14話 好きになる前のほうが、近かった
翌日の昼休み、美緒は俺の机へ弁当箱を持ってきた。
いつもなら机の横へ椅子を寄せるのに、今日は日和を先に座らせ、自分は向かいの席へ回る。
「相沢君、購買行かなかったの?」
「朝、パンを買ってきた」
「焼きそばパンと牛乳?」
袋から出す前に当てられ、手が止まる。
「何で分かった?」
「この前も、それだったから」
美緒は何でもないことのように箸を割った。
「一回で覚えるのか」
「相沢君が分かりやすいだけだよ」
「それ、相沢君の真似?」
日和がすぐに口を挟む。
「何のこと?」
「美緒が無理してるの、分かりやすかったって言ったんでしょ」
美緒の箸が止まった。
「日和、聞いたの?」
「相沢君からは何も。美緒の顔を見たら分かっただけ」
日和は笑っている。それでも、美緒を見つめる目は真剣だった。
美緒も笑い返し、卵焼きを一つ持ち上げる。
「じゃあ、相沢君。これあげる」
「急だな」
「牛乳と焼きそばパンだけじゃ、午後にお腹空くでしょ」
箸がこちらへ伸びてくる。
以前なら、そのまま俺のパンの袋へ放り込んでいたはずだ。だが今日は、俺の手前まで来たところで止まった。
「……やっぱり、お弁当の蓋出して」
「ここでいいだろ」
「駄目。落としたら嫌だから」
蓋を差し出すと、美緒は卵焼きを端へ置いた。指先が触れないよう、妙に慎重だった。
「高瀬、やっぱり昨日から変じゃないか?」
「変じゃないよ」
「前はもっと雑だった」
「失礼だなあ」
笑いながら箸を引く。けれど頬が少し赤い。
日和が自分の弁当から唐揚げをつまみ、俺の蓋へ置いた。
「じゃあ、私も」
「日和まで何だよ」
「栄養が足りないクラスメイトへ、隣の席からのお世話です」
「余計なお世話だ」
「親切なクラスメイトでしょ?」
日和は平然と言い切る。
美緒が、俺の蓋に並んだ卵焼きと唐揚げを見る。
「日和って、相沢君の好きなおかずも分かるの?」
「大体はね」
「……へえ。そこまで分かるんだ」
感心したような言葉なのに、声は少しも弾んでいなかった。
次の瞬間には、美緒は航平の弁当を見て「野菜が一個もない」と笑っていた。いつもの美緒へ戻ったように見える。
ただ、俺が卵焼きを食べるところだけは、横目で確かめていた。
◇
放課後、クラス旗の仕上げを確認することになった。
輪郭からはみ出した白い絵の具を紺色で塗り直す。日和と航平は体育祭係の打ち合わせへ呼ばれ、教室には俺と美緒が残った。
「そこ、あと少し右」
美緒が布の反対側から指示を出す。
「右って、俺から見てか?」
「相沢君から見て。二センチくらい」
筆を動かすと、美緒が布の端を持ち上げて確かめた。
「うん。相沢君、言えばちゃんとできるね」
「褒め方が子供相手なんだよ」
「でも、一人でやるより早い」
美緒は旗の端を押さえたまま、俺の手元を見る。
昨日の買い物では半歩離れていたのに、作業になると距離は元へ戻っていた。肩が触れそうになり、美緒が先に身を引く。
「ごめん」
「別にぶつかってない」
「そういう問題じゃないの」
美緒が自分の頬を両手で押さえる。
「前は、もっと近くても平気だったのになあ」
「何が変わったんだ?」
聞くと、美緒は指の隙間から俺を見た。
「相沢君が変えたんだよ」
「俺、何かしたか?」
「した。覚えてないなら、教えない」
美緒は筆を取り上げ、残った箇所を自分で塗り始める。
それ以上聞いても答えそうになかった。
作業が終わり、濡れた旗を乾かすために机を寄せる。美緒は俺が動かすより先に、必要な場所の椅子を避けていた。
「明日、相沢君は何時に来る?」
「いつもどおり。八時十五分くらい」
「やっぱり」
「知ってたのか?」
「最近、毎日その時間だよ」
美緒は自分の鞄を持ち上げる。
「旗が乾いたか、朝に見たいんだ。明日だけ七時四十五分に来てくれない?」
「二人で見る必要あるか?」
「相沢君と仕上げたから、一緒に最初に見たい」
笑顔で言われ、断る理由を探せなかった。
「分かった」
「忘れないでね」
「三十分早いだけだろ」
「私には大事な三十分だから」
教室の扉が開き、日和が戻ってきた。
「何の三十分?」
美緒は振り返る。
「明日の朝、相沢君と旗を見る約束」
隠すどころか、わざわざ約束という言葉を選んだ。
日和の笑顔が一瞬だけ止まる。
「じゃあ私も来る」
「日和、朝弱いじゃん」
「明日は強いです」
「何それ」
二人は笑い合った。
けれど美緒は、日和も来ると聞いてから、乾きかけた旗を一度も見なかった。




