第36話:(後編) 路地裏の晩餐、新しい家主への誓い
垂直シャフトから降り注ぐ本物の太陽光が、湿り気を帯びていた地下の大空洞を黄金色に染め上げていた。かつては汚水と錆の臭いしか知らなかったスラムの住人たちが、リアムがリフォームしたばかりの広場へと集まり、信じられないものを見るような瞳で頭上の「青空」を見上げていた。
リアムは作業着の袖で額の汗を拭い、泥にまみれた手で腰のハンマーを軽く叩いた。彼の周囲には、ニーナを筆頭にスラムの子供たちが駆け寄り、その逞しい脚に縋り付いては歓声を上げている。リアムは一人一人の顔を職人の冷徹かつ温かな眼差しで観察し、その体調の僅かな建付けの悪さを瞬時に診断していった。
「みんな、良い顔になったけれど、まだ顔色が青白いね。地下の換気が劇的に改善されたから、次は栄養のある食事で体内の芯を直さないといけない。職人として、住人の栄養管理不足は見過ごせないな」
リアムの言葉に応じるように、セレスティアが純白の聖衣の上にエプロンを纏い、浄化された地下の湧き水を使って手際よく大鍋を火にかけた。彼女の手元には、エカテリーナが「あたくしからの先行投資ですわ」と豪語して差し入れさせた、最高級の穀物と肉が山積みにされている。
セレスティアは慈愛に満ちた手付きで木匙を動かし、聖女の術式を隠し味としてスープに溶け込ませていく。その香りが広場に充満するたびに、子供たちの腹の虫が規則正しいリズムで鳴り響いた。
「リアム様。お疲れ様でしたわ。貴方がこの街の土台を直してくださったおかげで、私の浄化魔法も驚くほど素直に素材に浸透いたします。さあ、まずはこのリフォームスープで、皆様の魂を温めて差し上げましょう」
セレスティアが微笑み、最初の一杯をニーナに手渡した。その傍らでは、カミラが鎧の重圧を解き、周囲を威圧せぬよう配慮しながらも、鋭い視線で広場の安全を確保している。彼女はリアムの背後に不審な動きがないか、一ミリの隙も許さず見張っていた。
「主殿、あんまり無理をされるな。貴殿の身体は、この帝都という巨大な建築物を支える唯一無二の大黒柱なのだ。柱が折れては、我らという屋根は崩れ落ちるしかない。……ほら、ベアトリス殿が既に痺れを切らしているぞ」
カミラが視線で促した先には、既にリアムの背後に回り込み、その逞しい肩に細い指先を食い込ませているベアトリスの姿があった。サキュバスとしての誘惑の魔力を、今は筋肉の疲労を解きほぐすためのマッサージに転用し、彼女はリアムの耳元で艶然と囁いた。
「そうよ、リアム。あんた、自分の身体の限界値を計算違い(オーバーワーク)しているわよ。この肩の凝り、まるで鉄骨が歪んでいるみたいじゃない。私がじっくりと、芯まで解きほぐして(リフォームして)あげるわ。……ふふ、あんまり変な声を上げないで頂戴ね?」
「あぁ、助かるよ、ベアトリスさん。そこ、支持基盤の噛み合わせが悪かったんだ。……よし、魔力の循環がスムーズになってきた」
リアムが心地よさそうに目を細める中、ニーナはエルナの隣に座り、スープを大切そうに啜りながら、エルナの美しい銀の髪をじっと見つめていた。ニーナの瞳には、かつて路地裏でネズミのように怯えていた頃の影はなく、代わりに職人の背中を追おうとする強い光が宿っていた。
「エルナお姉ちゃん。私、決めたんだ。おじちゃんみたいに、建物の悲鳴が聞こえる職人になる。この地下を、お姉ちゃんの森みたいに綺麗にするための、一番弟子になるんだ」
ニーナの力強い誓いを聞き、エルナは八枚の翼を優しく羽ばたかせて、少女の頭を撫でた。周囲に漂う光の精霊たちが、ニーナの決意に呼応するように、その小さな肩の上で祝福の輝きを放っている。
「ええ、その覚悟、精霊たちも聞き届けたわ。貴女には、リアムと同じ『隙間を愛でる才能』があるもの。……リアム、新しい助手の育成計画も、設計図に加えておきなさい。この子の成長は、この街の未来の増築に不可欠よ」
エルナの言葉に、モニター越しで演算を続けていたルナマリアも、不機嫌そうな声を上げながらも肯定の数式を並べた。地下の湿度が劇的に改善されたことで、彼女の魔導演算の負荷も軽減され、宿舎全体の防犯システムの感度が飛躍的に向上していたのである。
「……ふん。勝手に弟子を増やすなんて、現場が混乱するだけよ。……でも、ニーナが検知するノイズの精度は、私の理論値を補完するのに役立っているわ。……リアム、あんたがこの地下の住人全員を家主として保護するって言うなら、私の演算も少しだけ『家族用』に書き換えてあげなくもないわよ」
ルナマリアの不器用な歩み寄りに、リアムは満足げに大きく頷いた。彼は集まった地下の住人たち一人一人の顔を見渡し、静かに、けれど帝都の根幹を揺るがすほどの重みを持って語りかけた。
「みんな。ここはもうスラムじゃない。今日この瞬間から、ここは帝都地下特区だ。僕が家主として、ここの空気の一粒、水の一滴まで責任を持ってメンテナンスし続ける。君たちが安らかに眠れる場所を、僕がこの手で守り抜くと約束しよう」
リアムの宣言が地下広場に響き渡り、住人たちの歓声がシャフトを伝わって地上へと届く。ヒロインたちは、リアムという不器用で誠実な中心柱を囲み、それぞれの役割という名の資材で、彼を支え続ける決意を新たにしていた。
宴が夜更けまで続き、シャフトから見える星空がリフォームされたガラス越しに美しく瞬く。リアムは空を見上げ、明日から始まる帝都全土の解体と再構築に思いを馳せていた。
壊すべき腐敗はまだ多く、直すべき傷跡は深い。だが、彼の手にある工具と、背中を支える仲間たちの存在があれば、この世界の建付けを直せない理由など何一つとしてなかった。リアムは最後に一つ、スープの残り火を消し、静まり返った広場を誇らしげに見つめて、次なる現場への活力を胸に宿すのだった。




