第38話:(前編) 皇帝の正しき玉座と、帝都憲法のリフォーム
リフォームされた玉座に座り続け、心身ともに健康な家主として再建築された皇帝は、傍らの古びた石箱から、千年の埃を被った帝国憲法の原本を取り出した。
それは歴代の権力者たちが己の都合で継ぎ足し、矛盾と不平等が幾重にも重なった、もはや判読不能なほどに歪みきったこの国の根本設計図であった。
リアムはその羊皮紙を一瞥した。彼の魔導設計図には、条文の不整合が真っ赤なノイズとなって散り、特定の貴族だけに日当たりや水利を保証する特権条項が、腐った梁のように民衆を圧迫している様が映し出されていた。
皇帝は、震える手でその重苦しい石板をリアムの前へと差し出した。
「リアムよ。この法律という名の設計図を見てくれ。継ぎ接ぎだらけで、どこに雨漏りがあるのかさえ余には判別できぬ。これを、貴殿の腕で一から書き換えて(リフォームして)はもらえぬか。余は、この国を誰もが安眠できる場所に作り直したいのだ」
リアムは無造作に羊皮紙を手に取ると、その劣化した紙の繊維に指先を滑らせた。職人としての視点で見れば、それは法などではなく、ただの管理不足による構造欠陥の塊に過ぎなかった。
「陛下、このマニュアルはもう限界ですよ。第十二条にある貴族への優先配分、これは風通しを悪くするだけの無駄な壁だ。第十八条の強制労働、これは構造を無視して建材を削り取る自滅行為に他ならない。全部削り落として、誰もが平等に陽の当たる場所に住める広場にリフォームしてあげますよ」
リアムが宣言した瞬間、利権を守ろうとする保守派の文官たちが一斉に立ち上がり、怒号を浴びせかけた。
「控えよ、不敬者め! 建築の素人が文字の並びにまで口を出すなど、帝国の法秩序を解体するつもりか!」
リアムは怯むことなく、その文官たちの顔を正面から見据えた。
「伝統だろうが秩序だろうが、住人を苦しめるルールはただの欠陥設計だ。あんたたちの保身という名のノイズは、今すぐこの場で解体してあげるよ」
リアムの手が憲法の原本に触れた。スキル【真理のフルリフォーム】が発動し、黄金の魔力が紙面の上を縦横無尽に駆け抜ける。
歪んだ条文の文字が物理的に浮き上がり、リアムの描く理想の設計図に従って、最も効率的で、最も慈悲深い文字列へと並べ替えられていく。
「リフォーム・オーバーブースト。……建付けの悪い言葉は、全部消えてもらうよ」
不当な重圧を強いていた条項は霧散し、代わりに誰もが雨風を凌げる権利と、家主としての責任を明文化した、光り輝く新法が紙面を埋め尽くしていった。
文字の並びが変わるたびに、帝都を覆っていた目に見えない重圧が取り除かれ、街全体の空気が劇的に浄化されていく。
「な、何ということだ……。法律が、物理的に組み替えられていく……。これこそが、国全体を一つの家として捉える、職人の政治学だというのか」
文官たちが腰を抜かして座り込む中、完成した新憲法を皇帝がその手に取り、全土へと布告する宣言を読み上げた。
皇帝は深く頭を下げ、リアムの無骨な両手を握りしめた。
「リアム・アークライト。余はここに、貴殿を帝都総建築監に任命する。この国のすべての蝶番、すべての屋根、すべての土台の管理を貴殿に委ねよう。貴殿のハンマーが振るわれる場所に、この国の未来を築いてくれ」
リアムは肩に担いだレンチを弄り、困惑したように首を傾げた。
「総建築監、ですか。よく分かりませんが、その役職に就けば、誰にも邪魔されずに帝都中の扉の軋みを直して回れるということでしょうか。……それなら、謹んでお受けします。僕はただ、この世界を少しだけ住み心地よくリフォームしたいだけの修理屋ですから」
職人が国家の設計図を掌握した瞬間であった。
リアムの背後には、彼の勝利を確信していたヒロインたちが並び、新しくリフォームされた世界の建付けに、満足げな笑みを浮かべていた。
皇帝から帝都すべての建付けを委ねるという、国家の屋根を支えるに等しい重責を託されたリアムは、重い図面ケースを肩に担ぎ、夕闇に包まれ始めた帝都の街を歩いていた。
背後では新憲法の布告に沸き立つ市民たちの歓声が地響きのように鳴り響いていたが、リアムの意識は既に、その喧騒から離れた場所にある「自らの宿舎」へと向かっていた。
彼にとって、一国の官職という肩書きは、錆びついた古いボルトよりも価値のない装飾に過ぎない。
だが、その役職があれば帝都中の「不快な軋み」を公然と直して回れるという一点においてのみ、リアムはその建付けの悪い運命を受け入れていた。
宿舎の重厚な玄関扉を開けた瞬間、リアムを待ち構えていたのは、かつてないほど濃密な「家主への期待」という名の魔導圧力であった。
リビングには、聖女セレスティアを筆頭に、騎士カミラ、魔族のベアトリス、エルフのエルナ、そしてソファで不機嫌そうに本を閉じた大賢者ルナマリアまでが、一寸の隙もない完璧なフォーメーションで座していた。
彼女たちの視線は、リアムの胸元に新しく輝く、帝都総建築監の重厚な紋章へと釘付けになっている。
「おかえりなさいませ、リアム様。……いえ、これからは帝都総建築監閣下、とお呼びすべきでしょうか。法律という名の不浄な設計図を浄化し、この国全体の建付けを正された貴方の功績、聖教国の歴史に黄金の文字でリフォームして刻みたいほどですわ」
セレスティアが優雅に立ち上がり、リアムの手から泥のついた工具カバンを恭しく受け取った。
彼女の指先がリアムの掌に触れるたびに、聖なる魔力が彼の蓄積した疲労をミリ単位で削り取り、最適なコンディションへと修復していく。
「閣下、か。……よしてくれよ、セレスティアさん。僕はただ、陛下が座っていた椅子のネジを締め直して、ついでに文字の並びがガタついていた書類を整えただけだ。総建築監なんて大層な名前がついているけれど、やることは今までと変わらない。壊れている場所を見つけて、直す。それだけだよ」
リアムが困ったように笑いながらソファに深く腰を下ろすと、カミラが音もなく背後に立ち、その逞しい肩に鋼鉄のような、けれど驚くほど繊細な力加減の掌を置いた。
「主殿が謙遜されるのはいつものことだが、帝都すべての扉と屋根の管理権を得たということは、我ら守護者にとっても戦略的なリフォームが必要になるということだ。閣下の寝所を守る外壁を、今後は帝国近衛兵の予算を流用して、物理的に不可視の要塞へと作り変える許可をいただきたい」
「カミラさん、私的な増築はやめてくれと言っているじゃないか。……あぁ、でも、宿舎の防犯センサーの感度が落ちていたのは事実だね。ルナマリアさん、演算の予備回路を帝都の魔導塔から引き込めるかな」
リアムの問いに、ルナマリアは眼鏡を指先で押し上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「……言われるまでもないわ。既に帝都全域の魔力配管をこの宿舎に直結させる設計図は引き終わっているわよ。あんたが『総建築監』になったおかげで、私の演算に必要な膨大な魔力を、国費という名の共用資産から無制限にリフォーム(徴収)できるようになったんですもの。……感謝しなさいよね」
ヒロインたちは、リアムの得た権威を「自分たちの住環境の向上」と「家主の独占」のために最大限利用しようと、既にそれぞれの分野で勝手なリフォーム案を膨らませていた。
ベアトリスはリアムの膝の上に滑り込むように座り、その首筋に顔を近づけて、甘い吐息と共に囁いた。
「ねぇ、リアム。帝都の建付けが直ったのなら、次は私たちの故郷という名の『欠陥住宅』も診てほしいわ。魔界の次元の壁が歪んでいて、夜中に隙間風がうるさいのよ。……総建築監としての最初の巡回メンテナンス(出張)、私との新婚旅行にリフォームしてみない?」
「ベアトリス、不謹慎よ! リアムの最初の巡回先は、精霊の導線が目詰まりしているエルフの森に決まっているわ。……リアム、私の故郷の樹冠都市、貴方のハンマーでなければ直せない深い傷があるの。……一緒に行ってくれるわね?」
エルナがベアトリスの肩を押し除け、切実な瞳でリアムを見つめる。
リアムは彼女たちの熱量に気圧されながらも、ふとニーナがリビングの隅で、新しく贈られた図面ケースを抱えて不安そうにこちらを見ているのに気づいた。
彼はエルナたちの制止を振り切り、ニーナの元へと歩み寄った。
「ニーナ。帝都の法律がリフォームされたことで、君たちが地下で怯えて暮らす必要はもうなくなった。これからは堂々と地上に出て、日光の下で家を建てていいんだよ。……君の孤児院の設計図、明日の朝一番で、僕と一緒に現場で見直そうか」
ニーナは驚きに目を見開き、それから弾けるような笑顔でリアムの作業着の裾を握りしめた。
「……うん! おじちゃん! あたし、世界で一番日当たりの良い家にするために、一生懸命、地面の声を聴くよ!」
少女の純粋な歓喜の声が、宿舎の天井を心地よく震わせる。
リアムは改めて、自分が手に入れた「総建築監」という立場が、ただの権力ではなく、彼女たちの未来を繋ぎ止めるための重要な「鎹」であることを理解した。
「よし。帝都の基礎工事はこれで完了だ。……でも、みんなが言う通り、外の世界にはまだまだ建付けの悪い場所が山ほどあるみたいだね。……職人として、世界中の扉の軋みを止めるまで、僕のハンマーは休ませられないな」
リアムが力強く宣言すると、ヒロインたちはそれぞれの思惑を秘めながらも、揃って満足げな笑みを浮かべた。
祝杯の準備を始めるセレスティアと、既に次の出張用の工具を選定し始めるカミラ。
宿舎を包む空気は、かつてないほど強固な「家族」という名の建付けへとリフォームされていた。
夜の帝都。新しく生まれ変わった法の光の下で、職人リアムと彼を支えるパーツ(ヒロイン)たちの、世界を股にかけた大規模な巡回メンテナンスの物語が、今、高らかに産声を上げたのである。




