第33話:(前編) 玉座の『腐敗』、全面解体工事
帝都を支える黄金の支持杭が地底深くへと打ち込まれ、未曾有の崩壊危機が沈静を見せた翌朝。リアムはカミラとベアトリスを伴い、帝都中央にそびえる皇帝の居城へと足を踏み入れた。公式な謁見要請という名目ではあるが、実家アークライト家が管理するこの城門を潜ることは、敵陣の心臓部へ飛び込むに等しい。だがリアムの視線は、周囲を固める近衛兵の殺気ではなく、重厚な石造りの廊下に走る微細なひび割れと、壁の裏側から漏れ出る不快な魔力の共鳴音に向けられていた。
「なんだ、この腐った配管のような澱みは。建物の換気システムが完全に死んでいるじゃないか」
リアムが不快そうに鼻を鳴らす。広大な謁見の間を包む空気は、きらびやかな金銀の装飾とは裏腹に、どろりとした負の魔力の臭いに満ちていた。その不浄な気配に、魔族であるベアトリスさえも不快そうに顔を歪める。
「あらぁ。帝都の象徴だっていうから期待していたけれど、これじゃあ魔界のゴミ捨て場の方がまだ建付けが良いわねぇ」
「主殿、背後の衛兵たちの配置が極めて不自然だ。退路を断つための構造的な罠、と見て相違ないな」
カミラが剣の柄に手をかけ、鋭い視線を巡らせる。だがリアムは、広間の最奥で鈍い光を放つ巨大な黄金の玉座を見つめたまま、迷いのない足取りで進んでいった。
玉座に鎮座する皇帝は、実父バティストの傀儡に過ぎず、その表情には生気が欠落していた。リアムの魔導設計図に映るその椅子は、帝都全土の汚染を皇帝の肉体をフィルターにして吸い上げる、最悪の欠陥インフラの終着点として機能していた。
「よく参った、リアム・アークライト。地盤の修復、見事であった。その褒美を」
皇帝が虚ろな声で言葉を紡ごうとした時、リアムは跪くこともせず、玉座の至近距離まで詰め寄った。
「陛下、褒美なんていいですから、今すぐそこをどいてください。その椅子、建付けが悪すぎて陛下を内側から腐らせていますよ。職人として見過ごせません。今すぐバラして解体リフォームしましょう」
静まり返る謁見の間。傍らに控えていたバルト建築官が、顔を真っ赤にして叫んだ。
「不敬であるぞ、リアム! 陛下のお座りになる玉座は帝国の神聖なる象徴。貴様のような一介の職人が触れていいものではない!」
「象徴だろうが何だろうが、座る人間を病気にする椅子なんて、ただの粗大ゴミです。見てください、この肘掛けの角度。脊椎のラインを完全に無視している。こんなものに座り続けていたら、国ごと傾くのも当たり前だ」
リアムは既に工具カバンから巨大なレンチを取り出し、玉座の基部にある隠しボルトを叩いていた。
「な、何をする! 控えよ、このリフォーム狂いが!」
バティストの怒号が響くと同時に、玉座に仕掛けられていた実家秘伝の防衛術式が作動した。黄金の椅子が不気味な音を立てて展開し、無数の魔導杭が突き出す巨大な魔導兵器へと変貌を遂げる。不敬な侵入者を排除するためのその牙が、轟音と共にリアムを貫こうと放たれた。
「主殿、下がれ!」
カミラが盾を構えて前に出るが、リアムは一切の動揺を見せず、飛来する破片の隙間を最小限の動きですり抜けていく。彼の瞳には、攻撃の軌道ではなく、暴走する術式の接合部が手に取るように映っていた。
「あぁ、やっぱり。ここのボルト、逆ネジじゃないか。美観のために強度を犠牲にするなんて、本当に素人仕事だね。これじゃあ地脈の圧力に耐えられるわけがない」
リアムは攻撃を避けるついでに、露出した玉座の心臓部へ流れるような動作で手を伸ばした。スキル神の左官が発動し、破壊のエネルギーを再構築の動力へと書き換えていく。
「リフォーム・オーバーブースト。建物の悲鳴を、止めてあげるよ」
黄金の魔力が謁見の間を飲み込み、暴走していた玉座の構造が瞬時に分解、再構成されていく。赤黒い呪いの配線は、リアムの魔力によって純白の浄化回路へと書き換えられ、不気味な重圧を放っていた椅子は、座るだけで心身を癒やす究極のエルゴノミクス・チェアへと生まれ変わった。
呪縛を解かれた皇帝が椅子から崩れ落ち、数年ぶりに自分の意思で深く呼吸をした。その瞳に、失われていた理性の光が宿る。
「陛下、お待たせしました。これで腰痛も治りますよ。ついでにこの部屋の換気ダクトも直しておきましたから、もう変なノイズで頭が痛くなることもないはずです」
リアムが平然と言い放つ横で、計画を根こそぎ台無しにされたバティストは、血管が浮き出るほどに顔を真っ赤にして立ち尽くしていた。玉座の解体工事は、帝国の支配構造そのものを解体する、職人リアムの逆襲の狼煙となったのである。
黄金の光が収まった謁見の間で、リアムが「どうぞ」と促すと、数年ぶりに呪縛から解き放たれた皇帝が、ふらつく足取りで新しくリフォームされた椅子へと腰を下ろした。その瞬間、皇帝の全身を、地脈から直接引き出された純粋な浄化の魔力が、春の陽光のような温かさで包み込んだ。
「あ……ぁ、これは。背筋の芯まで、澱んでいたものが、溶けていくようだ」
皇帝の濁っていた瞳に、鮮烈な理性の光が宿る。リアムが施した「人間工学リフォーム」は、単なる修繕を超えて、座る者の魔力循環そのものを最適な比率へと整えていた。
皇帝が深く息を吸い込むたびに、肺腑に溜まっていた実家の毒素が浄化され、肌には若々しい血色が戻っていく。それは、この国の主が「正しき家主」として再建築された瞬間でもあった。
「リアム・アークライト。余は、この数年間、自らの家が腐り落ちていく様を、ただこの椅子に縛り付けられて眺めていることしかできなかった。……だが、今、霧が晴れた。この椅子の座り心地が、余に『戦え』と告げている」
皇帝が玉座の肘掛けを握りしめると、リアムが仕込んだ「魔力増幅回路」が黄金色に輝き、謁見の間全体の空気が一変した。
「な、何をした! 陛下を、陛下にどのような洗脳を施したのだ、リアム!」
バティストが絶叫し、震える指先でリアムを指差す。彼が丹精込めて作り上げた「傀儡の支配構造」が、一脚の椅子をリフォームされただけで、根底から瓦解しようとしていた。
「洗脳じゃありませんよ、父上。僕はただ、建物の『重心』をあるべき場所に戻しただけです。陛下というこの国の主柱が、不当な重圧で曲がっていたから、真っ直ぐに叩き直した。職人として、当たり前の仕事をしたまでです」
リアムは平然とレンチを肩に担ぎ、愕然とする実父の視線を正面から受け止めた。
「陛下。その椅子、地脈と直結していますから、陛下が願えば帝都全体の『汚れ』を検知できますよ。……さて、次はどの部屋のゴミから片付けますか?」
皇帝は静かに立ち上がり、腰痛が消え去ったその軽やかな動作で、バティストを見据えた。
「まずは、余の足元でシロアリのように巣を食っていた、不届きな『解体師』どもの掃除からだな」
皇帝の力強い宣言が謁見の間に響き渡り、実家の権威は、リアムが磨き上げた大理石の床の上で、文字通り粉々に砕け散ったのである。




