26話 「初めまして」を、終わらせる
数日後の放課後、日和が俺の机を指で叩いた。
「相沢君、ちょっと付き合って」
「どこに?」
「最初に話したところ」
日和は鞄を持ち、返事を待たずに教室を出る。
向かったのは、屋上へ続く階段だった。
転校初日、ここで日和は俺へ言った。
『もう一度、初めましてから始めよう』
あのときと同じ場所で、日和が一段上へ立つ。
「話す前に、俺から謝ることがある」
「何?」
「この前、白石先輩に琴葉のことを話した。昔の日和の振る舞いが、姉から借りたものだったことも」
日和の眉が上がる。
「私に聞かずに?」
「ごめん。先輩から離れようとして、理由を話さないまま傷つけた。説明するには、隠せなかった」
「……白石先輩は?」
「怒られた。でも、ちゃんと話せた」
日和は頬を膨らませたあと、長く息を吐いた。
「次からは先に言って。お姉ちゃんは私だけの人じゃないけど、家族の話でもあるんだから」
「分かった」
「今回は、白石先輩のことだから許します」
日和はそう言うと、教室のある階を見下ろした。
「白石先輩には本当のことを話して、美緒には初対面だって嘘をついたまま。それも、もう終わらせないとね」
「お姉ちゃんのことを話したから、これも今のうちに言っておこうと思って」
「初めましての理由?」
「うん」
日和は手すりへ片手を置いた。
「私ね、転校する話は前から決まってたの。お母さんの仕事の都合で、行き先が二つあった」
「二つ?」
「直哉がこの町へ行くって聞いて、私がこっちを選んだ」
予想していなかった答えに、言葉が出ない。
「俺がいたから来たのか?」
「そうだよ」
日和は照れた顔を隠さず、まっすぐ答えた。
「告白を断ったのに?」
「断ったから」
「分からない」
「私だって、直哉と離れたままは嫌だった。でも前と同じ私で会ったら、また何も変わらないと思ったの」
日和が自分の頬を両手で軽く挟む。
「お姉ちゃんみたいに笑う私じゃなくて、うるさくて、勝手に走って、すぐ顔に出る私を最初から見てほしかった」
姉の真似ではない笑い方も、隠しきれない照れた顔も、もっと見たい。
「それで、初めまして?」
「うん。過去を消したかったんじゃないよ。借りてたものを一度置いて、篠宮日和として会い直したかった」
初日に聞いた言葉の意味が、ようやく形になる。
私を見てほしい。
あれは十年を否定する言葉ではなかった。
十年だけで自分を決めないでほしいという願いだった。
「じゃあ、どうして俺が来ることを黙ってた?」
「教えたら、直哉は準備してくるでしょ」
「何の準備だよ」
「私に会っても驚かない準備。あの顔、ちょっと見たかったから」
日和が悪びれずに笑う。
「性格悪いな」
「今の私なので」
胸を張るところまで含めて、日和らしかった。
「でも、初対面のふりは思ったよりつらかった」
笑顔が少しだけ弱くなる。
「直哉が名前を呼んでくれたのに、知らない人みたいにするの、初日でもうやめたくなった。美緒と直哉が近づいたら腹が立つし、白石先輩のことを話すと気になるし」
「それは知ってる」
「知られてた」
日和が額を押さえる。
「だから、もう終わりにする」
「何を?」
「初対面のふり」
顔を上げた日和は、迷っていなかった。
「美緒にも、ちゃんと謝る。教室でも直哉って呼ぶ」
「いきなり呼んだら騒がれるぞ」
「そのときは直哉も一緒に怒られてね」
「何で俺まで」
「幼馴染だから」
日和が階段を下り、俺の隣へ並ぶ。
「もう、隠さなくていい幼馴染」
◇
翌朝、教室へ入ると、美緒と日和が話していた。
俺に気づいた日和が、椅子から立ち上がる。
「おはよう、直哉」
近くにいた数人が、同時にこちらを見た。
美緒は口を開けたまま固まっている。
「……今、何て呼んだ?」
日和は逃げずに、美緒へ向き直った。
「直哉。私の幼馴染だから」
教室の時間が、一瞬だけ止まった。




