第29話:(後編)神様と魔女の「生活改善」相談室
帝都中央にそびえ立つ『賢者の魔導塔』。数百年分の「知識」という名のゴミに埋もれていたその空間が、リアムの【全自動大清掃】によって、白銀の大理石が輝く近代的な魔導図書館へと変貌を遂げてから一時間。
あまりの清潔さと、空気の循環の良さに、主である大賢者ルナマリアは、新築の香りが漂う床にへたり込んでいた。
「……信じられない。……どこに何があるか、一目で分かるなんて。……魔法の神秘が台無しよ。……あぁ、落ち着かない……壁が、壁が私を『正しく生きろ』って急かしてくる……っ」
ボサボサの灰色の髪を振り乱し、ルナマリアが震える手で頭を押さえる。
そんな彼女の前に、八枚の白銀の翼を優雅に広げたアストレアが、リアム特製の『集中力を高める魔導コーヒー』を持って音もなく降り立った。
「……ルナマリア。あまり床で震えない方がいいわ。……リアムが、床のワックスが剥げたと言って、君の服ごと『研磨』しに来るわよ」
「……研磨? ……なによ、あの男。……私の大事な資料を勝手に『リサイクル』して、この椅子の座面に作り替えたのよ! ……あんなの、魔術師に対する侮辱だわ……っ!」
ルナマリアは憤慨しながら、リアムが「資料の山」を圧縮してリフォームした特製のエルゴノミクス・チェアに、勢いよく腰を下ろした。
その瞬間。
「……っ!? ……ふ、ふぇ……っ!?」
ルナマリアの小さな体が、吸い付くような感触で椅子にホールドされた。
リアムが施した「骨格補正リフォーム」が、彼女の猫背気味な背筋を優しく、けれど強制的に理想のラインへと押し上げる。地脈から直接引き出された微弱な温熱が腰を温め、思考のノイズを一瞬で掻き消していく。
「……なに、これ。……身体の節々の『建付け』が、勝手に整っていくわ……。……思考の導線が、恐ろしいほどに滑らかに……。……私の魔導演算が、いつもの三倍の速度で……っ」
「……わかるわ。……彼の作るものは、どれも『抗えない快適さ』という名の呪い(・・)に満ちているもの。……一度座ってしまえば、もう不便な過去には戻れない……それがリアムのリフォームなのよ」
アストレアが慈愛に満ちた(あるいは、すでに毒された)瞳で、ルナマリアを見つめた。
神と魔女。共に長寿を生きる種族だが、アストレアはすでにリアムという「家主」に、その魂の根幹までを整えられてしまっていた。
「……ねぇ、アストレア。……貴方、神様のくせに、なんでそんなにあの男に懐いているの? ……あんなの、ただの『掃除マニア』じゃない」
「……いいえ、ルナマリア。……彼はただの掃除屋ではないわ。……彼は住人の『欠陥』を、誰よりも早く見抜く職人なのよ」
アストレアは、ルナマリアのボサボサの髪や、インクの染みがついたローブをじっと見つめた。
「……ルナマリア。覚悟しておきなさい。……リアムは、部屋の次は『住人の不潔』を許さない。……明日の朝には、君を浴室へ連行し、その髪の一本一本までを『フルクリーニング』するつもりよ」
「……っ、お風呂!? ……あんな、水分で皮膚の潤い(魔力)を奪う非効率な儀式、一週間に一回……いや、一ヶ月に一回で十分よ! ……私を、あんな湿気だらけの場所に閉じ込めるなんて、絶対にお断りよ!」
「……ふふ。……私も最初はそう思っていたわ。……でもね、ルナマリア。……彼の指先が、君の髪の絡まりを解き、魔力関節の『歪み』を直接ボルト締め(・・・・)してくれる時の、あの熱量を知ってしまったら……」
アストレアの頬が、夜明けの空のようにポッと朱に染まった。
彼女は自分の白銀の翼を愛おしそうに撫でながら、恍惚とした吐息を漏らす。
「……あの時、私は声を出すのも忘れて、彼の胸に顔を埋めて……。……神としての数千年の重圧が、彼の指先一つで、とろとろに溶かされていくのを感じたわ。……今の君の、そのガサガサな指先も……彼の手にかかれば、絹のように滑らかにリフォームされるはずよ」
「……。 ……。 ……な、何その、神様にあるまじき『蕩けたような顔』は! ……リアム、あんな職人の顔をして、なんて破廉恥な魔法を……っ!!」
ルナマリアは耳まで真っ赤にして、椅子の肘掛けをギュッと握りしめた。
彼女の頭脳は、「お風呂は嫌だ」と拒絶反応を示しているが、リアムが作った椅子の心地よさを知ってしまった肉体は、無意識のうちに「次のメンテナンス」を期待して震えていた。
「……あ。……パパ、焼きたてのトーストが焼けたよー! ……魔女のお姉ちゃんも、早く食べないと冷めちゃうよ!」
階下から、コレットの元気な声が響いてきた。
同時に、塔全体を包み込むような、香ばしいバターと小麦の香りが、リアムの「換気リフォーム」によって完璧な気流に乗ってテラスまで届く。
「……っ。……この香り。……私の保存食とは、分子構造のレベルで違うの!?……」
ルナマリアの胃袋が、キュゥ、と可愛らしい音を立てて降伏のサインを出した。
知性は高くとも、身体は正直だった。
「……負けたわ。……認めましょう、あいつは帝都一の『猛者』よ。……私の引きこもり空間を、これほどまでに『帰りたくない場所』に変えるなんて……」
ルナマリアはふらふらと立ち上がると、アストレアに導かれるように、リアムの待つ食卓へと足を踏み出した。
「……いいわ。……この塔ごと、あいつにリフォーム(所有)させてあげる。……その代わり、私の生活導線のすべてを……彼に責任取ってもらうんだから……っ」
最強のズボラ大賢者が、リアムの「快適さ」という名の支配に、完全に陥落した瞬間だった。
テラスの向こうでは、リアムがエプロンを締め直しながら、塔の外装を見上げていた。
「……あ。ルナマリアさん、おはよ。……ご飯の後は、その窓ガラスの曇り、リフォームさせてもらうね。……君の瞳に映る景色が曇っているのは、職人として許せないからさ」
「……。 ……。 ……バカ。……もう、好きにすればいいわ……っ」
ルナマリアが赤面して顔を逸らすのを、アストレアは優しく、けれど「同類」を見つけた喜びを込めて見守るのだった。




