EP60 巨人の門と、開かれた牢獄
聖域の最奥部、古の神々が祀られたとされる聖堂の入口には、誰もが息を呑むほどの威圧感を放つ巨大な影がそびえ立っていた。
――「元老院の門番巨人族」。
ギリシャ神話に登場する百腕の巨人『ヘカトンケイル』の血を引くかのように、その巨躯には複数の腕の痕跡が刻まれ、岩石のように硬質な筋肉と分厚い甲殻が全身を覆っている。彼らは元老院の厳命を受け、一歩たりとも部外者を近づけまいと、不気味にうねる巨大な石棒を地面に突き立てて仁王立ちしていた。
その巨人の門の足元に、一筋の影が音もなく歩み寄る。
アイフェリスだった。完璧な特注ローブを纏い、冷徹な美しさを湛えた彼女の背後には、元老院から下された最新の「厳達書」が握り締められている。
「……通しなさい。元老院の意向を確認するため、門をくぐる」
アイフェリスの冷徹な声に、巨人族の門番たちは地響きのような低い唸り声を上げ、その双眸に警戒の色を宿した。しかし、女王の懐刀として絶大な権限を持つ彼女を容易に追い払うことはできず、巨体はわずかにその道を空ける。
彼らが守る聖域の奥、元老院の密室では、老長老たちがすでに異様な熱気の中で声を荒げていた。
「もはや猶予はない! あの人間の男カイエンを生かしておけば、我がエルフの誇りは地に落ちる!」
「そうだ! 直ちにあの男を処刑し、その首を人間どもへの宣戦布告の証として国境に掲げるのだ!」
「アイフェリスめ、あの女の甘ったれた態度がこの事態を招いた。彼女ごと処断すべきかもしれん……!」
変化を恐れ、過去の栄光にしがみつく老害どもの狂気は、枯れゆく森の焦燥感に煽られてピークに達していた。彼らにとって、真実や生存の理などどうでもよかった。ただ「自分たちの世界を脅かす異物」を排除し、怒りの矛先を人間に向けることだけが、崩れかけたプライドを保つ唯一の手段だったのだ。
その頃――。
聖域の地下、厳重な魔導の枷に繋がれた「古の牢獄」では、冷たい石の床に背を預けるカイエンの耳に、重苦しい地鳴りのようなざわめきが届いていた。
(……外の連中、いよいよパニックか)
魔眼の奥で、森全体を覆う「バグ」のノイズが一段と激しく脈打っているのが見える。エルフ社会の自壊と、元老院による処刑のカウントダウン。
もはや一刻の猶予もない。
その時、牢獄の重い鉄戸が、これまでにない慌ただしい足音と共に押し開けられた。
そこに立っていたのは、いつもの完璧な仮面をわずかに歪ませ、しかし強い決意を瞳に宿したアイフェリスだった。彼女は周囲の目を盗むように素早く牢内に入ると、カイエンの手首を縛る魔導の枷へと手を伸ばす。
「……何をする気だ、大使」
カイエンが低く問いかけると、アイフェリスは冷ややかな美しさを崩さぬまま、静かに告げた。
「元老院が貴方の処刑と人間への全面戦争を決定した。……このままでは、あの老害どもによってエルフの王国も、貴方の調査もすべて水泡に帰す」
アイフェリスは懐から鍵を取り出し、ガチャリと音を立ててカイエンの枷を外した。
「……私を逃がす気か?」
「いいえ。『協力』でも『強制』でもない。――賭けよ、カイエン」
アイフェリスは立ち上がり、巨人族の門番たちが守る聖域の奥、そしてそのさらに先にある「封印された竜」への道を指し示す。
「元老院の鼻を明かし、この腐敗を根絶やしにする。……私を、その『解体』の場に連れて行きなさい」
崩壊寸前のエルフの聖地で、冷徹な懐刀と灰の監視員が手を取り合う。反逆の狼煙が、静寂の森の底深くで、音もなく燃え上がった。
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