20話 あの病室には、三人いた
目を開けても、何も見えなかった。
瞼の上を覆う布が重く、薬品の匂いが鼻に残っている。
指先へ、薄い紙が触れた。
『ここを三角にするの。私が手を重ねるから、一緒に折ろう』
穏やかな声が、すぐ近くでする。
小さな手に、少しだけ大きな手が重なった。
『日和、次の紙を取ってくれる?』
『うん! 直哉、今度は赤にしよ。赤のほうが絶対強いから』
もう一人の声が、ベッドの反対側から飛んでくる。
『鳥に強い色なんてあるの?』
『あるよ。私が今決めたもん』
二人が笑った。
どちらの声も知っているはずなのに、顔だけが見えない。
俺の手を包んでいるのは、どちらだ。
そう聞こうとしたところで、目が覚めた。
◇
窓の外はまだ暗かった。
机の上には、昨夜出したままの古い折り紙の鳥がある。
夢の中では、誰かが日和の名前を呼んでいた。
つまり、俺の手へ重なっていた声は日和ではない。
頭では分かるのに、思い出そうとすると、そこだけ音が遠くなる。
鳥を持って部屋を出ると、台所には母さんがいた。
早起きしたらしく、湯を沸かしながら弁当の準備をしている。
「母さん。俺が目の手術をしたときのこと、覚えてる?」
包丁の音が止まった。
「急にどうしたの?」
「これを見つけた」
折り紙の鳥をテーブルへ置く。
母さんは手を拭いてから、潰れかけた翼へそっと触れた。
「まだ持ってたのね」
「これ、誰と折ったけ?」
母さんはすぐには答えず、鳥と俺を交互に見た。
「日和だけじゃなかったよな」
「ええ。日和ちゃんも、琴葉ちゃんも、何度も来てくれたわ」
その名前を聞いた途端、胸の奥で何かがつながった。
篠宮琴葉。
日和より一つ年上だった姉。俺も幼い頃は、二人と一緒に遊んでいた。
忘れていたわけではない。
琴葉が七歳で亡くなったことも、その葬儀で日和が一度も泣かなかったことも覚えている。
ただ、目の手術をした頃の記憶から、琴葉だけが抜け落ちていた。
「入院してたときの写真、残ってない?」
「アルバムなら、引っ越しの箱に入ってると思う。ちょっと待ってて」
母さんが廊下の収納へ向かう。
しばらくして、角の擦れた青いアルバムを抱えて戻ってきた。
何枚かページをめくり、手を止める。
「これ。手術の前の日だったはずよ」
写真の中で、六歳の俺は目を白い布で覆われ、病室のベッドへ座っていた。
右側に日和がいる。色紙を両腕で抱え、何かを言っている途中らしく、口を大きく開けていた。
左側には琴葉がいた。
俺の手元をのぞき込み、折りかけの紙へ指を添えている。
「二人とも、毎回一緒だった?」
「そうじゃない日もあったと思う。私も全部は覚えてないな」
母さんが申し訳なさそうに眉を下げる。
「当時のことを書いたノートがあったはずなの。手術の説明や、その日の様子を忘れないようにしてたから」
「探してもらえる?」
「もちろん」
写真へ目を戻す。
琴葉の顔を見れば、三人で遊んでいた日々はいくつも思い出せた。
それなのに、病室で聞いた声の相手だけは…。
◇
登校しても、隣の日和へすぐには声をかけられなかった。
「相沢君、おはよう」
いつもどおり明るく笑いかけられる。
「おはよう」
「寝不足?」
「少し」
「昨日、体育祭だったのに夜更かししたの?」
日和は呆れながら、机の横へ鞄を掛ける。
夢で聞いた幼い声と、今の話し方が重なった。
赤い鳥が一番強いと、勝手に決めた声。
あれは間違いなく日和だった。
なら、俺の手を包んだのは誰だったのか。
直接聞こうとして、教室に人が増えていることへ気づいた。
今ここで出す話ではない。
スマートフォンを開き、日和へ短いメッセージを送る。
『放課後、琴葉のことで話がしたい』
隣で、日和の指が止まった。
画面を見たまま、しばらく動かない。
やがて返ってきたのは、一言だけだった。
『分かった。うちに来て』




