17話 見てほしかったのは
体育祭前日の朝、教室へ入ると、美緒はすでにクラス旗を広げていた。
その隣では、日和が眠そうな顔で机へ頬杖をついている。
「本当に来たのか」
「来ます。約束に途中参加したので」
「途中参加って自覚はあるんだ」
美緒が旗の向こうから笑う。
俺は鞄を置き、二人のところへ行った。
絵の具は乾いている。紺色の布の中央で、翼を広げた白い鳥が朝日に浮かんでいた。
「どう?」
美緒が尋ねる。
「乾いてるな」
「感想がそこ?」
「ちゃんと鳥に見える」
「最初から鳥だよ」
美緒が口を尖らせる。
日和は欠伸を噛み殺しながら、俺の肩を指でつついた。
「相沢君、作った人が聞きたい答えを考えて」
「相沢君に教えたら意味ないじゃん」
「放っておくと、一生乾き具合しか見ないよ」
二人に責められ、もう一度旗を見る。
下書きの段階では、白い鳥の翼は左右同じ高さだった。今は右の翼だけが少し上がり、風へ向かって飛び出すように見える。
「最初より、飛んでる感じがする」
美緒の顔から不満が消えた。
「どこでそう思った?」
「右の翼。直しただろ」
「分かるの?」
「昨日、そこだけ線が残ってた」
美緒が旗を押さえていた手を離す。
「ちゃんと見てたんだ」
「一緒に塗ったからな」
「うん」
たったそれだけで、美緒は鳥より嬉しそうに笑った。
日和が旗を挟んだ向こうから、俺と美緒を見比べる。
「私も、放送の練習をしたんだけどなあ」
「昨日聞いた。先生の名前を二回間違えてた」
「そこじゃなくて、声のほう」
「聞きやすかったよ」
「雑」
日和が旗の端を持ち上げる。
「明日は絶対、もっとちゃんと聞いてもらうから」
「仕事しながらな」
「美緒の旗はずっと見えるのに、私の放送は仕事のついで?」
「旗と張り合うなよ」
「旗じゃないもん」
日和は美緒を見た。
美緒も、笑ったまま視線を返す。
二人の間で、俺の知らない会話が終わったように見えた。
◇
放課後は、明日の競技順と担当を最後に確認した。
航平は用具係として朝から倉庫へ行く。日和は開会式から午前の終わりまで放送席。俺は応援席の設営と、競技の合間に用具を運ぶ。
美緒はクラス旗を管理しながら、午後の二年生混合リレーへ出ることになっていた。
「高瀬、リレーに出るのか」
「今さら?」
「旗の仕事ばかりしてたから知らなかった」
美緒は机から競技表を取り、俺の前へ広げる。
「十二時四十分。相沢君の綱引きより前」
「俺の時間まで覚えてるのか」
「一時十分でしょ」
今度は綱引きの開始時間まで即答された。
「競技表を見ただけだよ」
「森川の種目は?」
「知らない」
近くで段ボールを運んでいた航平が振り返る。
「高瀬、そこは一応考えるふりをしろよ」
「森川君は一日中、綱を数えてるんじゃないの?」
「俺を綱から解放してくれ」
教室に笑いが起きる。
美緒も笑ったが、競技表の俺の名前へ指を置いたままだった。
「相沢君。私のリレー、見てくれる?」
「応援席に戻れれば」
「戻ってきて」
重ねる声が、思ったより強かった。
「旗の前にいるから。見つけやすいよ」
「分かった。間に合うようにする」
「約束ね」
美緒が競技表を畳む。
その横から、日和が自分の放送原稿を差し込んできた。
「私との約束が先です」
「何の話だよ」
「放送、ちゃんと聞くって約束」
「いつした?」
「今します」
日和が俺の手へ原稿を押しつける。
「白石先輩のリレーだけ見て、私の声を聞き逃したら怒るから」
「高瀬のリレーも増えたぞ」
「増やさなくていいの」
「日和が決めることじゃないでしょ」
美緒は明るい口調で言った。
日和もすぐに言い返す。
「じゃあ相沢君が決めればいいよ。誰を見るか」
二人の視線が、同時にこちらへ向いた。
「全部見る。係の仕事に間に合う範囲で」
「欲張り」
日和が呆れる。
美緒は、俺の答えに満足したようだった。
「じゃあ、一番に見つけてもらう」
「旗があるからな」
「……やっぱり分かってない」
「何が?」
美緒は答えず、競技表で俺の肩を軽く叩いた。
「明日になったら、分かるかもね」




