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Kapitel.3

 雅樹の言うとおり彼女はあれから毎日のように勉強しに来ては、僕の隣に座るようになった。とはいえ毎回僕の方が早く来るというわけでもないので、そういうときは僕が彼女の隣に座るし、最後の授業が一緒であれば図書室へ一緒に行くまでになっていた。

 さすがに僕も彼女も互いに楽しく会話できるようになって、ついには休日に会って勉強したりするようにもなった。

 その間に、たくさん話をした。

 彼女は将来看護師になりたいだとか、甘いものが大好物だとか、高いところが好きで富士山に登ってみたいだとか、他愛もないこともたくさん話した。

 楽しくて、幸せで、こんな時間がずっと続けばいいのに、とどれだけ思っただろう。

 しかし、夏休みを前に模試の結果が返ってきて、この状況は一変した。

 簡潔に言えば、とても下がった。過去最低のレベルで下がった。

 僕の母親は学歴重視で、国公立以外は大学ではないと言い張るような人だ。今回の模試を見て怒るのは当然。

 国公立大学以外なら学費は全て自分で払わなければならない。それだけではない。僕は帰る場所を失ってしまう。そういう約束だった。

 勉強を怠ったつもりはなかった。しかし、彼女に勉強を教えたり、一緒に出かけたりして、多少は自分の勉強が疎かになっていたのも事実だった。

 雅樹が忠告したのはこのことだったのかと今更ながら実感する。雅樹は僕の状況を知っていたので、こうなることも容易に予想できたのだろう。

 現実へと突き落とされた僕は、勉強と向かい合うしかなかった。


「・・・え?」

 僕の言葉を聞いて彼女は眼を見開いた。

 しばらく一緒に残れない。一緒に図書館へ行く途中、僕はそう言ったのだった。

「な、なんで・・・?何かあったの?」

「いや、なんでもないんだけど、ちょっと・・・・・・」

 僕は彼女の瞳を見ることなく、俯いたままぼそぼそと言う。

 正直、母のことも今僕が立たされている状況も、言いたくはなかった。今時こんな家庭は珍しいと思う。それでも母のことは嫌いじゃないし、同情の目で見られるのはごめんだ。

 あまりに自分勝手だということはわかっていた。しかし、このまま自分を甘やかすことはできない。僕は彼女と一緒に勉強なんてできないのだと悟り始めていた。

「・・・っ」

 何か言おうと口を開いた彼女も、途中で言葉を飲み込む。

「・・・・・・・・・何してんの、お前ら」

 突然聞こえてきた聞き慣れた声を探すと、そこには雅樹が冷めた目でこちらを、僕を見ていた。僕は心臓を掴まれた気がした。

 雅樹には模試の結果は言っていない。言えるはずがない。

「す、諏佐くん・・・」彼女は怯えた声で呟く。

 今にも泣きそうな彼女をちらりと見て、雅樹は真っ直ぐ僕の方に歩いてきた。

「お前、何してんの?」

 声は普段とそんな変わりないが、彼女を背にした雅樹は僕を睨んでいた。

「・・・別に、雅樹には・・・・・・」

 関係ない、と言おうとしたが、僕にはそれができなかった。

「・・・・・・まさか、模試の結果悪かったのか?」

 雅樹に言われ僕は思わず息を呑んだ。気付かれてはいけない。そう思ったが、その迷いが答えであった。

「模試って・・・この前の?」

 彼女がそっと口を開く。はっとして僕は雅樹を連れ出そうとしたが手遅れだった。

「こいつさ、国公立に行かないと家から追い出されんだよ」

「雅樹!」

 久々に大声が出た。案の定彼女は肩を震わせたが、雅樹はこれっぽっちも気にせず彼女に向かって続ける。

「親がそう言う人らしくて。だから模試の結果が悪いと・・・」

「おい雅樹、ふざけんな」

 僕は雅樹の肩を掴むが、それを阻止したのは彼女だった。

「どういうこと?・・・まさか、やっぱりわたしが邪魔してた?わたしが中江くんの勉強の・・・・・・」

「違うんだ。そういうわけじゃ・・・、」

「何が違うんだよ。ちゃんと言っとけ」

 そして雅樹は、僕にしか聞こえないように耳元で言う。「お前が本当に矢崎のことが好きならな」

 とっさに言い返せずに俯いた僕に、彼女は唇を噛んで見上げてきた。

「・・・全部本当なの?その、国公立じゃなきゃ・・・・・・」

 僕は大きく溜息を吐いた。雅樹のこういうとこは恨みたくなる。

「・・・・・・そうだよ」

 僕の返答にショックを受けたらしい彼女は、口元を両手で覆い少し後退した。

「んで、勉強に集中したいと?だからしばらく一緒にいられないとか、そんなとこか?」

 雅樹の質問に僕は項垂れるように無言で頷く。

「・・・お前なあ、いくらなんでもそれはな・・・」

「中江くんごめんね」

 彼女は雅樹を遮って言った。

 まさか自分が遮られるとは思ってなかったらしい雅樹は、驚いたように彼女を見る。

「何も知らなくて・・・。ごめんなさい」

 頭を下げる彼女に、僕は勿論、雅樹でさえ戸惑ったようだった。

「でも」と、彼女は頭をあげて続ける。「だったらわたしも一緒に頑張る」

「えっ・・・」

「勉強に集中したいんでしょ?だったら席を空ければいいのよ。時間決めて、一緒にやろう?わからないところは先生に訊きに行けばいいんだから、問題ないよ。ね?」

 彼女がここまではっきりと意見を提示してくるのは初めてで、僕も雅樹も瞬きを繰り返す。しかし雅樹はすぐに関心したように笑った。

 僕は心が熱くなるのを感じて、唇を噛んで想いを抑えた。

「ぁ・・・。・・・・・・ありがと」

 僕が言うと、彼女は安心したように顔を歪ませる。そんな彼女を見て、僕の口は勝手に動いた。

「でも・・・、わからないところは、僕に訊いてほしい」

 自分でもこんなこと言うなんて思ってもいなかった。けれど、彼女には頼られたかったのだ。


 それから僕は自分の世界で勉強すると決めた。

 図書室では閉館まで彼女とは別の席で勉強し、わからないところは授業が終わってすぐに訊くということになった。

 彼女と話す機会は減ったけど、それでも不思議と彼女と繋がっている気分だった。

 夏休みに入っても僕たちは毎日のように図書室に通った。隣にいるわけではないけれど、図書室へ来ては軽く挨拶をして、閉館まで籠もる。

 僕たちの夏休みはそれだけだった。

 けれど最終日だけ、二人で出かけた。


「今日で夏休みも終わりか・・・」

 彼女がパフェを食べながら少し寂しそうに言う。

 夏休みの九割以上を図書室で過ごした僕たちは、彼女の希望でスイーツ巡りをすることになった。夏休みの間お金を使うことなんてなかったために、普段なら食べないような豪華なものが食べたくなったらしい。

 瞳を輝かせて幸せそうに頬張る彼女を見ているととても微笑ましくて、最初はじっと眺めていたのだが、さすがにそれは恥ずかしいらしく彼女は顔を赤らめて頬を膨らませた。以来じっと眺めたりはしないが、それでも彼女には表現できないほどの魅力があって、僕の視線を幾度となく奪った。

 僕は完全に奢るつもりだったのに、彼女は頑なに譲らなかった。少し寂しくなったなど誰かに言うものか。

「ここまで必死に勉強することになるなんて思ってなかったなあ」

「僕もだよ。でも楽しかった」

「わたしも!あんなに籠もってやってたのに、苦じゃなかったからびっくりよ」

「考えてみればひたすらやってたよな。夏休みって感じがしなかった」

 こんな夏休みを過ごすことになるとは思ってなかったけど、彼女とこんな風に一緒にいられたのだから悪いことじゃない。

「・・・。さすがにクレープとケーキのあとのパフェは無茶だったかなあ」

 彼女がパフェを食べる手を止め、悔しそうに呟いた。

「しかも、ケーキだって三つ食べただろ?」と、僕は笑う。

 僕はそこまで甘いのは得意ではないのでケーキを一つだけ食べて終えたのだが、彼女の甘党は僕の想像を越えていた。

「でも美味しかったでしょ?甘いもの食べてるときって本当に幸せ」

 彼女の言葉で僕はあのカップルみたいな出来事を思い出し、赤面した。自分が彼女にするならまだともかく、まさかされることになるとは当然考えてもいなかった。

「中江くん、これ食べる?」

 僕が過去から戻ってくると、彼女は困ったように笑いながら言った。僕はその言葉の意味を理解するのに少しの時間を要する。

 僕はじっと食べかけのパフェを見る。いや、彼女の持つスプーンを見る。それはどういうことかときちんと理解する。頭の容量は既にいっぱいだった。

 そんな僕を察したのか、いや察してはいないだろうが、何を考えたのか彼女は意地悪そうに笑うと、

「わかった!またやってあげるよ」

 僕には彼女がなぜそんな楽しそうにパフェを掬ったスプーンを僕に差し出しているのかがいまいちわからなかった。

「はい、あーん」

 彼女が身を乗り出して―。


 幸せとはこういうことをいうのだと僕が幸せを噛みしめている間に夏休みは終わった。

 僕らは別れ際、公園のぶらんこに揺られながら夜空を眺めていた。

「明日からはまた勉強の日々だね」

「だな・・・」

「がんばろう!んで、第一志望合格!」

 彼女が力強く拳を握って言う。僕は立ち上がって彼女の頭を撫でた。

「うん、がんばろう」

 彼女は驚いたように僕を見るが、すぐに照れながら笑った。


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