32話 日和が振ったなら、私が好きでもいいよね
日和が出ていった教室で、美緒は扉を見つめていた。
追うべきか迷った。
だが今ここで俺が追えば、美緒を一人にする。残れば、日和を一人で帰すことになる。
どちらを選んでも、誰かを傷つける。
「日和のところへ行く?」
美緒が先に聞いた。
「行く。高瀬も一緒に来い」
「嫌」
「今すぐ仲直りしろとは言わない。でも、一人で帰っていい状態にも見えない」
「相沢君が残ってくれればいいよ」
「それはできない」
美緒の顔が歪む。
「やっぱり日和なんだ」
「どちらが上か決めてるんじゃない」
「相沢君は、ずっとそう言うよね。でも選ぶときは、いつも日和を選ぶ」
机の間を回り、美緒がこちらへ来る。
「幼馴染だから?」
「それだけじゃない」
「十年あるから?」
「長さだけでもない」
「じゃあ、何で?」
答えようとして、言葉が止まった。
日和を好きな理由を、今の俺はまだ十分に言葉にできない。
次の告白では現在の日和を理由にすると決めた。それでも、気持ちの形をすべて説明できるところまでは来ていなかった。
美緒が俺の沈黙を見逃さない。
「分からないんでしょ」
「分からない部分もある」
「だったら、日和じゃなくてもいいかもしれない」
「そうはならない」
「どうして?」
「説明できないことと、誰でもいいことは違う」
美緒は首を横へ振った。
「日和は相沢君を振った。理由も言わないで、初対面のふりまでさせた。今だって、付き合うって言ってない」
「それは俺と日和の問題だ」
「それで、苦しんでてもいいの!?」
美緒の声が大きくなる。
「私なら振らない。相沢君が好きって言ってくれたら、理由なんて聞かない。昔の誰を見てても、今私の隣にいてくれるなら、それでいい」
胸の奥が冷える。
日和が受け入れられなかったものを、美緒はすべて受け入れると言う。
けれど、それは俺を見ている言葉ではなかった。
「高瀬は、俺が誰を見ててもいいのか」
「いつか私だけを見るようにする」
「それは、今の俺を好きなんじゃない」
「好きだよ!」
美緒が俺の腕をつかむ。
「朝、何時に家を出るか知ってる。好きなパンも、猫が好きなことも、数学の宿題を先にすることも知ってる。日和が知らないことだって、もうあるよ」
「それで俺の全部を知ったことにはならない」
「もっと知る。何でも覚える」
「俺が教えたくないことも?」
美緒の指に力が入る。
「教えたくなるまで待つ」
「待てなくて、日和の端末を触っただろ」
美緒の顔から血の気が引く。
「一回だけだよ」
「一回ならいいわけじゃない」
「分かってる。でも、あれがなかったら昨日は二人で話せなかった」
「その考え方をやめろ」
腕を引き、手を外す。
美緒は空になった自分の手を見る。
「相沢君に嫌われるの、怖い」
「なら、今は距離を取ったほうがいい」
「嫌だ」
「高瀬」
「距離を取ったら、その間に日和のところへ行くでしょ」
「行くよ。日和が好きだから」
はっきり言うと、美緒の目に涙が溜まった。
「そんなに日和がいい?」
「高瀬と比べて決めたんじゃない」
「私は比べてる」
美緒は涙を拭わない。
「日和より相沢君を大事にできる。白石先輩より近くにいられる。相沢君が笑ってほしいなら笑うし、静かにしてほしいなら黙る。何でもする」
「俺のために高瀬をなくすな」
「相沢君がいるなら、それでいい」
「俺はよくない」
美緒の呼吸が止まった。
「俺が見つけた高瀬は、何でも笑って引き受けて、自分が何を嫌がってるか言えなくなってた。今度は俺のために、同じことをしようとしてる」
「違う。今度は私がしたいの」
「嫌われないために自分を変えるなら、同じだ」
美緒は首を振り続ける。
「違う。違うよ。だって、私は――」
言葉が詰まる。
俺は続きを待った。
美緒は一度目を閉じ、涙を落とした。
「相沢君が好き」
今まで何度も笑って誤魔化した言葉を、ようやく口にした。
「好き。日和より、私を選んで」
教室には、俺たち以外の音がなかった。
今度は、曖昧に受け取ることができない。




