30話 日和のふりをして、返事をした
自販機から教室の前へ戻ったところで、日和から返事が来た。
『今日は先生と話があるから、先に帰って。美緒のことは明日話そう』
終わったら話す約束だったのに、急な返事だった。
俺が廊下を離れている間に、端末を取りに戻ったのだろう。
『分かった』
それだけ返し、階段へ向かう。
背後で教室の扉が開いた。
「相沢君、帰るの?」
美緒が顔を出す。
「日和が先に帰っていいって」
「そっか」
少しも驚かなかった。
「高瀬は、もう話さなくていいのか?」
「日和、すぐまた職員室へ戻ったから、今日は終わり」
「何を話した?」
「相沢君のこと」
美緒は教室へ戻り、畳みかけの旗を持ち上げる。
「これ、資料室へ運ばないといけないんだ。一人だと引きずりそうだから、手伝ってくれる?」
「日和が戻ってからでいいだろ」
「先生との話、長いかもしれないよ。今日中に戻してって言われてる」
旗は支柱から外しても大きい。
作業そのものは必要だった。
「資料室までだぞ」
「うん。ありがとう」
美緒は旗の片側を俺へ渡した。
◇
二人で廊下を歩く。
美緒はいつもよりゆっくり進んだ。角を曲がるたび、旗の端を持ち直す。
「高瀬。話す前より元気になってないか?」
「日和に言いたいこと、少し言えたから」
「仲直りした?」
「してないよ」
答えは明るい。
「日和は、私が相沢君を好きだって決めつけてる」
「違うのか?」
「相沢君は、どう思う?」
質問で返される。
「高瀬の気持ちを、俺が決めることじゃない」
「白石先輩にも同じこと言った?」
足が止まりかけた。
「どうして先輩が出てくる」
「やっぱり、何かあったんだ」
「試すような聞き方をするな」
「ごめん」
美緒はすぐ謝った。
「日和も白石先輩も、私の知らないところで相沢君と話してるから。聞かないと、また何も知らないままになる」
「聞き方の問題だ」
「普通に聞いたら、教えてくれる?」
「俺一人の話なら」
「じゃあ、今、好きな人いる?」
廊下の真ん中で、質問だけがまっすぐ飛んできた。
「いる」
「日和?」
「そうだ」
美緒の歩みが止まる。
旗が間へ垂れた。
「振られたのに?」
「振られたら、すぐ嫌いになるわけじゃない」
「日和が、もう付き合わないって言っても?」
「それでも、今の気持ちは変わらない」
「今は、なんだ」
美緒が小さく呟く。
「何?」
「ずっとじゃないなら、変わることもあるよね」
「その可能性を待つつもりか?」
「駄目?」
美緒は笑っていなかった。
「高瀬が誰を好きになるかは、高瀬が決めればいい。でも、俺が日和を好きだと知ってるなら、その答えも見てくれ」
「見てるよ。ずっと見てる」
返事が早すぎた。
「日和を見る相沢君も、白石先輩を気にする相沢君も。私といるときより、二人のことを考えてる時間のほうが長い」
「それを数えてるのか?」
「数えたくなくても分かるの」
美緒は旗を強く握った。
「相沢君に見つけてもらってから、相沢君が誰を見てるかばかり気になる。止めたいのに、止まらない」
初めて、自分の変化を怖がる声だった。
「日和と話したのは、そのことか?」
「うん。日和は、私を止めたいって」
「俺も、今の高瀬は心配だ」
「心配してくれるなら、そばにいて」
美緒が旗を離し、俺の袖をつかむ。
「それはできない」
「どうして?」
「俺がそばにいれば落ち着くんじゃなくて、もっと俺だけになるからだ」
美緒の指が震えた。
それでも、すぐには離れない。
「相沢君は、私が苦しくても日和を選ぶんだ」
「高瀬を助けることと、恋人になることは同じじゃない」
「まだ告白してないよ」
「なら、今のうちに言う。俺を手に入れれば全部よくなると思うな」
言葉がきつくなった。
美緒は傷ついた顔をしたあと、袖から手を離す。
「資料室、行こう。旗、汚れちゃう」
話を終わらせるように、再び端を持った。
◇
旗を資料室へ戻し、昇降口へ向かった。
美緒は帰り道へ誘わなかった。
「今日は、ここで帰るね」
「ああ」
「手伝ってくれて、ありがとう」
いつもの笑顔だった。
ただ、俺が靴を履き替えるまで、その場から動かなかった。
校門を出たところで、スマートフォンが震える。
日和からだった。
『どこ? 話、終わったよ。昇降口で待ってる』
足を止める。
『先に帰ってって言っただろ』
すぐに電話がかかってきた。
「直哉、何の話?」
日和の声は、本当に分かっていなかった。
「メッセージ。先生と話すから先に帰れって」
「送ってないよ」
「日和の端末から来てる」
「私、職員室へ行ってから、話が終わるまで教室には戻ってない。端末も置いたままだった」
二人とも黙った。
あのとき、教室に残っていたのは美緒だけだった。
「直哉。そのメッセージ、消さないで」
日和の声から明るさが消える。
「明日、美緒に聞く」
「俺も行く」
「うん。今度は三人で話す」
通話を切り、振り返る。
校門の向こうに、美緒の姿はもうなかった。




