第33話:(後編) 潜入のドレスコード
リアムが謁見の間において皇帝の劣化した脊椎と帝国の地脈を同時にリフォームし、その構造的な腐敗にメスを入れているその裏側で、二人の女性は別の戦場へと身を投じていた。
実家アークライト家が帝都の地下深層に隠蔽している汚職の証拠、すなわち現帝都を意図的に崩壊させた後に建設予定の第二都市に関する禁忌の裏帳簿を奪取するため、ベアトリスとカミラは貴族たちの夜会へと潜入する任務を帯びていたのである。宿舎の一室を急造の仕立て場に変え、鏡の前に立ち尽くすカミラの表情は、戦場での勇ましさは微塵もなく、ただ戸惑いと羞恥に染まっていた。
「ベアトリス殿。やはりこの装いは合理的ではない。この、布の面積が著しく不足している部位から不必要な冷気が入り込み、体内の魔力伝導を阻害する恐れがある。何より、背中の守りが無防備すぎて落ち着かん。騎士の身嗜みとして、皮膚を不用意に晒すことは敵に急所を差し出すに等しい致命的な設計ミスではないか」
カミラは顔を耳まで朱に染め、リアムが夜会潜入用に新調した真紅の魔導シルクのドレスを、その強靭な指先で何度も整えようとしていた。鍛え上げられた背筋が肩甲骨の動きに合わせて波打つほど大胆に露出したその意匠は、彼女の騎士としての鉄の矜持を激しく揺さぶっている。ドレスの裾が床に触れるたびに、彼女は自分の重心が数ミリ単位で狂う感覚に、足元の建付けの悪さを感じていた。
「あらぁ。カミラ、あんたは自分の肉体がどれほど完成された一級の建材か全く分かっていないのねぇ。その背中のラインは、リアムが毎日欠かさず行っている魔力メンテナンスの結晶なのよ。その機能美を隠すなんて、職人への冒涜以外の何物でもないわ。素材が良いんだから、堂々としていなさいな。あんたのその筋肉の締まり具合、今夜の夜会のどの彫像よりも価値があるわよ」
ベアトリスは手慣れた手付きでカミラの長く美しい髪を高い位置で結い上げ、サキュバス流の魔導化粧を施していく。彼女の指先がカミラの項をなぞるたびに、鏡の中の女騎士はびくりと肩を震わせる。ベアトリス自身は闇に溶け込むような深い紫のドレスを纏い、既に誘惑の魔力を周囲の空気に極薄く馴染ませ始めていた。彼女が施す化粧は単なる彩りではなく、光の屈折率を操作して周囲の視線を特定の一点に固定させる、視覚的なリフォーム術式でもあった。
「いい、カミラ。潜入の基本は、相手の視線を構造の欠陥に誘導することよ。あんたが囮になって強欲な貴族たちの視線を釘付けにしている間に、私が秘密の書斎の鍵をリフォーム(せっとう)してあげるわ。これほど無駄のない完璧な設計図が他にあるかしら?」
「くっ。主殿の家臣として、任務の遂行に異存はない。だが、この格好で万が一の戦闘になった際、脚の可動域に建付けの悪さを感じぬか不安なのだ。この不当に高い靴底も、瞬発的な踏み込みの安定を著しく損なう欠陥構造ではないか。いっそこのヒールを削り落として、フラットな接地面にリフォームすべきではないか」
カミラが不器用にステップを踏み、ドレスの翻る速度を確認している時、全ての作業を終えたリアムが不意に部屋の扉を開けた。手に持った新しい支持杭の断面図を眺めながら歩いていたリアムだったが、二人の姿が視覚情報として飛び込んできた瞬間、その足を床に縫い付けられたかのようにピタリと止めた。
リアムは無遠慮なほどに、職人の鋭い眼差しでカミラを頭頂部からつま先まで、一ミリの誤差も逃さぬよう詳細に観察し始めた。
「あ、あの。主殿。やはりこの装いは、私には不釣り合いでは。機能性が著しく欠如しており、防御力の観点からも大幅なリフォームが必要かと具申いたします。この背中の開放部は、奇襲に対してあまりに脆弱です」
カミラは心臓の鼓動が急上昇し、体内の魔力圧が異常数値を叩き出すのを感じた。彼女は反射的に盾を構えるような動作で身を硬くしたが、リアムは真顔で歩み寄り、カミラの露出した肩から背中にかけての曲線に、熱を帯びた指先をそっと触れさせた。
「何を言っているんだい、カミラさん。その背中の大円筋から広背筋にかけての隆起、僕が昨日調整した通り、完璧なトルクで引き締まっている。真紅の布地が、君の持つ機能美をこれほどないほど鮮烈に強調しているよ。最高に建付けが良い(うつくしい)ね、今の君は。素材の良さを活かし切る、僕の設計図通りの完璧な仕上がりだ。このドレスの張力は、君の瞬発力を妨げないよう、魔導繊維の織り方からリフォームしてあるんだよ」
「なっ」
カミラは顔を爆発しそうなほど真っ赤にし、喉の奥で消え入るような声を漏らした。騎士としての実用性と防御力を説くつもりだった言葉の数々は、主からの圧倒的な職人的肯定によって一瞬で解体され、再建築不能なまでに粉砕された。リアムの指先が触れた場所から、まるで焼き印を押されたかのような熱が全身へ伝播していく。
「ベアトリスさんも、素晴らしい仕上がりだ。二人の色彩のコントラストが、夜会の照明設計を計算に入れたかのような完璧な補色関係にある。この配置なら、どんな頑丈な金庫の扉も、二人の放つ引力に惹かれて勝手に開いてしまいそうだね。僕が職人として保障するよ。さあ、最後のアフターケアをさせてくれ」
リアムはカミラの腰にあるドレスの留め金を指先で弾き、一ミリ単位で締め直した。その動作は、まるで精密機械のボルトを最適な締め付けトルクで固定するかのようであった。カミラはその微かな振動に全身を震わせ、従順なパーツのように主の調整を受け入れる。
「ふふ、ご褒美は作戦が成功してからたっぷりといただくわね、リアム。さあ、行くわよ。この最高傑作を、汚れた連中に拝ませてあげましょう。あんたが磨いたこの輝きで、帝都の澱みを一気に吹き飛ばしてあげるわ」
ベアトリスが満足げにリアムの頬に指先を滑らせ、呆然と立ち尽くしているカミラの背中を優しく叩いた。リアムの言葉一つで、カミラの瞳からは一切の迷いが消失し、代わりに職人の期待に応えようとする猛々しい炎が宿った。彼女は今や、このドレスそのものを主から与えられた最強の武装であると認識していた。
「了解した、主殿。この最高に建付けの良い外装を盾とし、任務を完遂してみせよう。実家の闇を、根こそぎ解体してくる。主殿の設計を汚す者は、私がこの手で一人残らずリフォーム(排除)して見せる」
二人の美女が夜の帝都へと消えていく。最強の護衛と、最艶の囮。リアムがリフォームした彼女たちの輝きが、腐敗した夜会の構造を根底から塗り替えようとしていた。背後で見守るリアムは、遠ざかるカミラの背中のラインを満足げに見つめながら、改めて自らのメンテナンス技術の確かさに納得のいく笑みを浮かべていた。




