第30話:(前編)路地裏の小さなネジ
ルナマリアの「賢者の魔導塔」をフルリフォームし、帝都中央の魔力循環を正常化させてから数日が経った。
地上の街並みは少しずつ輝きを取り戻し、空の色さえも澄んできたように見える。だが、リアムの脳内に展開された【魔導設計図】には、依然として不気味な「赤い点滅」が消えずに残っていた。
「……あぁ、やっぱり。肺(塔)を掃除しても、指先(末端)の血行が悪いままだ。……見て、セレスティアさん。帝都の南西、スラム街の地下配管が完全に逆流して、地圧が限界を超えようとしている」
「……スラムの地下、ですわね。あそこは帝都の設立以来、一度も『公的なメンテナンス』が入っていないと言われる暗部ですわ」
セレスティアが心配そうに眉をひそめる。
「放っておけないな。地脈が詰まって『建物の内臓』が腐りかけているのを無視するのは、職人として寝覚めが悪い。……よし、カミラさん、コレットさん。ちょっと地下の様子を診てくるよ」
リアムは愛用の工具鞄を担ぎ、護衛役のカミラと、城の感覚を共有するコレットを伴って、帝都の華やかな表通りから一歩外れた「奈落への階段」を下りていった。
*
帝都地下、第六層。
そこは、魔法の灯りすら届かない、錆びた鉄と汚染された魔力の臭いが立ち込める「鉄の迷宮」だった。頭上を走る巨大な配管からは「ゴボゴボ」と不気味な異音が漏れ、壁には緑色の苔が不気味に発光している。
「……酷いな。ここはもう、設計図通りに動いている場所が一箇所もない。……継ぎはぎだらけの配管、無理やり曲げられたバルブ。……家が、泣くのを通り越して絶叫しているよ」
リアムが壁のパイプにそっと手を当てると、金属の震動を通じて、地下街の住人たちが勝手に行った「違法リフォーム」の跡が次々と浮かび上がってきた。
「主殿、背後に気配だ。……ネズミではないな」
カミラが鋭い視線で暗闇を射抜く。
シュバッ!!
配管の影から、泥にまみれた小さな影が飛び出した。
ボロボロの布切れを纏い、顔に煤をつけた、十二歳ほどの痩せこけた少女だった。彼女は手に持ったバケツの中に、配管から漏れ出す「未精製の魔力液」を必死に溜めていたが、リアムたちを見るなり、弾かれたように走り出した。
「待って! 泥棒じゃない、ただの――」
リアムの呼びかけを無視し、少女は驚くべき身のこなしで壁を駆け上がった。
彼女は魔法を使っているわけではない。配管の「固定ボルトの緩み」を足場にし、壁の「わずかな亀裂」に指をかけ、建物の構造的な『隙間』だけを繋いで最短ルートを疾走していく。
「……驚いたな。彼女、この迷宮の『建付け』を完全に把握している。……あそこの通気口、設計上は塞がっているはずなのに、彼女はそこが『空洞』であることを知って通っているんだ」
職人としての好奇心に火がついたリアムは、少女の逃走経路を【魔導設計図】で先読みし、先回りして彼女を袋小路へと追い込んだ。
「……っ! 来ないで、魔導官の役人! ここはあたしたちの場所だ! あんたたちに壊させるもんか!」
追い詰められた先は、巨大な排水管のジャンクションを改造して作られた、孤児たちの隠れ家だった。
そこには数人の幼い子供たちが身を寄せ合い、中央にある一台の、今にも爆発しそうな『旧式魔導ヒーター』の熱で暖を取っていた。
少女は、錆びついた大きなネジを石で力一杯叩き、ヒーターから漏れ出す不気味な蒸気を必死に抑え込もうとしていた。
「やめなさい! 石で叩いちゃダメだ!」
「うるさい! こうしないと、この『おじいちゃん(ヒーター)』が死んじゃうんだ! こいつが死んだら、みんな凍え死ぬんだよ!」
ガンッ! と少女が最後の一撃を振り下ろした瞬間、ヒーターの圧力弁が限界を迎え、真っ赤な高圧蒸気が吹き出した。
「「「きゃああああああ!!!」」」
子供たちの悲鳴が響く。
「……させないよ。……スキル――【精密ボルト締め・神の左官】!」
リアムが割って入り、素手で噴き出す蒸気を抑え込んだ。
本来なら手が焼けるはずの熱量だが、リアムの魔力が瞬時に蒸気の分子構造をリフォームし、安全な「ぬるま湯」へと変質させる。
そのまま、彼は鞄から一本の特殊なレンチを取り出すと、少女が叩き潰していたネジをなぞった。
カチリ、と軽やかな音が響く。
歪んでいたネジ山は瞬時に再生され、完璧なトルクで締め直された。
暴走していたヒーターの駆動音が、一瞬で「スゥ……」と穏やかなハミングに変わり、部屋全体を包み込んでいた不快な震動が消え去った。
「……ネジはね。叩くものじゃない。……『対話』するものなんだ。……君が大切に想っているなら、その声を聞いてあげなきゃ」
リアムはさらに、ヒーターの燃料タンクにそっと触れた。
スキル【永久欠番】。
帝都に溢れている「汚染ヘドロ」を燃料に変換するフィルターを内蔵させ、そのヒーターを「燃料不要の永久機関」へと作り替えてしまった。
「……え。……直った? ……石で叩いてもダメだったのに、おじちゃんが触っただけで……」
少女が呆然と、今や黄金色に輝き始めたヒーターを見つめる。
室温は一気に「最適」な二十二度まで上昇し、湿度はエルフのエルナも満足するであろう六十%に保たれた。
「……おじちゃん、何者? ……魔法使い? それとも、帝都のお抱え建築家?」
「ただの職人だよ。……君、いい筋(職人の素質)をしてるね。……魔法が使えなくても、建物の『隙間』を見抜くその目は、どんな天才魔導師よりも価値がある」
リアムは、煤けた彼女の顔を優しく拭ってあげると、穏やかに笑いかけた。
「……僕はリアム。君、名前は?」
「……。 ……ニーナ。あたしはニーナ。ここの配管のことは、あたしが一番知ってる」
「いい名前だね。……ニーナ、僕に君の力を貸してくれないかな? 帝都の地下……この『内臓』をリフォームするには、建物の裏側を知り尽くした案内人が必要なんだ」
「……あたしに、仕事をくれるの? ……この『おじいちゃん』を直してくれたお礼に?」
「ああ。……その代わり、仕事は厳しいよ。……ミリ単位のズレも許さないからね」
リアムの「スカウト」に、ニーナは少しだけ戸惑った後、力強くその手を握り返した。
聖域の城に、新たな「弟子の種」が蒔かれた瞬間だった。




