EP61 沈んだ王国の記憶と、懐刀の十字架
古の牢獄の冷たい石畳の上で、アイフェリスは微かに震える手でカイエンの枷を外した。
その硝子細工のように美しい瞳の奥底に浮かんでいたのは、冷徹な「懐刀」としての仮面ではなく、数百年という途方もない歳月に囚われた一人のエルフの、深い絶望とトラウマの色だった。
「……驚いたな。お前のような冷徹な女が、自分の意思で俺を逃がすとはね」
カイエンが枷を外し、魔剣の柄に手を当てながら低く呟く。アイフェリスは視線を伏せ、自嘲気味に小さくかぶりを振った。
「……私を、ただの冷酷な守護者だと思わないことね。私とて、物心ついた頃からこうだったわけではないわ」
彼女は静かに息をつき、誰にも語ったことのない記憶の扉を開く。
「私の幼少期、今から数百年前……この聖地は今よりもはるかに広大で、誇り高い『エルフ王国』の中心だった。当時の我が国は、圧倒的なカリスマを持った『騎士王』によって統治されていたわ」
エルフの長い寿命ゆえに、数百年という時は「昨日のこと」のように彼女の脳裏に焼きついている。
「王の傍らには、常にそれを支える5人の勇敢な騎士たちがいた。王もまた前線に立ち、彼らが率いる王国は連戦連勝。まさに我が国の『最盛期』だった。……誰もが、この繁栄は永遠に続くものだと信じて疑わなかった」
しかし、アイフェリスの表情が痛切な苦痛に歪む。
「外敵に滅ぼされたのではない。王国は、内側から崩壊したのよ。……権力への執着、身内の猜疑心、そしてほんのわずかな『理の歪み(バグ)』から生じた内部分裂。信じ合っていた者同士が疑い合い、血を流し、王国そのものが地中へと沈んで消え去った。あのとき、幼い私はすべてを失った……両親も、故郷も、美しい誇りも、何もかもが音もなく地下へと飲み込まれていくのを見たわ」
そのトラウマこそが、彼女を縛り付ける呪縛だった。
王国は外からの侵略ではなく、いつも「内側の不信感と崩壊」によって滅びる。だからこそ、今の元老院が民を煽り、人間を排斥しようとする姿が、数百年前の「悪夢の再来」そのものに見えて仕方がなかったのだ。
「……だから、私は決めたはずだった。感情を殺し、冷徹な『懐刀』として女王を支え、二度あんな崩壊を許さないと。人間を信用することなど、最も愚かなことだと自分に言い聞かせてきたわ」
アイフェリスは顔を上げ、かつて自分を裏切った人間のように冷徹であり続けたはずの瞳で、目の前のカイエンをまっすぐに見据えた。
「それなのに……! 王国が再び内側から腐り落ち、あのときと同じ『消えた王国のバグ』がこの聖地を蝕んでいるというのに、元老院の老害どもは過去から目を背け、人間への憎悪に狂っている。……どちらを信じればいいのか、私にはもう分からない」
民の声に従えば、王国は再び内部分裂と狂気によって自壊する。
しかし、目の前の人間――カイエンの持つ「異質な理」に賭ければ、数百年の時を超えて再びエルフの歴史の表舞台に立つ「禁忌」に触れることになる。
アイフェリスの葛藤を見据え、カイエンは静かに魔剣を鞘に収めると、彼女の目の前へと歩み寄った。
「過去のトラウマに怯えて、滅びを待つだけの気高い人形になるか。それとも、俺と一緒にその地下深くの『亡霊』どもと向き合い、すべてを解体するか」
カイエンの低い声が、古の牢獄の冷気を切り裂く。
「選べ、大使。お前の選んだ道に、俺が付き合ってやる」
数百年の時を経て再び開かれようとする、沈んだ王国の扉。
エルフの懐刀は、その運命の引き金を自らの手で引く決意を固めるのだった。
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