EP56 砂漠の夢と、国境の街シルフェリア
砂漠の冷たい夜風が吹き抜ける中、カイエンは荒涼とした夢の中にいた。
視界のすべてが白く霞む空間で、どこからともなく、冷徹でありながらも神々しいまでに澄み切った女性の声が響き渡る。
『――ディーヴァを討ち果たし、下界の理を再び紡ぎ直したのですね。あなたのおかげで、この大地に緑が戻り、世界を脅かした天災は凪ぎました』
それは人の領域を遥かに超越した、まるで神の宣告のような絶対的な響きだった。しかし、声の主はすぐに、どこか切なげに、そして冷たく告げる。
『カイエン……あなたは、その身に宿る「転移」の理について、本当の――』
そこで、突如として音声が途切れた。ざざざ、と激しいノイズが脳髄を掻むしむるように響き、空間が歪む。
「お前は一体……! 使徒とはなんだ、転移とはなんだぁぁっ!」
カイエンが暗闇の中で叫び声を上げた瞬間、眩い光とともに現実の意識へと引き戻された。
――朝。
目が覚めたカイエンの鼻腔をくすぐったのは、荒野の砂埃ではなく、甘い香りと、そして奇妙なほどの温もりだった。
(……ん?)
胸のあたりに、何か重くて柔らかい、しかしはっきりと主張する豊満な感触がある。
そっと視線を下ろすと、そこにはいつの間にかカイエンのベッドロールに潜り込んできたマキマがいた。ボサボサの髪を無造作に散らし、カイエンの胸板に顔をうずめるようにしてスースーと寝息を立てている。しかも、カイエンの右手が、その豊かな胸の谷間にすっぽりと乗っかっていた。
さらに、寝言なのか、マキマの口元がにやけて動いている。
「ぐふふ……そこはもっと、魔力回路の許容量を……わたすの最高のファンネルをですね……ぐふふ……」
寝言でまでメカの話を呟くその姿に、カイエンは全身の血が逆流するような衝撃を受けた。
「なっ……!?」
カイエンは文字通り飛び起き、自分の右手をまるで汚物でも扱うかのように素早く引っ込めた。
「ぐにゃ……って、おい! 起きろ!」
突然の暴挙に、マキマは「ふにゃ?」と間抜けな声を漏らしながら、ボサボサの頭をもたげた。潤んだ瞳でぼんやりとカイエンを見上げ、数秒の静寂ののち、事態を理解したのか――彼女の顔がみるみるうちに真っ赤に染まった。
「ひゃっ……!? い、いつの間にわたすはカイエン様の胸の中に……!?」
「お前が勝手に潜り込んできたんだろうがっ!」
朝の荒野に、カイエンの盛大なツッコミの声が響き渡った。
砂漠を抜けた俺とマキマが辿り着いたのは、エルフの聖域に最も近い国境の街「シルフェリア」だった。
ここは人間とエルフの密売人がうごめき、純血のエルフたちから「穢れ」と蔑まれて逃れてきた半エルフたちが肩を寄せ合って生きる、澱んだ空気が漂う街だ。
「足りないのであります! わたすのファンネルの出力が圧倒的に足りないのでありますよ!」
街のガラクタ市や怪しげな魔導工房に入り浸っては、ガラクタの山を漁りながら大声で騒ぐマキマを、俺は少し離れた場所から呆れたように眺めていた。彼女を放置し、俺は使徒の残滓と、街で噂される「謎の疫病」についての情報収集を続ける。しかし、純血エルフたちの支配が強いこの街では、人間の聞き込みに対して誰も口を開こうとしない。
その膠着状態を破ったのは、路地裏でのひったくりだった。
「おっと、そこのお兄さん、いいもん持ってるじゃないか」
すれ違いざまに俺のポケットから魔剣のメンテナンス用パーツを抜き去り、軽やかな身のこなしで瓦礫の壁へと飛び上がった影があった。
褐色の肌、耳の先が尖った特徴的なシルエット。そして、鋭い眼光を湛えた小柄な少女――ヒナだった。
彼女は純血のエルフたちから「中途半端な血統」「森の穢れ」と蔑まれ、生きるために裏社会のスリや情報屋として泥水をすすってきた盗賊だ。ヒナは手元で弄んでいた俺のパーツと、少し離れた場所で電子砲をガチャガチャといじっているマキマの姿を交互に見ると、不敵ににやりと笑った。
「人間と、あんな危なっかしい鉄の塊を背負った異端の科学屋……。アンタたち、普通の旅人じゃないね。その魔剣の切れ味、そして妙な兵器……アタシの目に狂いがなければ、アンタたちは『エルフの聖域』に近づこうとしている」
「……スッたものを返してもらおうか。それに、俺たちの行き先を勝手に決めつけるな」
俺が低く言い放つと、ヒナは軽やかに地面へと飛び降り、ふっと表情を険しくさせた。
「返してほしけりゃ、アタシを仲間に入れなよ」
そこへ、ガラクタの山からマキマが「どうしたでありますかー!」と顔をひょっこり覗かせる。ヒナは二人の顔を見渡し、その胸に秘めたドロドロとした怒りを吐き捨てるように言った。
「エルフの聖域の長老たちが隠してる『疫病の噂』を知ってるかい? あの傲慢な連中は自分たちの保身のために、外の人間どもが森に病を持ち込んだって喚き散らしてる。……だが、それだけじゃない。連中は恐怖の矛先をごまかすために、足元にいるアタシたち半エルフを『森の穢れだ』『お前たちの血が原因だ』って言って、さらに激しく迫害しはじめたんだよ!」
ヒナの褐色肌の拳が、悔しさに震えてギュッと握りしめられる。
「自分たちの聖域が汚染された恐怖から目を背けたいがために、外の人間を悪者にし、一番弱いアタシたちをスケープゴートにしてやがるのさ。ふざけんじゃないよね……!」
彼女は怒りを押し殺すように息を吐き出すと、ふっと不敵な笑みを浮かべ、決定的な言葉を叩きつけた。
「アタシはね、あの傲慢な連中に一泡吹かせてやりたいのさ。聖域の奥で何が起きているのか、その目で確かめて、連中の化けの皮を剥ぎ取ってやりたいんだよ。純血エルフどもがどれだけ厳重な結界を張ろうと、あの森の『裏口』を知っているのは、この世界でアタシだけさ。誰も通らない、呪われた獣道のな」
マキマが電子砲を担ぎ直し、「面白いであります! その裏口、わたすの科学でこじ開けてあげるであります!」と賛同の声をあげる。
外の人間を悪者に仕立て上げ、内では半エルフを徹底的に迫害するエルフ社会の腐った実態。そして、そこに抗う者たちの怒り。
利害と、それぞれの胸に宿る因縁が完璧に噛み合った瞬間だった。
俺は魔剣の柄に手をかけ、小さく息を吐いた。
「……いいだろう。案内しろ、エルフの聖域へ」
こうして三人が揃い、俺たちは誰も知らない呪われた獣道を抜け、エルフの聖域の入り口へと足を踏み入れていくのだった――。
果たして、エルフの聖域の奥深くに隠された「疫病の真実」とは何なのか? そして、カイエンの「転移」の力に隠された秘密の正体とは……!?
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