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第十話 ギルド職員は帳簿を見る

 翌朝。


 ルネリア冒険者ギルドの階段は、いつも通りそこにあった。


 木製で、少し古くて、踏むと小さく軋む。


 別に危険なものではない。


 普通に降りればいい。


 ただ、今日のリオには、少しだけ強敵に見えた。


「……」


 一段目に足を置く。


 二段目。


 三段目。


 膝が、ほんの少しだけ抗議した。


「リオ」


 下から声がした。


 マーレ主任だった。


「はい」


「なぜ階段と見つめ合っている」


「床との信頼関係を確認しています」


「階段は敵ではない」


「今日に限っては、やや敵寄りです」


 マーレは数秒黙った。


「また変な鍛え方をしたな」


「健康のために少し運動を」


「健康な人間は、階段の三段目で人生を考えない」


 正論だった。


 昨夜、黒蝶として道具を封じられ、久しぶりに近接戦を多めに使った。


 倒れ込むほどではない。


 だが、普段使わない動きをしたせいで、身体の奥が少し重い。


「顔色は悪くない」


 マーレが言う。


「ありがとうございます」


「だが、動きが慎重すぎる」


「慎重なのは良いことです」


「仕事ではな」


 何も言えなかった。


 その時、受付奥からオルドの声が飛んだ。


「リオ、マーレ。こっちへ来い」


 朝の小言ではない。


 仕事の声だった。


     ◇


 ギルド奥の小部屋には、数枚の紙束が置かれていた。


 黒い羽根印の封蝋。


 偽依頼票。


 荷運び経路のメモ。


 そして、新人冒険者の名簿。


 昨夜、黒蝶が倉庫から回収し、衛兵が朝に正式な証拠として運び込んだものだ。


 もちろん、リオは知っている。


 自分が持ち帰ったからだ。


 ただし、今のリオはギルド職員である。


 知らない顔をする必要がある。


「衛兵隊から回ってきた」


 オルドは腕を組んだ。


「黒蝶が残していったらしい」


「またですか」


 マーレが眉を寄せる。


「最近、夜の仕事熱心ですね」


 リオは無難に言った。


 オルドの視線が、なぜかこちらへ向いた。


「他人事みたいに言うな」


「他人事ですので」


「そうか」


 そうか、の響きが重い。


 リオは紙束へ視線を落とした。


 偽依頼票は、ぱっと見では普通の依頼票に似ている。


 荷運び。


 短時間。


 即日払い。


 報酬は相場より高め。


 新人には魅力的に見えるだろう。


 しかし、依頼主名が曖昧だ。搬入先も、倉庫番号だけで正式な商会名がない。ギルド受付印に似せた印も、縁が少し潰れている。


「これ、ギルドの依頼票ではありません」


「分かるか」


「はい。紙が違います。あと、受付印が粗いです」


 マーレが隣から覗き込む。


「よく見てるな」


「依頼票は毎日見ていますので」


 嘘ではない。


 ただ、黒蝶としても見すぎているだけだ。


 リオは次に、名簿へ目を移した。


 名前。


 ランク。


 最近受けた依頼。


 宿代の滞納。


 借金。


 家族への仕送り。


 高額依頼を探しているかどうか。


 細かい。


 嫌になるほど細かい。


 マーレの表情が険しくなった。


「これは……新人冒険者の情報か」


「はい」


 リオは頷く。


「名簿というより、釣りやすい順の一覧ですね」


「嫌な言い方をするな」


「内容が嫌なので」


 オルドが名簿を一枚取る。


「鉄級、銅級になりたて、金に困っている者。高額依頼に飛びつきそうな連中ばかりだ」


「正規の依頼に混ぜて貼られたら、見逃す者も出ます」


 マーレが低く言う。


「新人は、報酬が高い理由を都合よく考えがちだ。短時間、即日払い、荷運びだけ。そう書かれたらなおさらだ」


「実際には荷運びではなく、別の場所へ誘導される」


 リオは紙の端を見た。


 黒い羽根印。


 夜鴉商会。


 表では正規商会。


 裏では、困っている新人を紙の上で選び、使いやすい順に並べている。


「これはもう、ただの偽依頼じゃない」


 オルドが言った。


「冒険者狩りだ」


 小部屋の空気が重くなった。


 リオは名簿を閉じる。


 紙の上の名前は、まだ生きている人間のものだ。


「名簿に載っている冒険者へ、注意喚起を出しましょう」


 リオは言った。


「掲示だけでは足りません。受付で声をかけた方がいいです」


 マーレが頷く。


「俺が受付側に回す。リオ、お前は該当者の確認を手伝え」


「分かりました」


「それと」


 マーレの視線がリオの足元へ落ちた。


「階段と戦うのは終わってからにしろ」


「戦ってはいません」


「負けかけていただろう」


 反論しづらかった。


     ◇


 昼前。


 リオは受付裏で該当者の名前を確認しながら、自分のメモもそっと見直していた。


 昨夜の戦闘記録。


 夜鴉支部、荒事担当。


 道具封じ狙い。


 近接戦闘、可能。


 ただし、できれば避ける。


 打撃は使わない。


 相手の鼻は、意外とよく止まる。


「……これは消そう」


 我ながら、少しひどい。


 だが、事実でもあった。


 黒蝶は拳を握らない。


 使えないわけではない。


 使いたくない。


 風を乗せた身体で、本気で人を殴ればどうなるか分からないからだ。


 だから、崩す。


 流す。


 止める。


 立てない場所へ置く。


 風は、吹かせるだけではない。


 足裏を支える。


 膝のぶれを抑える。


 手の届く拍子を、半拍だけずらす。


 普通の風属性使いがそんな使い方をするかは知らない。


 少なくとも、ギルドの講習では習わなかった。


 そして、黒蝶が見たものは、戻ればリオも覚えている。


 失敗した痛みも。


 成功した感覚も。


 敵の癖も。


 次に直すべき動きも。


 普通の冒険者なら、一度きりの夜だ。


 けれどリオは、その夜を持ち帰って、次の夜に直せる。


 それが〖複製〗という外れスキルの、たぶん一番厄介な使い方だった。


「リオ」


「はい」


 顔を上げると、マーレが数枚の依頼票を持っていた。


「名簿のうち三人は今朝来ている。二人には声をかけた。残り一人がまだ見つからない」


「誰ですか」


「ニコ。鉄級だ。最近、報酬の高い依頼を探していたらしい」


 リオは名簿を確認する。


 ニコ。


 鉄級冒険者。


 宿代滞納あり。


 家族への仕送りあり。


 短時間の高額依頼希望。


 見事に狙われる条件が揃っていた。


「今日、ギルドに来ていますか?」


「朝は来たらしい。ただ、受付には寄っていない」


「掲示板だけ見て出た?」


「その可能性がある」


 リオは立ち上がった。


 少しだけ膝が抗議したが、無視する。


「外掲示板を確認します」


「俺も行く」


 マーレとともに外へ出る。


 ギルドの外掲示板には、依頼票が並んでいる。


 その端に、不自然な空きがあった。


 紙が一枚、剥がされた跡。


 糊の跡が新しい。


 リオは指先で触れた。


「……ありましたね」


「剥がされた後か」


「はい。掲示の隅。正規依頼に紛れやすい位置です」


 マーレの顔が険しくなる。


「ニコが持っていった可能性が高いな」


「急ぎましょう」


「どこへ?」


 リオは名簿の荷運び経路を思い出す。


 昨夜の木箱にあったメモ。


 倉庫街の南。


 旧荷置き場。


 昼なら、人通りも少ない。


「南の旧荷置き場です」


「なぜ分かる」


 しまった。


 リオは一瞬止まる。


 マーレの目が細くなった。


「……名簿の経路からです」


「そうか」


 今日の「そうか」はオルドに続いて二度目だった。


 どちらも胃に悪い。


     ◇


 その頃。


 夜鴉商会ルネリア支部の奥では、支部長が机の前に立っていた。


 机上には報告書。


 内容は最悪だった。


 荒事担当ガンドロ、捕縛。


 直属の部下、複数捕縛。


 偽依頼票、押収。


 新人冒険者名簿、押収。


 黒い羽根印の封蝋、証拠化。


 外部協力者スネア、所在不明。


 支部長は報告書を握り潰しかけ、寸前で止めた。


 紙を潰しても、失態は消えない。


「……本部へ上げるほどの話ではない」


 支部長は低く言った。


 側に控える部下が、顔を青くする。


「ですが、ガンドロが喋れば……」


「喋らせなければいい」


 支部長は、潰れかけた報告書を机に置いた。


「偽依頼票も、名簿も、まだ支部内の不手際だ。処理できる。処理してしまえば、不手際ですらなくなる」


 部下が息を呑んだ。


「まさか、帳消し屋を?」


 支部長は返事をしなかった。


 沈黙が答えだった。


「本部を通さずに、ですか」


「だからだ」


 支部長は、机の引き出しから小さな黒い札を取り出した。


 羽根ではない。


 帳簿の角を切り落としたような、黒い札。


「本部に知られる前に、閉じる」


 部下の喉が鳴る。


番頭マネージャーに繋げ」


「……承知しました」


 部下が下がる。


 支部長は一人になった部屋で、潰れかけた報告書を見下ろした。


 黒蝶。


 黒い札を残し、朝へ返す夜の邪魔者。


 ならば、朝になる前に消せばいい。


 口を。


 紙を。


 証拠を。


「まだだ」


 支部長は呟いた。


「まだ、帳簿は閉じられる」


 だが、その指先は、わずかに震えていた。

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