Kapitel.4
それからはひたすら勉強、といっても過言ではないのだが、彼女とはとても親密になったと思う。手を繋いだりとかそんな大胆なものではないけれど、廊下で会えば話をするし、アイコンタクトもよくした。
当然噂にもなったが僕も彼女もほとんど反応をしないので、噂は誇大してそのうち本人以外はみなそういうものだと思い始めた。
それでもそれ以外は何もなかった。ひたすら勉強した。強いていえば、だんだん僕の中に黒い感情が明らかに肥大していた。とはいえ僕にはそれの扱い方なんてわからないのだが。
彼女は合格の知らせを真っ先に教えてくれた。
彼女は難関といわれるある大学の医学部に行くことになった。正直、春の成績では夢のまた夢と思われるほどだったが、本当にがんばったと思う。
僕はといえば第一希望の経済学部になんとか合格できたので、居場所を失うこともなかった。
進路が決まってから、僕らは夏休みの最終日以来久しぶりに二人で会うことになり、彼女の希望で僕の家に来ることになった。
改めて会った彼女は、僕に抱きついて泣き出してしまった。
「もう、恥ずかしい・・・っ。ごめんね、泣いちゃって」
彼女は恥じらいながら涙を拭く。
「中江くんを見たら嬉しくなって、なんかいろいろ溢れちゃって・・・」
「いいんだよ」
僕は笑いながら頭を撫でる。夏休みを終えてから、これが癖になっていた。
しばらくして落ち着いたらしい彼女は、改めてじっくりと僕の部屋を見渡した。
「そんなじっくり見ないでよ、恥ずかしいだろ」
「いいじゃない、せっかくだもん」
僕も彼女の笑顔に弱いなあ、と実感する。
「よし、探そう」
「・・・・・・?」
彼女がふと呟いたのを、僕は理解できず聞き返す。「何を?」
「男の子の部屋に来て探すものといったら決まってるでしょ?」
「え」
実際は濁点がついたような声が出たと思う。
「え、え、ちょっと待ってお願い!」
慌てる僕を見て、彼女は大笑いした。
「あるの?」と、冷笑的に笑う彼女はどこか大人っぽい。なんて、そんなこと考えている場合ではなかった。
「ないよ、ないない。そもそも僕は何の話をしているのかがわからあああああああっ」
彼女が突然例の引き出しを開こうとしたので、僕は全力で阻止する。
僕の叫び声に、遠慮がちだった彼女の手は強引にから離された。
「あ・・・、いや、あの、」
彼女が驚きと申し訳ないという謝罪の気持ちに満ちたような顔をするので、僕は手振り身振りで説明しようとするが、勿論言葉にならないものは説明できるはずもない。
これは、覚悟を決めた方がいいかもしれない。そんな気持ちがよぎった。
僕はゆっくりと深呼吸をして、彼女に背を向けそっと引き出しを開き、それを取り出した。悩みに悩んで選んだそれは、外の空気を吸う瞬間を待ちかまえているみたいだった。
再び深呼吸をした僕は、彼女と向き直ってそれを差し出す。
「・・・あげる」
素っ気なくなってしまったけれど、ぱっと僕の顔を見た彼女は、徐々に笑みをこぼす。
彼女によって外の空気を吸ったそれ――紫色のチューリップのチャームのついたネックレスは、彼女の手の中で一層輝いた。
感嘆の声をあげる彼女を見て、僕はほっとした。
「え、これ、どうして・・・」
少し戸惑ったような彼女に僕は意を決して言った。
本当はもっとタイミングを見計らうつもりだったけれど、こうなってしまっては仕方がない。
「こんなんで悪いんだけど・・・、僕と、結婚を前提に付き合ってほしいんだ」
恥ずかしさのあまりきちんと声になったかさえわからない。けれど、彼女はみるみる赤くなって、涙が頬をつたった。
目を見開き息を呑んだ僕を見て、彼女は慌てて口を開いた。
「あっ、あの・・・、わたしで、よければぜひ・・・っ」
僕は反射的に彼女を引き寄せ抱きしめる。
一瞬で世界が輝いたようだった。
ずっと考えていた。
まだ付き合ってもないのに彼女と結婚したいと。これからずっと一緒にいたいと。彼女の隣で、彼女を支えられる存在になりたいと。
こんなことを考えるまでになるのはもちろん、まさかプレゼントまで用意できるなんて、一年前の僕には考えもしないことだけれど。
プレゼントを渡したと雅樹が知ったら、彼は笑うだろうな。
「これ、チューリップだよね」
僕の腕の中で――僕が彼女の後ろから抱きしめる状態で――彼女はネックレスを指して言った。無論、僕が望んでこういう状態をつくりだしたわけではなく、いや望んでなかったわけではないけれど、今更だが僕はつくづく思った。
彼女は想像以上に積極的だ。
「紫ってなんなの?」
「なにって?」
彼女の質問に僕は少し戸惑う。彼女の知識を少し甘くみていたかもしれない。
「あれ。狙ってたんじゃなかったの?チューリップの花言葉って〝愛〟でしょ?」
知ってたか。というのが僕の素直な感想だった。少し負けた気分だった。それでも詳しく知らないだけでもよかったかもしれない。
「あ、狙ってた?ごめんごめん、そんな落ち込むことじゃないでしょ」
つい気持ちが表れたらしく、彼女は笑いながら言う。
「別に落ち込んでないけどさ・・・」
「ねーえ。なんていう意味なの?」
僕が語尾を濁らせると、彼女は頬を膨らませた。それが余計に言いにくくさせているのはわかっていないようだ。
「いや、だから・・・・・・。いや、もういいだろ・・・」
「よくないーっ」
僕がつい顔を背けると、僕は彼女に両手で顔を掴まれた。案の定、自分の顔が赤くなっていくのを感じる。僕は慌てて外そうとしたけれど遅かった。
彼女は僕の顔を見て、ぷっと笑った。
「顔、赤いよー?」
「っ、気のせいだよ!」
「こんな近くで見えるのに?」と、彼女は更に顔を近づけてくる。
まて。まてまてまてまて。まって!
僕の限界を感じてくれたのか、彼女はぱっと両手を離してくれた。くすくすと彼女は笑うのを、僕はなんだか悔しく思って、僕は彼女を抱きしめ耳元で囁いた。
「え、永遠の愛・・・。紫の、チューリップの、花言葉」
散々な結果になった。慣れてないことはするべきではなかった。声が震えていた。
「・・・・・・」
彼女は無反応だった。とてつもない後悔が僕を襲う。
慌てながら彼女の顔を覗き込むと、彼女は顔が赤かった。
「・・・え」
僕の言葉に我に返った彼女は更に顔を真っ赤にさせて両手で顔を覆う。僕の心に光が灯った。
「あ・・・・・・。えっと、ごめん・・・?」
「な・・・っ、なんで謝るのよばか・・・・・・・・・」
ばかと言われてしまった。
「・・・・・・嬉しい!・・・よ?」と、彼女は僕をちらりと見る。
より正確に表すのなら、彼女は僕を上目づかいに見上げた。
今度は僕の番だった。
帰る彼女を送るついでに公園に寄って、二人でベンチに座って空を眺めた。空は夕焼け色に染まっていて、とてもきれいに見えた。
不意に服の裾が引っ張られた気がして見ると、彼女が俯きながら裾を握っている。僕は笑いながら彼女の頭を撫でた。
「どうした?」
「・・・・・・・・・」
彼女は不安そうに僕を見る。僕は意図がわからず首を傾げた。
「・・・夢みたいだなって」彼女は俯いたまま小さく言う。「こんな風になれるなんて、想像もできなかった」
しみじみと。切なげに、儚げに、悲しげに、遠慮がちに。
「うん、僕もだよ」
夢みたい。本当にその通りだ。
「わたし、今とっても幸せなの。・・・でも信じられなさすぎてこわい」
「・・・そんなに信じられない?」
「そりゃあ!だって!まさか中江くんがわたしなんかと!」
「それはこっちの科白なんだけどな・・・」
「もう・・・・・・。少しくらい自覚してよ」
「自覚?何を?」
彼女の言葉の意味がいまいち理解できないでいると、彼女は不満そうな顔で僕を見上げた。
「・・・中江くん、もてるんだよ」
「いや、そんなことないけ・・・」
「あるの」
彼女は僕の言葉を遮ってきっぱりと言い放った。目をぱちくりする僕をちらりと見て、彼女は再び俯いて続ける。
「天然っていうか、無関心っていうか、鈍感っていうか・・・。なんで気付かないのか不思議だよ」
溜息を吐きながら彼女は肩を竦める。
「今まで女子の黄色い声とか気にならなかった?」
「え、あれは僕に向けたものじゃないよ」
「・・・・・・・・・中江くんのそういうとこって、ある意味で卑怯だと思う」
「え」
僕は素っ頓狂な声を出す。
そういえばいつだっかに、雅樹にも言われた気がする。罪深いとかなんとか・・・。
彼女は困ったように肩を竦めた。
「まあ、そんなとこも、もてる要素の一つなんだろうけどさ」
「そうかな・・・」
「でも、うん。自覚してくれなきゃこわいよ。心配になるよ。信じられないよ」
「・・・・・・」
「あ・・・。いや、ごめんね」
我に返ったのか、彼女は申し訳なさそうに微笑む。
「言っとくけど。ずっと好きだったんだからな」
つい出た自分の言葉の意味を理解して、僕は熱くなった。
「・・・・・・ずっと?」
期待を含んだ彼女の瞳に見つめられ、逃げられないと悟った。こうなったら深く考えちゃだめだ。
「・・・・・・一目惚れ、じゃないけど。気付いたら目で追ってたし」
言えば言うほど恥ずかしくなるような気がして、僕は空を仰いだ。
「・・・ほんと?」
声があまりに弱々しかったので隣を見ると、彼女は今にも泣きそうに僕を見上げていた。
「これ、夢、じゃない・・・よね?」
彼女の唇が震える。
「・・・・・・夢じゃないよ」
僕はそう言って、彼女のそれに僕のを重ねた。重ねてしまった。




