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第31話:(後編)路地裏の少女と、お風呂の洗礼

 帝都地下の汚染ヘドロを浄化し、廃棄物魔獣を「ただの綺麗な水」へとリフォームした数時間後。

 リアムに連れられ、宿舎へと戻ってきたニーナは、玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、その場に固まってしまった。


「……おじちゃん、あたし……こんなピカピカな床、歩けないよ。足、ドロドロだもん。お家の神様が怒っちゃうよ」


 煤とオイルにまみれたニーナが、つま先立ちで震えている。

 リアムが数分で神殿級に作り替えた宿舎の床は、一点の曇りもない白大理石。地下の闇で生きてきた彼女にとって、その輝きは直視できないほど眩しいものだった。


「大丈夫だよ、ニーナ。このおコレットは、汚れた子が来るのを一番喜んでくれるんだ。……さあ、汚れ(ノイズ)を落として、本当の君にリフォームしようか」


「……本当の、あたし?」


 戸惑うニーナの前に、後光が差すような微笑みを浮かべたセレスティアが歩み寄った。

 彼女はリアムから地下での出来事を聞くや否や、聖女としての使命感――という名の「磨き上げたい本能」を爆発させていた。


「リアム様、お任せくださいまし! こんなに『磨き甲斐のある子』を放っておくなんて、聖女の名が廃りますわ。……さあ、ニーナさん。私と一緒に、命の洗濯フル・クリーニングに参りましょう!」


「……ひゃっ!? お姉ちゃん、綺麗すぎて怖いよぉ!」


 ニーナは抵抗する間もなく、セレスティアに抱き上げられ、宿舎自慢の「多機能バスルーム」へと連行された。


     *


「……な、なに、これ……。お空の上なの?」


 浴室の扉が開いた瞬間、ニーナは息を呑んだ。

 そこには、リアムが「住人のリラックス効果を最大化する」ためにリフォームした、湯気が真珠のように輝く大浴場が広がっていた。

 壁は癒やしの魔力を放つエメラルドの石材で覆われ、蛇口からは自動で適温に調整された、花の香りがする聖水が溢れ出している。


「いい、ニーナさん。汚れというのはね、建物のヒビと同じ。放っておくと心が錆びついてしまうんですの。……でも、リアム様が整えたこのお湯なら、どんな深い汚れ(かなしみ)も、綺麗に溶かしてくれますわ」


 セレスティアは優しくニーナの服を脱がせ、彼女を広い湯船へと促した。

 恐る恐るお湯に浸かったニーナの口から、ふにゃりと、これまで一度も出したことのないような、気の抜けた吐息が漏れた。


「……あ、あったかい。……お姉ちゃん、あたしたち……死んじゃったの? 地下のあそこで、魔獣に食べられて、天国に来ちゃったの?」


「ふふ、死んでなどいませんわよ。……これが、リアム様が作りたかった『当たり前の暮らし』なんですの」


 セレスティアはニーナの横に座り、リアム特製の「浄化石鹸」を泡立てた。

 スラムの劣悪な環境でこびりついた煤。爪の間に詰まったオイル。それらを、聖女の魔力を込めた柔らかな泡が、優しく、けれど徹底的に絡め取っていく。

 

 セレスティアの手付きは、リアムの「メンテナンス」を彷彿とさせるほどに正確で、慈愛に満ちていた。

 彼女はニーナの細い背中を流しながら、この小さな少女がどれほどの重荷を背負って地下の配管を守ってきたのか、その肌の傷跡(建付けの悪さ)から読み取っていた。


「……大丈夫。……もう、怖くありませんわ。……貴女のその小さな手も、真っ直ぐな瞳も、私とリアム様が必ずピカピカに守って差し上げます」


 一時間後。

 浴室から出てきたのは、元の「煤けたネズミ」のような姿が嘘のような、透き通るような白磁の肌と、月光を反射して輝く柔らかな茶髪を持つ、一人の美しい少女だった。


 セレスティアはお下がりの、清潔なコットンのワンピースをニーナに着せ、鏡の前に立たせた。


「……。……。……だれ、これ」


 鏡の中に映っていたのは、かつて地下で泥水を啜っていた自分ではなかった。

 清潔で、温かくて、未来を期待してもいいような顔をした、知らない女の子。


「これが、本当の貴女ですのよ、ニーナさん。……磨けば、世界はこんなに美しくリフォームできるんですの」


 ニーナの大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙が零れ落ちた。

 彼女は鏡の中の自分を見つめ、それから背後で微笑むセレスティアを見上げ、震える声で呟いた。


「……お姉ちゃん。あたし……おじちゃんみたいに、なりたい。……いつか、地下のあそこにいるみんなを……こんなに温かくて、綺麗な場所に住ませてあげられる……そんな『お家』を、作りたい」


 それは、絶望しか知らなかった少女が、人生で初めて描いた「夢の設計図」だった。


     *


 リビングへ戻ると、リアムが温かいミルクのトレイを持って、彼女たちを待っていた。

 彼はニーナの姿を一目見て、満足そうに頷いた。


「……あ。……ニーナ。すごく、良い『建付け』になったね。……髪の艶が、この部屋の湿度と完璧に調和しているよ」


「……お、おじちゃん。……あたし、おじちゃんの仕事、一生懸命手伝うから。……だから……」


 ニーナはリアムの作業着の裾をギュッと掴み、顔を上げた。


「……あたしが大人になったら、あの地下の広場に、みんなの『孤児院』を建てて。……おじちゃんが直してくれた、あのヒーターがある場所を……世界で一番あったかいお家にしてほしいの!」


 リアムは一瞬、驚いたように目を見開き、それから今までで一番穏やかな、家主としての深い慈愛を込めて微笑んだ。


「……ああ。約束だよ、ニーナ。……君が守りたかったあの場所を、僕が責任を持って、世界一安全で快適な『ニーナ孤児院』にリフォームしてあげる。……出資者は、今から僕が帝都のわがまま令嬢たちを説得して(リフォームして)連れてくるからね」


「……うんっ!!」


 ニーナの弾けるような笑顔。

 この瞬間に蒔かれた種が、やがて帝都編の結末において、エカテリーナの巨額出資と、帝都地下の劇的な環境改善へと繋がる「奇跡の設計図」となる。


 セレスティアは、その二人を眩しそうに見守りながら、密かに決意した。

 

「……ふふ。……リアム様の『家族』を増やす計画、私も全力でアフターケア(お手伝い)させていただきますわ。……まずは、この子の教育係として、一からリフォームですわね!」


 帝都の闇はまだ深いが、リアムが灯した「リフォームの光」は、一人の少女の心という名の土台を、これ以上なく強固に、そして美しく作り替えていた。


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