第十一話 ギルド職員は紙の罠を読む
旧荷置き場は、倉庫街の南端にあった。
昔は荷馬車の積み替えに使われていた場所だが、今は半分ほど使われていない。
古い木箱。
割れた荷台。
錆びた金具。
風に揺れるぼろ布。
昼間だというのに、人通りは少ない。
「いました」
リオは小声で言った。
荷置き場の奥。
木箱の前に、若い冒険者が立っていた。
古びた革鎧。
腰の短剣。
まだ新品に近い荷袋。
そして、手には一枚の依頼票。
ニコ。
名簿に載っていた鉄級冒険者だ。
その前には、二人の男がいた。
商会員に見えなくもない。
だが、腰の短棒と、周囲を気にしすぎる目が余計だった。
「荷運びだけって話ですよね?」
ニコが依頼票を見ながら言う。
「ああ。箱を三つ、指定の場所まで運ぶだけだ」
「ギルドには報告しなくていいんですか?」
「急ぎの仕事でな。あとでこちらから通しておく」
嘘だった。
通す気などない。
リオは一歩前に出た。
「その依頼は受けられません」
三人が同時に振り向く。
ニコが驚いた顔をした。
「あれ、ギルドの……」
「見習い職員のリオです」
リオは軽く頭を下げる。
男の一人が眉を寄せた。
「何だ、お前」
「ギルド職員です」
「見りゃ分かる。ここは仕事場だ。邪魔するな」
「その仕事が問題です」
リオはニコの手元を指した。
「それは偽依頼票です。ギルドを通っていません」
ニコの顔色が変わる。
「え、でも、掲示板に……」
「貼られていました。正規の依頼票に紛れ込ませる形で」
男が舌打ちした。
「言いがかりだな。紙一枚で偽物扱いか?」
「紙一枚で偽物だと分かるような作りですので」
リオは言った。
マーレが隣に立つ。
「依頼主名が曖昧。搬入先は倉庫番号だけ。受付印は粗い。紙質も違う」
リオは淡々と続ける。
「それと、この場所。正規の荷運び依頼なら、使われている南倉庫側を指定するはずです。ここは旧荷置き場です。荷を運ぶ場所ではなく、人目を避ける場所です」
ニコが一歩下がる。
男の片方が、にやりと笑った。
「見習い職員にしては、よく喋る」
「仕事なので」
「なら、仕事を増やしてやるよ」
男が短棒に手を伸ばした。
その時だった。
「やめておけ」
マーレが言った。
声は静かだった。
同時に、荷置き場の入口から衛兵が二人入ってくる。
「ギルドから通報があった。話を聞かせてもらう」
男たちの顔色が変わった。
マーレは受付で書類を処理する時と同じ顔で言う。
「ギルド職員への威迫、偽依頼票の掲示、鉄級冒険者への不正勧誘。手を出せば、さらに増える」
「……ちっ」
男は短棒から手を離した。
もう一人が後ろへ下がろうとするが、そこにも衛兵が回り込んでいる。
「違う、俺たちはただの荷運びで――」
「では、ギルド印を偽造した理由も説明できるな」
マーレが言った。
男たちは黙った。
ニコは依頼票を握ったまま、呆然としている。
「……俺、騙されてたんですか」
「はい」
リオは頷いた。
少しきつい答えだったが、ここでぼかす方が危ない。
「高額で、短時間で、誰でもできる。そういう依頼ほど、理由を確認してください」
「でも、宿代が……」
「分かります」
リオは言った。
「だからこそ、ギルドを通してください。困っている人ほど、狙われます」
ニコは俯いた。
悔しそうだった。
恥ずかしそうでもあった。
「まずはギルドに戻りましょう」
リオは言う。
「今日の分の仕事は、正規の荷運び補助を探します。報酬は安くなりますが、変な木箱と一緒にどこかへ連れていかれるよりはましです」
「……はい」
ニコは小さく頷いた。
その時、捕まった男の一人が低く笑った。
「遅いんだよ」
リオは振り向く。
「何がですか」
「一枚だけだと思ったか?」
男は口元を歪めた。
「依頼票なんざ、もう何枚も出てる。お前らが一人止めたところで――」
「そこまでだ」
衛兵が男を押さえる。
男は黙ったが、笑みだけは残っていた。
リオは胸の奥が冷えるのを感じた。
一枚ではない。
ニコだけではない。
名簿に載った名前は、まだ残っている。
◇
夕方。
ギルドでは、名簿に載っていた冒険者への確認が続いていた。
ニコは受付奥で事情を聞かれている。
マーレは衛兵との連絡。
オルドは、夜鴉商会の名が出た時点で、完全に目つきが変わっていた。
リオは依頼票の写しを整理しながら、昼の男の言葉を思い出す。
一枚だけではない。
当然だ。
夜鴉が、一つの偽依頼票だけで動くはずがない。
紙を貼る。
人を釣る。
運ばせる。
消す。
それが仕組みなら、仕組みごと止めなければいけない。
「リオ」
マーレが戻ってきた。
「はい」
「ニコ以外に、二人が怪しい依頼票を見たと言っている。幸い、まだ受けてはいなかった」
「よかったです」
「よくはない。貼られた時点で、もうこちらの負けに近い」
マーレは疲れたように息を吐いた。
「それと、衛兵から連絡だ。昨夜捕まった荒事担当の件だが、名前が分かった」
リオは顔を上げる。
「名前ですか」
「ああ。ガンドロ。夜鴉支部の裏仕事を取り仕切っていたらしい」
ガンドロ。
あの太い男に、ようやく名前がついた。
鼻血と涙の記憶が一緒に戻りかけたので、リオはそっと頭の奥へ押し込んだ。
「ガンドロは喋りそうですか?」
「まだだ。だが、部下の一人が少し崩れかけている。偽依頼票の配布役を知っている可能性がある」
「それは大きいですね」
「ああ。だから、今夜は衛兵側も警戒を強める」
マーレはそこで、リオをじっと見た。
「お前は帰って休め」
「まだ仕事が」
「休め」
「……はい」
逆らう余地はなかった。
リオは書類を整え、席を立つ。
だが、胸の奥に引っかかるものは消えなかった。
ガンドロが喋る。
部下が崩れかけている。
偽依頼票の配布役が割れる。
それは、夜鴉にとって都合が悪い。
では、都合が悪くなった口を、夜鴉はどうするか。
答えは、あまり考えたくなかった。
◇
夜鴉商会ルネリア支部の奥。
支部長は、いつもより暗い部屋で待っていた。
灯りは少ない。
机の上には、潰れかけた報告書。
ガンドロ捕縛。
直属の部下、複数捕縛。
偽依頼票、押収。
新人冒険者名簿、押収。
外部協力者スネア、所在不明。
そのどれもが、支部長の首を絞める文字だった。
扉が静かに開く。
入ってきたのは、荒事の男ではなかった。
黒い礼装。
白い立襟。
小さな黒い蝶結び。
銀の袖留め。
髪は後ろへ撫でつけられ、黒に銀が混じっている。
五十前後に見える男だった。
まるで晩餐会の席から、道を間違えて裏通りへ来たような姿。
だが、その男を見た瞬間、支部長は立ち上がることを忘れた。
帳消し屋の窓口。
番頭。
男は薄い帳簿を開いた。
「ご依頼は、人ですか。紙ですか。噂ですか」
穏やかな声だった。
支部長は唇を湿らせる。
「……口だ」
「では、閉じる仕事ですね」
銀のペンが、帳簿の上を滑る。
「対象は?」
「衛兵に捕まった男たちだ。支部とは無関係のならず者だが、余計なことを喋られては困る」
「無関係」
番頭は、その言葉だけを繰り返した。
目は笑っていない。
「そうだ」
「承りました。ご申告の範囲で見積もります」
支部長の肩が、わずかに強張った。
「急ぎだ。夜明けまでに」
「緊急案件ですね。割増になります」
「金なら払う」
「金で済むうちは、安いものです」
番頭は帳簿を閉じた。
「始末屋を手配しましょう」
「確実にやれ」
「確実にするためには、正確な申告が必要です」
支部長は黙った。
黒蝶の名は出さない。
出せば、自分の失態を認めることになる。
番頭は、それ以上聞かなかった。
ただ、銀のペンで帳簿の端を軽く叩く。
「では、ご依頼通りに」
その声は、最後まで穏やかだった。




