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第三章 1 エレカ・ヤヒメ

 リズカードがノイスをエンケットに引き渡してから、毎日があっという間に過ぎた。


 エンケットのローズレックとノイスからそれぞれ約束通り入金があり、それを元手にウォッシャーが新調され、エレカは洗濯物の手洗い生活から解放された。そのほか、普通の会社にあるべき備品も買いそろえ、ものすごく今更だが、リズカードのスマートデバイスも手に入った──ただ、リズカードはフルシークレットなので、ノイスの助けを借りてメーカーに働きかけ、特注品を作ったとかなんとか。ノイスはリズカードのことをすっかり気に入り、完全にスポンサーとなっているような状態だった。


 フーロは手に入れたお金を元手にして、夢見た飲食店経営の道を探り始めた。ただエクソス出身の「彷徨えるミクシアン」がストラトで店を構えるのは、制度や税制のせいでかなり狭き道となってしまっているらしい。ストラトに住み子供を産めば、その子は無条件にストラト市民となるので、それなりに融通が効くようになるらしいが、エクソスからストラトに一世代かけて出てきて、そこで夢を叶えるのに更に一世代かかるのはあんまりだと思う。


「まあまあ、あたしがむっちゃ金稼げばいいだけの話だし」


 と、フーロは相変わらず無茶なくらい楽観的だが、シャワーで洗濯物を洗っていたエレカにとってはただただ心配でしかない。

 エレカはといえば、相変わらずリズカードとスワードの振ってくる雑用を片付けていたが、同行する頻度は減っていた。エレカが出るのは、リズカードだけでは相手を警戒させてしまう場合と、男性禁制の場所に行く時だけ。そのほかはリズカードが全てなんとかしてしまう。


「君がわざわざ危険を冒す必要はない」


 と、リズカードはエレカの身の安全を思って単身出かけてしまう。ヴィス粒子を渡す以外、自分にできることはないとわかってはいるものの、置いていかれる寂しさはどうしても抑えられない。


 フーロもスナウを伴って出かけることが多くなり、エレカは事務所でひとりぼっちでいることが増えた。最近、新調してもらった自分用の椅子にぽつんと座って、ただぼうっとしている。かつてエレカが通っていた高校の人たちはみんな、学校でちゃんと勉強したり、曲がりなりに青春してるんだろうな、とか思いながら。


 その時、ふと何かの匂いがエレカの鼻をくすぐった。最初は気のせいかと思ったけれど、鼻で深く呼吸をするたびに、その匂いはエレカの意識いっぱいに広がってくる。


「……あの家の匂いだ」


 かつて、エクソスで養母と暮らしていた時によく感じていた、淡く、切ないような匂い。


 エレカはこの匂いが、自分の孤独を感じる心から出ているのだと、なんとなく悟った。すると、この身が汚れているような気が無性にしてきてシャワー室へ駆け込む。やっと買ってもらった編み目の細かいフィルターを排水口にかけて、熱いお湯を浴びる。


 そういえば養母と暮らしていた時も、侘しさに耐えられなくなったらこんな感じでシャワーを浴びてたっけ。養母のことは好きだったけど、両親やきょうだいのいる他の家庭の賑やかさと自分の家の静けさの対比は、幼いエレカに孤独を感じさせた。そして、ヴィス粒子をまとう体質も相まって、どうして私はみんなと違うんだろう、と強く思うようになっていく。そのコンプレックスをこじらせた結果、いつの間にか清潔じゃないと我慢できない性格になってしまっていた。

 シャワーを終えると、エレカは排水口の網を外して、とれたヴィス粒子を予備の調味料の小瓶に詰める。そこに溜まった量を見てエレカは茫漠と呟いた。


「……やっぱり、減ってる」


 採取し始めた頃はこんなに肌についていたのかと絶望するくらい多かったはずなのに、それが今では、これだけ? と思えるくらい減っている。


 このことは怖くて言えていない。ヴィス粒子はエレカとリズカードを繋ぐ、唯一の絆だと思っていた。もし、この体質がなくなってしまったら──と考えるだけで、ふらりと意識が遠のきそうになる。今まで散々恨んできた自分の体質を、ようやく受け入れられると思った矢先に、こんなことになるなんて、と泣きたい夜もあった。


 ヴィス粒子が減っていることは、リズカードだってとっくに察しているはずだ。それでも何も言わないのは、気を遣ってるからか、それとも魔法を使う機会が減ったからなのか。それを訊くのも恐ろしかった。


 だけど──この体質の原因もヴィス粒子の減った理由も、わかるかも知れない。

 シャワーから出たエレカは、とある人物からメッセージが来てないかチェックする。それは最近のエレカが、希望と共に待ち焦がれているものだった。


 ベイハー・スティンフル博士、最後の魔法学者からの返信だ。


 リズカードはノイスと、ヤグ・トルネ率いる「ピリナス」がどんなプロジェクトを進めているのか探ると約束した。それで関係者との接触をはかっているが、なかなかうまくいっていないらしい。


 そこで情報源として頼りの綱になってくるのが、ジンク・ウェブ再敷設の技術的な助言をしたというベイハー博士だった。


 ベイハーはかなり閉鎖的な人物で、現在はクインティトの郊外も郊外、エクソスよりも外部の穀倉地帯に土地を買って住んでいる。大動脈からも外れた、人が住むことを想定されていないような辺鄙な場所だ。

 興味ある連絡にしか返信をよこさないとされる彼と会うのは難しいと思われたところへ、リズカードが妙案を出した。


 ──エレカの体質について伝えるのはどうだろうか。


 ベイハーが古き良き時代の好奇心旺盛な偏屈な学者ならば、汗の代わりにヴィス粒子が出る現象について知りたいと思い、食いついてくるのではないだろうか。


 この案にデリカシーがないとフーロは怒ったが、エレカはすぐに了解した。その時はリズカードの役に立ちたいという一心だったが、いつまでも返事が来ずに時間が経つにつれて、ベイハーならこの体質の秘密を解き明かしてくれるんじゃないか、という期待に変わっていった。


 ──それを知ったところで、何かが変わるというわけでもないのかも知れないけれど。


 そして、その日、エレカは見慣れない送り主のメッセージを見つけた。


『ベイハー・スティンフル』

「あっ……」


 息も忘れて反射的に開封する。すると、大量の文字がわっと視界に広がった。

 なんだこれは。遅れてやってきた緊張で身を固くしながら、エレカは文面に目を走らせるも全然意味が掴めない。それは今日日見ることの全くない、恐ろしく丁寧に回りくどく書かれた古い手紙の文体だった。

 古めかしい文章にエレカが目を回していると、事務所の扉が開いた。


「戻った」


 顔を上げると、帰宅したリズカードの姿があって救われた気持ちになる。


「あ、リズカードさん、あの今──」

「エレカ、大事な話がある」


 が、リズカードが真剣な面持ちで切り出すので、エレカは出かけた言葉を引っ込めた。


「な、何でしょう……」

「ノイスと交渉していたルイモンド島への渡航許可がついに出た」

「えっ──」


 エレカは絶句した。毎日、ノイスと連絡を取り合っていると思ったら、もう、そんなところまで話が進んでいたのか──。

 ルイモンド島へ行くことは、現代におけるリズカードの悲願であり、ほぼ唯一の目的だった。どんな結果になるにせよ、その約束の地に辿り着くことはリズカードにとってひとつの区切りとなる。最悪、彼がいなくなる可能性だってあった。


 ──行かないで。


 エレカの脳裏にそんな言葉が過った。ひとりにしないで欲しい。まだ一緒にいて欲しい──そんな気持ちが喉元に押し寄せてきて、抑えるので精一杯になる。

 動揺して言葉を失ってしまうエレカに、リズカードはこんなことを言った。


「それに君もついて来る気はないか」

「ええ?」


 全く予想だにしない提案だった。何を言われているのかわからず、エレカは困惑する。


「わ、私が……? どうしてですか……だって、私はミクシアンだから入る権限がないし、ルイモンド島に用があるわけでもないのに」


 リズカードはそんな震える言葉をじっくり聞き入れると、穏やかな声で言う。


「ルイモンド島でノイスが君と会うつもりでいると言ったら、どうだ」

「あ──」


 ふ、とエレカの頭が真っ白になる。ダルタイン=ライゴーの嫡子であり、もしかしたら、エレカの異腹兄であるかも知れない、ノイスと顔を合わせて、話す──。


「いきます」


 気がつくと、口が勝手に動いてそう告げていた。迷いも動揺も吐き気も不安も強くあった、けれど、エレカがずっと心の内で育てていた意思が、全てを押しのけて進む選択をしたのだ。ただ、身体がついてこれなくて、心臓はバクバクと痛いくらい鼓動を打ち、手の内にはびっしりとヴィス粒子がくっついている。少しでも気を緩めると、気を失ってしまいそうだった。

 すると、リズカードは安堵するような息を吐いて、手頃にあった椅子に腰を下ろした。


「そうか、よかった。正直、俺ひとりで行くのは心許なかったから助かる」

「リズカードさんも……?」

「ああ、それはそうだ……二百年の遅刻の代償をこの目で確かめに行くんだからな」


 そう告げるリズカードの目には、決意のような、憂いのような、言葉にしきれない何かが宿っていた。その眼差しに何が映っているのか、エレカには想像つかない。これから何がどうあっても、彼の心がわかるなんてことは決してないような気がした。

 そう、エレカとリズカードは境遇こそ同じだが──男と女、大人と子供、オルガンとミクシアン、中世人と現代人と、どこまでも果てしなく違う存在なのだ。


「……そうですよね」


 そんなふたりの向かう先がルイモンド島で交わる、なんて考えれば、ロマンチックではあるが──その後のことはあまり考えられなかった。


「日取りなんだが、今週末の予定になっている」

「こ、今週末?」


 びっくりしてカレンダーを開いてみると、もう目と鼻の先に思えた。


「は、早いですね」

「ああ。もともと、俺とノイスだけで向かう予定だったところに、君も加えようとしたらかなり渋い顔をされてな。その交渉が長引いて君に伝えるのが遅れてしまった。予定が入っていたり、心の準備が必要だったら変更しても構わない」


 趣味も交友関係もないエレカに予定はないし、心の準備なんてしてたら何年経っても行けない気がする。「平気です」と即答しかけたエレカだったが、その直前であることを思い出した。


「あ、あの、私は平気なんですけど……さっきベイハー博士から返信が来ていて」

「な、本当か? もしかして、あちらの都合と被ってしまっているのか?」

「いえ……わからないんです、読めなくて」

「読めない……?」


 訝るリズカードにベイハーからのメッセージを見せると、「なるほどな」と小さく笑った。


「懐かしい文体だ。中世の頃はよく目にしていた。婉曲に婉曲を重ねて相手に敬意を示すんだ」

「えっ、じゃあもしかして、この人も中世で千年の眠りに就いた十賢晶のひとり……?」

「いや、ネイティブにしては文法がぎこちない。この学者は単なる中世の書物を読み込み過ぎた変わり者だろう。最後の魔法学者と言われるだけはある」


 ざっと目を通したリズカードによれば「是非ともヴィス粒子をまとうその方にお会いしたいが家が片付いておらず、とてもお招きできる状態ではない、来週以降ならいつでも歓迎できる」という内容らしい。


「ついでに言うと返信のなかった期間は、この文面の作成に時間を費やしていたらしい」

「……本当にこの人が『ピリナス』に技術提供をしたんでしょうか?」


 ライゴーとの慌ただしいビジネスに向いているとはとても思えない。エレカの呟きに、リズカードは小さく肩をすくめた。


「文章だけで人柄はわからない。会ってみないことにはな」


 来週以降との希望なので、ひとまずベイハーのもとへうかがいを立てるのは、ルイモンド島訪問の後とした。返信が来れば確定となる。

 重要なイベントが立て続けに入ったカレンダーを眺めて、エレカはもの思う。


 ──これで私の秘密が曝かれたとして、何かが変わるのだろうか。


 わからない。けれども、知りたい。いや、知らなければならない。

 そんな風に思わせる何かが、エレカの身体中を駆け巡っていた。


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