第37話:(前編) 令嬢の傲慢、パトロンのリフォーム
帝都最大の豪商にして、実家アークライト家の解体後に空いた経済の座を虎視眈々と狙うグラマンド家の令嬢、エカテリーナ・フォン・グラマンドは、その日、黄金の刺繍が施された絹の設計図をリアムの前に叩きつけた。
地下庭園の建設資金を全面提供するという名目ではあるが、そこに描かれていたのは、リアムの提唱する機能美とは対極に位置する、過剰な装飾と虚飾にまみれた黄金の宮殿であった。
リアムはその図面を一目見た瞬間に、職人としての不快感を露わにし、愛用のレンチを机に置いた。
彼の魔導設計図が、エカテリーナの持ち込んだ計画の全域を「構造的欠陥」として真っ赤に点滅させて警告していたからだ。
「エカテリーナさん。残念だけど、この設計はゴミ箱行きだね。見栄のために柱を細くし、不必要な荷重を宝石で増やすなんて、職人として万死に値するよ。こんな重たい天井じゃ、地下の住人たちは安らぐどころか、常に圧死の恐怖に晒されることになる」
リアムの容赦ない一喝に、エカテリーナは扇子を激しく仰ぎ、その美貌を怒りに染めた。
彼女にとって、金こそが万物の建付けを決める唯一の定規であり、リアムのような一介の職人に自分の感性を否定されるなど、生まれて初めての屈辱であった。
「なんですって。あたくしの黄金の審美眼が欠陥だとおっしゃるの。リアム様、あたくしはこの帝都で最高の資材を買い占め、最高の贅沢をリフォームして差し上げようと言っているのですわ。機能性なんて、貧乏人の言い訳に過ぎませんわよ」
「機能性は住人の命だよ。君のその傲慢な設計は、住環境への愛が欠如している。……そうだね、エカテリーナさん。君が本当に『心地よい家』を知っているのか、僕が直接、君の住処を診て(診断して)あげよう。家主の心が歪んでいるなら、その邸宅も必ず悲鳴を上げているはずだ」
リアムの宣言に、エカテリーナは鼻で笑い、彼を自身の住まうグラマンド邸へと招待した。
そこは帝都一の格式を誇る豪邸であり、一分の隙もない清掃と、目も眩むような美術品に埋め尽くされた「完璧な城」に見えた。
だが、リアムがその玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、彼は眉をひそめ、冷え切った空気の流れを指先で探り始めた。
「……あぁ、やっぱり。一見すると豪華だけど、この家は泣いているね。エカテリーナさん。君はこの広い食堂で、毎日一人で食事をしているのかい。この天井の高さは、君一人を孤独にするために設計された、最悪の断熱欠陥だ」
「何を失礼な。あたくしは、この広大な空間を独占することに無上の喜びを感じておりますわ。召使いも、取り巻きも、あたくしの富に跪く。これが完璧な建付けというものですわよ」
エカテリーナは虚勢を張るが、リアムは既に壁の一部を拳でコンコンと叩き、その反響音の歪みを聴き取っていた。
彼は迷いのない動作で工具カバンから小型のノミを取り出すと、純金が張り巡らされた壁の一角を、無慈悲に削り取った。
「やめなさい。あたくしの家を、そんな薄汚れた道具で傷つけるなんて。……あ、それは」
剥がれ落ちた金の壁紙の裏側。そこには、数十年前に描かれたであろう、幼い子供の稚拙な落書きが隠されていた。
それは、複数の男女が手を繋ぎ、一つの小さな暖炉を囲んで笑っている、不格好だが温かな風景画であった。
エカテリーナの瞳が、その瞬間に激しく揺れ、扇子を持つ手が震えた。
「エカテリーナさん。君が本当に作りたかったのは、人を寄せ付けない黄金の檻じゃない。この落書きのように、みんなが暖炉の周りに集まれる、温かい広場だったはずだ。この家の冷たい隙間風は、君が自分の本心を隠すために張り替えた、偽りの建材から漏れ出しているんだよ」
リアムの声は、エカテリーナの心の奥底に沈んでいた「設計ミス」を、容赦なく抉り出していった。
彼はスキル【神の左官】を発動させ、邸宅全体の熱伝導率を瞬時に再計算し始めた。
過剰な金銀の装飾を、内側から熱を蓄える魔法銀の回路へとリフォームし、冷え切っていた広大な空間に、主の体温を包み込むような柔らかな暖気を通していく。
「あ……。あたくしの、身体が……。……このお屋敷が、こんなに優しく笑うなんて」
エカテリーナの頬を、一筋の涙が伝い、黄金の床に落ちた。
彼女の尖っていた表情は、リアムの施した「空間の慈愛」によって一気に解きほぐされ、その内面的な建付けが、素直な少女のものへと再構築されていく。
「あたくしの負けですわ、リアム様。あたくしの資産も、このプライドも、すべて貴方の好きにリフォームなさいな。……あたくし、本当は、誰かにこの冷たい手を、握りしめて(メンテナンスして)ほしかったのかもしれませんわ」
エカテリーナは膝を突き、リアムの作業着の裾に縋り付いた。
リアムは彼女の肩にそっと手を置き、職人としての力強い視線を返した。
帝都最大のパトロンが、今、リアムの手によって「真の住人」としてリフォームされた瞬間であった。




