第26話:(後編)神と悪魔のティータイム
リアムがわずか数分で、カビ臭いボロ宿舎を白大理石の「神殿」へとフルリフォームしてしまった、その日の夜。
帝都の澱んだ夜景を見下ろす最上階のテラスでは、二人の美女が、リアム特製の『精神安定のハーブティー』を前に、奇妙な静寂を共有していた。
「……酷い空気ね。地脈の『建付け』がこれほど汚れているなんて。魔界の裏路地の方がまだ清潔感があるわよぉ」
漆黒のドレスを揺らし、ベアトリスが不快そうに鼻を鳴らした。
サキュバスである彼女にとって、欲望と陰謀がドロドロに煮詰められた帝都の空気は、肌にまとわりつく不快な湿気のようなものだ。
「ええ。……数千年前、私が眠りにつく前の帝都は、もっと澄んだ音を立てていたわ。……今のこの街は、まるで折れかかった大黒柱を、腐った漆喰で塗り固めているだけの『張りぼて』に見える」
アストレアが八枚の白銀の翼を小さく丸め、月光に透けるハーブティーを一口啜った。
彼女の紫水晶のような瞳には、帝都の地下で悲鳴を上げている地脈の歪みが、視覚的なノイズとして映っている。
「……そんなことより、アストレア。……私たちが今、一番警戒しなきゃいけないのは、帝都の崩壊よりも『リアムの貞操』の方よ。分かってるかしら?」
「……リアムの、ていそう?」
アストレアが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で小首を傾げた。
神としての長い眠りから覚めたばかりの彼女にとって、男女の駆け引きという概念は、リアムのリフォームした「自動洗浄トイレ」の使い方よりも複雑で難解なものだった。
「そうよぉ! あんな、誰にでも優しくて、誰のことも『最高の状態に直したい』なんて考えてるリフォームバカ、帝都の女狐たちが放っておくわけないじゃない。……今頃、あちこちの貴族令嬢が『私の寝室の建付けを診てほしい』なんて、見え見えの罠を仕掛けてるはずよ」
ベアトリスがテーブルを指先で叩き、真剣な顔でアストレアに詰め寄る。
「だから、私たちが先手を打って、彼を骨抜きにしておかなきゃいけないの。……サキュバス直伝の、リアムの理性をリフォームする(・・・・・・・)方法、貴女にも教えてあげるわ」
「……理性の、リフォーム? ……それは、昨夜リアムが私の翼に施してくれたメンテナンスよりも、心地よいものなの?」
「っ……!? な、何よ、それ。詳しく言いなさい」
教える側だったはずのベアトリスが、逆に食いついた。
アストレアは、まるで古い神話の真実を語るかのような、どこまでも純粋で高潔な口調で語り出した。
「リアムは……私の翼の付け根、一番魔力が集中する『芯』に直接指を沈めて、私の熱を隅々まで解きほぐしてくれたわ。……あの時、私は声を出すのも忘れて、彼の胸に顔を埋めて……。……私の魂の術式が、彼好みの色に書き換えられていくような……そんな、暴力的なまでの安らぎを得たの」
「……。……。……ちょっと、待ち……待ちなさいよ。それって、ただのメンテナンス(・・・・・・)じゃないわよね!?」
ベアトリスが顔を真っ赤にして叫んだ。
誘惑のプロであるサキュバスから見ても、アストレアが語る「リアムの施術」は、理性をリフォームするどころか、魂の根幹を再建築しているに等しい。
「リアム……あんな無害な職人の顔をして、神様相手になんてテクニックを……っ! あぁ、もう! 私がクローゼットの奥でジッパーを上げてもらった時よりも、ずっと過激じゃないの!」
「……過激? ……いいえ。……彼はただ、私の翼が『泣いている』と言って、一枚一枚、丁寧に羽毛の並びを整えてくれただけよ。……その時の、彼の指先の、あの絶対的な『慈愛』……。……ベアトリス、貴女も一度、あのように愛でられてみればいい。……神としてのプライドなんて、一瞬でとろとろに溶けてしまうわよ?」
「……っ。……言われなくても、もう半分溶けてるわよ……!」
ベアトリスは額を押さえて、大きく溜息をついた。
この神様は、自分の言っていることがどれほど「誘惑」として完成されているか、微塵も自覚がない。
リアムという無自覚な職人と、アストレアという無自覚な神。
この二人が揃うと、誘惑のプロであるサキュバスですら、自分の「技術」の浅さが恥ずかしくなってくる。
「……わかったわ。協力しましょう。……帝都の女狐たちに、彼の一ミリも触らせない。……あんな『魔性の指先』を、他の女が知ってしまったら、帝都中の女がリアムの『住人』になりたがって、暴動が起きるわ」
「ええ。……リアムのメンテナンスを受けるのは、私たちだけで十分。……彼の愛着は、この聖域の城(私たち)のためにだけ、使われるべきよ」
神と悪魔。
本来は決して相容れない二人が、ハーブティーのグラスを鳴らし、固い共同戦線(リアム防衛線)を誓い合った。
そんな二人の足元、テラスの真下の廊下から、呑気な金属音が響いてきた。
「……あ。……この手すりのネジ、帝都の酸性雨のせいで少し緩んでるな。……明日、特製の魔法ワッシャーでリフォーム(締め直し)しておかないと」
二人の深刻な決意をよそに、リアムは今日も、ただ「建物の不具合」を見つけた喜びに浸っていた。
「……ほら、あんな感じよ。……あの『放っておけない感』が、女の独占欲をリフォーム(暴走)させるのよねぇ」
「……ええ。……早く、私の翼も……もう一度、締め直してほしいわ……」
アストレアがぽつりと漏らした本音に、ベアトリスが「負けないわよ!」と対抗心を燃やす。
帝都の夜は、政治の嵐よりも遥かに熱い、ヒロインたちの「メンテナンス権」を巡る戦火によって赤く染まろうとしていた。




