 指先に、小さな炎が灯る。


 豆粒ほどの火。


 それだけで、周囲の空気が少し乾いた。


 焼き窯の石の上に、黒い封筒が置かれている。


 いつ置かれたのか。


 誰が置いたのか。


 男は気にしなかった。


 封を切る。


 中には、短い指示書。


 対象、黒蝶。


 処理、焼却。


 紙、札、封蝋、荷札。


 現場、南倉庫裏。


 依頼主、記載なし。


 男は笑った。


「ようやく出番か」


 指示書の隅には、帳簿の角を切り落としたような黒い印がある。


 男は紙を炎へ近づけた。


 火は紙全体を燃やさない。


 文字の部分だけを先に黒くした。


「黒い蝶なら、灰にすりゃ目立たねえな」


 焼却屋バーナー


 そう呼ばれる男は、灰になった指示書を靴底で踏み消した。


     ◇


 夕方。


 ギルドの扉が開き、若い冒険者が駆け込んできた。


「南倉庫裏で、焦げた荷札が見つかりました!」


 受付の空気が変わる。


 マーレがすぐに立ち上がった。


「火は」


「もう消えてます。でも、封蝋の付いた荷札だけが焼かれてて……それと、今夜、同じ倉庫で荷を動かすって話を聞いた人足がいるそうです」


 リオは顔を上げた。


 荷札。


 封蝋。


 南倉庫裏。


 火はもう消えている。


 だが、終わったわけではない。


 試し焼きだ。


 リオはそう思った。


 口には出さない。


「衛兵へ連絡」


 マーレが指示を飛ばす。


「現場確認の人員を出す。水桶と濡れ布も準備。夜間に荷が動くなら、周辺の人足も確認する」


「はい!」


 職員たちが動き出す。


 オルドがリオを見た。


「リオ」


「はい」


「お前は記録係だ」


「分かっています」


「黒蝶ではない」


 心臓が、一拍だけ嫌な音を立てた。


 オルドは、それ以上何も言わない。


 ただ、静かにリオを見ている。


「……もちろんです」


 リオは答えた。


 嘘は言っていない。


 昼のリオは、黒蝶ではない。


 たぶん。


     ◇


 その夜。


 リオはギルドの自室で、扉に鍵をかけた。


 机の上には、清書した聞き取り書きの写し。


 滲んだ紙。


 そして、黒蝶の装備。


 窓の外から、倉庫街へ向かう人々の声が遠く聞こえる。


 まだ煙は見えない。


 だが、リオの鼻には、焦げた紙の匂いが残っていた。


 足元の影が揺れる。


 もう一人のリオが、床から立ち上がった。


 複製体は何も言わず、黒い防毒面を取る。


 黒いゴーグル。


 黒い外套。


 ドリームガン。


 眠り弾。


 粘着弾。


 煙幕弾。


 糸見え弾。


 本体のリオが言った。


「紙を守る」


 黒蝶が頷く。


「人も守る」


 リオは、南倉庫裏の方角を見た。


 そこに煙はない。


 まだ。


「それと、火を止める」


 黒蝶は短く答えた。


「了解」


 窓が開く。


 黒い影が夜へ落ちる。


 ルネリアの夜は、まだ静かだった。

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