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第三章 2 リズカード・オーウェン

 ストラト区ヴァスライン、トルネ=ライゴーがミクシアン相手の商戦でみじめな敗退を喫したその港湾区が、ルイモンド島へと向かう日の集合場所だった。


 海岸沿いの路傍にリズカードとエレカを乗せたタクシーが止まる。支払いを済ませたふたりはタクシーを降りると、はるばる海を越えてやってくる潮風に目を細めた。

 波止場のいかにも港湾労働区といった風情の中に、一隻だけ場違いな船が泊まっていた。流線型を描く美しいボディを持った高級ボート──どう見てもノイスのものだ。

 近づいていくと、中から船長と思しき男が出てきて、ふたりに声をかけてくる。


「リズカード様とそのお連れ様でしょうか」

「ああ、そうだ」

「エレカ・ヤヒメです。今日はよろしくお願いします」


 エレカが一歩前に出て挨拶をすると、船長は「あ、これはどうも」と戸惑ったように返してからリズカードを見た。


「ミクシアンの方の渡航と聞いておりましたが」

「その通りだが……」


 傍らでエレカが気まずそうに顔を背ける気配がする。それで船長は勘違いに気づいたらしい。


「こ、これは……失礼しました。どうぞお乗りください」


 謝罪と共に促され、ふたりはタラップを渡ってボートに乗り込んだ。


「……オルガンの人にも間違えられるなんて」


 エレカは落ち着かないように髪の毛先をいじった。今日のエレカは、フーロが見立てたレンタルのサマードレス姿で決めてきている。普段にもまして品が出ているようで、隣を歩くリズカードも自然と背筋が伸びるような、可憐な出で立ちだった。


「よく似合っているからな、仕方あるまい」


 リズカードがそう告げると、エレカは目をちょっと見開いてから「ありがとうございます……」と小さくはにかんだ。


 その後、船長が出港準備を整えてボートが出港する。

 未来の乗り物は自動運転車で慣れきっていたと思っていたリズカードだったが、このボートの乗り心地には久々に新鮮な驚愕を味わった。中世でも船に乗ったことはあったが、今乗っているボートに比べるとただの板きれだったと言わざるを得ない。まず、目につく内装の異常な豪華さ、キッチンから寝室までついており普通に暮らせるレベルである。そんなものを乗せてかなりの速度を出しているにも関わらず、AIによる姿勢制御(スタビライザー)技術によって全く波の揺れを感じないのだ。移動する豪邸に乗っているような快適さだった。


 リズカードとエレカはデッキに立って滑る海面を眺めた。遠く水平線の先には、宇宙まで伸びる軌道エレベーターが見える。終端は宇宙開発の拠点となっており、月の資源である半導体素材のムーンシリコンや合金ライトチタンの原料はあれを伝って降ろされる。現代技術を支える生命線を、見晴らしの良い海上で見られたことにリズカードは感動した。

 そんな船旅をしばらく満喫していると、やがて大きな島影が見えてくる。


「……ルイモンド島」


 リズカードはその島の名を口にする。千二百年前、ネナと約束を交わした土地は、クインティトと同じくその姿を大きく変えてしまっていた。今ではライゴーが私有するリゾート島となっており、主に上級社員の慰労の地として宛がわれている。

 ボートが波止場に寄って停止し、タラップが伸びて島と接続される。

 ついに辿り着いた。リズカードはタラップを一歩ずつ、踏みしめながらルイモンド島へと上陸する。千二百年ぶりに──。


「おおお、来たな、リズカード君!」


 そんなリズカードの感傷を切り裂くように上機嫌な声が響き渡る。見ると、近くの浜辺に立てられたパラソルの下、手を振っているノイス・ダルタインがいた。その隣には妻のセアと、その子である小さな兄弟もいて家族団欒といった様子だった。


「ノイス、ずいぶんと満喫しているな」


 エレカと一緒に浜辺に下り立ち、近づきながらリズカードは言う。


「はん、相変わらず招待されたとは思えないほど尊大な態度だな。で、こちらが例の?」


 ノイスの視線がエレカに向く。エレカはかちこちに緊張した様子で挨拶をした。


「は、はい。お初にお目にかかります、エレカ・ヤヒメと申します」

「……はん、なるほどな」


 ノイスはエレカの相貌をじろじろ眺めると、どこか不機嫌そうに言う。


「確かに親父の雰囲気が濃く出ている。だが、顔は母親似だな。良いとこ取りしやがって」

「あ、あの──今日はダルタイン=ライゴーについて、聞かせて頂けるんですよね」


 恐る恐るといった様子でエレカは切り出す。


「……この男がどうしても、とごねるんでな」


 ノイスはリズカードの方を親指で指さして答えた。


「こんな時世でミクシアンと会ったと知れて、またトルネに目をつけられたら嫌だと言ったのに、それならプライベートが確保されているルイモンド島で会えば良いとか抜かしやがって……で、実際会えば、雰囲気はオルガンときた。これなら本土でも問題なかっただろ」

「俺の手落ちみたいに言わないでほしいが」

「はん、ともかく友人リズカード君の頼みだから、親父について俺が知る限りのことは話してやるが……覚悟はしておけよ」


 ノイスは脅かすように言う。実際、狂気の好色魔で数百人も愛人を抱えたような父親のことだ、エレカにとってショッキングな話も出てくるかも知れない。

 リズカードは隣で身を固くするエレカの肩へ、勇気づけるように手を添えた。エレカはぴくっと身を震わせ、余裕のない目つきで見上げてくる。


「エレカ、大丈夫か」

「だ、だいじょ──い、いえ、結構、緊張してます」


 エレカは困ったような笑みを見せて言う。その悲壮さすら滲む表情を見て、リズカードは彼女をこの場所に連れてきてしまって良かったのかと、一瞬だけ不安に駆られてしまった。


「夫と仲がいいのね」


 ノイスとエレカが立ち去った後、一緒に残った妻のセアがふと言った。

 その意味深長な言い方に、リズカードは眉をひそめる。


「いや、彼とはビジネスの関係でしかない」


 実際、ノイスのことは悪だと思っている。今が手を取り合う時期だというだけのことだ。


「そう? 彼のあんなリラックスした姿、初めて見たけど」

「ほう……あなたにも心を許していないと?」

「ええ、私だってよその企業都市から、ライゴーとの友好のために嫁いできただけだもの。結局、底の方には打算がある。それが見えないように愛で覆い隠そうとしているだけ」


 政略結婚ということらしい。やはり中世と変わらないな、と口にしかけて引っ込める。


「目的ありきの愛情とわかって享受するのも大変そうだが」

「まあ、私はそれができる性格だから」


 ふふふ、とセアは笑ってみせる。夫が行方不明になっても、表沙汰にせず隠し通したような女だ、下手をすればノイス以上の器かも知れない、とリズカードは思う。


「そんな風にあの人は誰に対しても、利害を意識せずにはいられない。なのに、あなたとは打ち解けることができている……まるで、あなたがこの世界のどんな理からも外れているかのように、ね」


 その見透かしたような台詞に、リズカードの口元が強ばる。


「……何が言いたい?」

「あら、そういう印象ですよっていうだけ」


 セアは不敵に笑みを浮かべた。ノイスとはまた違った掴みどころのなさがあった。

 その時、「ママー」と声がして、小さい方の子供が寄ってきた。それまで兄と砂浜で遊んでいたが飽きてしまったらしい。しかし、母親の隣に立つリズカードを見上げると、驚いたように母親の後ろに隠れてしまう。リズカードは苦笑を浮かべてセアを見た。


「俺がいると子供が落ち着かないらしい。せっかくの機会だから少し島を散策してくる」

「あら、そんなことないのに。ごめんなさいね」


 もちろん、散策は最初から予定していたことだ。セアに見送られて、リズカードはルイモンド島の内奥へと向かった。


 かつて峻険な地形をしていたルイモンド島だが、今ではすっかり平らに均され、あちこちにリゾート地らしいホテルやスパなどといった施設が建てられている。覚えのある場所を探してみるも、案内図にある島の輪郭からして記憶と違っているので、少しずつ不安が募ってくる。

 リゾートエリアを抜け、島奥の自然に溢れたエリアに着くと、トレッキングコースが敷いてあった。自然の間を縫うようなその道を歩いて行くと、ふと、懐かしい匂いを微かに感じた。


「……これは、間違いない」


 忘れもしない、千二百年前、ネナと約束を交わしたあの場所の匂いだ。


 リズカードはいてもたってもいられなくなり、トレッキングコースを走った。少しずつ勾配がついてきつくなっていくが、それだけその場所に近づいているという証拠だ。

 途中、トレッキングコースのゴール地点らしい休憩所があったが、リズカードは更にその先へ向かう。この時代で目覚めた日以来、久々に踏んだ土の感触が、一歩踏みしめるごとにリズカードを過去に引き戻していくようだった。


 そして、ついに──辿り着いた。


 ルイモンド島で最も標高の高い地点。それが、ネナと再会を約束した場所だった。

 リズカードはルイモンド島の頂で立ち尽くす。見渡す眺めは、記憶のものとは全く違ってしまっていた。いつまでも変わらないと思っていた空ですら、かつて見た青色よりもくすんで見える。それでも淡く漂う土と海の匂いだけが確かに、約束を交わしたあの日と今日この瞬間を繋いでいた。


 それなのに、そこには誰もいなかった。


 リズカードは嘆息する。何を今更、二百年を過ぎているのだから当たり前のことだろう。だが、どうしてか動揺が止まらない。この場所を訪れたことでようやく、千二百年という時間が実感を帯びたようで、底知れない失望感がじくりじくりと滴ってくる。


 いや……まだだ。


 リズカードは何か、ネナがここにいたことを証立てるような痕跡を探してみた。メッセージでも、符号でも、彼女の身につけていたアクセサリーでもいい、何か、何かを──。


 だが、そこには何もなかった。


 彼女の残り香すら感じなかった。


 リズカードは深く深く嘆息する。それもそうだ。二百年も待たせたのだ。

 そんなことはわかっていた、わかりきっていたはずなのに。

 それなのに、どうして──心の奥で期待してしまっていたのだろうか。


「……くっ」


 リズカードはその場で静かにうずくまった。

 結局、ここまでやってきたことに、まともな理由なんてない。

 ただ、こうせずにはいられなかったというだけだ。

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