第二章 15 リズカード・オーウェン
数時間後、とあるビルの地下駐車場にて、エンケット所属のローズレックとヘレナの待つ自動運転車のもとへ、リズカードを伴ったノイスがやってきた。
「そんで、彼らが私を『発見』したエンケット社員か」
「ノイス様、お待ちしておりました」
長らく車の前で待っていたらしいローズレックが、緊張した面持ちでノイスを車の中へ招き入れる。その様子にノイスは目元に皺を浮かべると、リズカードを見やった。
「この青年は素晴らしいな。私がどんな地位にいる人間だか思い出させてくれた」
「俺もちょうど今、そうだと思い出したところだ」
「ははは、君の思い上がりも私の地位くらい高いところにあるようだな」
ノイスは高笑いして車に乗り込んだ。リズカードは、車に戻ろうとするローズレックを引き留めると小声で告げる。
「報酬は早めに振り込んでくれると助かる。事務所のウォッシャーを買い換えたいんでな」
「……承知しました」
ローズレックは未だに信じられないというような引きつった顔で答えると、車に身を滑り込ませた。そのまま、ドアが閉まって流れるように走り出す。リズカードはテールランプが見えなくなるまでその場で見送ると、懐からスナウを取り出した。
『ぷへえ、ようやくシャバに出れた。あーあ、賢迅公の匂いが染みついちまったよ』
「お前とノイスを会話させたらどうなるか、少し興味があったんだがな」
『へへ、今頃は焼き鳥になってるかな』
「口が悪いという自覚はあるのか……」
そんな会話をして歩きながら、リズカードはスナウを出すついでに手に取ったナプキンに視線を向ける。そこには走り書きで連絡先が記してあった。
『うお……それ、ノイス公直通のホットラインか?』
スナウが反応して声をあげる。リズカードはうなずいた。
「ああ、ノイスとはまたひとつ約束を交わした。俺は引き続き、ヤグ周りのプロジェクトに探りを入れ、ノイスに報告を行う。今後のことを言うと、ベイハー魔法博士へのコンタクトがそれにあたるな」
『は? ノイスはもう興味がないんじゃなかったのか?』
地上部分に出ると、スナウが気を利かせて呼んだタクシーが待機していた。
乗り込みながら、リズカードは説明してやる。
「投資についていえばそうだが、ジンク・ウェブの用途については気になっているらしい。どの道、俺も調べてみるつもりだったし、それでノイスに恩を売れるなら売っておいて損はない。引き換えにいくつか頼みごとをしておいた」
『へえ、やり手だな。で、その頼みごとって?』
「ルイモンド島への渡航権とかな」
『うわ、ついに辿り着いちゃうのかよ。長かったな。いや、長い目で見たら長くはないのか?』
目覚めた日から、だいたい一ヶ月半程度か。千年単位で見れば誤差だが、約束に遅れ続けているという意識にあったリズカードにとっては、非常に長く感じた。
しかし、本番はまだまだこれからだということも認識している。ネナは更に長い二百年を過ごしたはずなのだ。彼女が今、どうなってしまっているのかを突き止め、受け入れ、そして──リズカード自身が、この世界でどうしていくかを考えていかなくてはならない。
『うわ、あぶねえ!』
突然、スナウの甲高い声で鳴いた。はっとリズカードが顔を上げた瞬間、タクシーのタイヤが軋みをあげ、急停車する。直後、ドン、と鈍い衝撃が走った。リズカードはシートを掴み、スナウはリズカードの首にしがみついて、有り余る慣性の力に耐えた。
車体が落ち着いた後も揺れは収まらなかった。リズカードが外を見ると、一人の男が車のボンネットにしがみついて、がむしゃらに暴れている。
『人身事故が発生しました。安全のため扉のロックは解除しますが、乗車中のお客様は警察、レスキューの到着を車内でお待ちください。繰り返します、人身事故──』
車内ではアラートが鳴り響き、コンシュルジュが注意を繰り返し読み上げている。
「人身事故には見えないが」
『お、おい、降りない方が良いんじゃないのか』
スナウの制止を無視して、リズカードは車を降りた。その気配に気づいた男は、自分も車から離れて早足に距離を詰めてくると大声で怒鳴った。
「俺はミクシアンだ! お前らと同じ人間だ! 同じ人間の腹から、生まれたんだ! この姿をその眼球に焼き付けろ!」
トロポスにミクシアンがいる? とリズカードは一瞬困惑したが、ゲートの方が騒々しいのに気づいて察した。どうやら抗議行動の中、運良くゲートを突破できたミクシアンらしい。
「落ち着け。お前は抗議の人間だろう。そんなことを言いにトロポスに入ってきたのか?」
リズカードは問うた。男は絶叫して答えた。
「俺に言いたいことなんてない! ただ、こうしていないといられないだけだ! お前たちに、この声をぶつけてやらないと気が済まないだけなんだ!」
その様子に肩にとまったスナウが怯えたように囁いてくる。
『は、話になんねえ……こんなやり方で『関係法』の阻止なんかできるのかよ?』
「話にならないのは、今のクインティト上層部も同じだ。どうせ何をしても変わらない、だとすれば……お前のその怒りは、ある程度は正当なのかも知れない」
同情的な言葉を向けると、男は目に力を込めた。
「うるせえ、温室育ちのオルガンがわかったような口をききやがって、よお!」
そして、やおら腕を振りかぶると、リズカードを殴りつけてくる。
「……弱い」
見切ったリズカードは首をわずかに動かしてそれを躱す。驚いたスナウが空に駆けた。男は空を切った自分の拳を不思議そうに見つめ、それからリズカードに目を向ける。その眼差しには何故か、安堵するような色が浮かんでいるように見えた。
「うぐっ」
と、突然、男は痙攣してその場に倒れ伏した。その向こう側には警備ボットが二台、全速力でこちらに向かってくるのが見える。男を見下ろすと、その背中に数十本のスタンニードルが刺さっていた。こんなに刺さっていては、数時間は動けないだろう。
ほどなくレスキュー・ドローンがリズカードのもとへやってきた。
『こちら、レスキューサービスです。お怪我はありませんか』
「……いや、怪我はないが急いでる、代わりのタクシーを手配してくれ」
『承知しました。当社はメンタルケアサービスも実施しております。ご希望でしたら近隣のメンタルケアクリニックで使用できるカウセリング・パスを発行しますが』
「心配ない」
リズカードが答えると、レスキュー・ドローンは「お困りのことがあったらいつでもご連絡を」と気遣うような定型句を告げて、遠い空へと去って行った。
ほどなくやってきたタクシーは、境壁を避けるルートでリズカードとスナウを運んだ。リズカードは壁の向こう側に隠れたミクシアンたちの群衆を思いながら、独り言のように言う。
「あのミクシアンたちは、多分、自分が何に怒っているのかわかっていないんだ」
『え、そんなことあるか? わかりきってるだろ、オルガンたちに対して怒ってんだよ』
「それにしては……弱すぎるように感じた」
『そりゃ、賢迅公に比べられたらみんな弱っちいけどよ』
もちろん、そういうことではない。ただ、あのミクシアンの男と相対した時に感じた「弱さ」の正体を、リズカードはどう表現すればいいかわからず、結局、沈黙に甘んじることになった。




